廃墟に咲く花

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本棚登録 : 30
レビュー : 3
制作 : 根岸 純 
葡萄森兄夫さん 海外文学   読み終わった 

 パリ、1933年4月。ある若い夫婦の突然の自殺。その昼まで普段と変わらない日常を送っていたT夫妻。 二人の謎の自殺。「 ぼく 」は その事件を伝える古い新聞記事を手掛かりにT夫妻の自殺の謎を追い始める。その夜 夫妻は、ある若い男女4人(2組のカップル)と出会い 意気投合して夜半まで行動を共にしたという。
そして、その夜夫妻二人を死に至らしめたのは何であったのか…。

というのが 一応の筋立てなのであるが、物語りはゆるゆると進み、一般的なミステリー小説のように、推理や論証がかっちりと積み上げられるわけでもない。そして謎は謎のままで終わる。真実探しと謎解きは、中途で放り出される。

読み進めるうちに思い至る。この小説はT夫妻の死の真実を詳らかにするのが狙いでは無いことに。むしろ、人の人生には他者からは決して窺いしれぬ部分があるのだ。という諦観。サラりと乾いた諦めのような観念が主題の一つに思われる。

さらに、物語りは「ぼく」自身の思い出へと転じてゆく。パリ左岸界隈での思い出。
そして、思い出はかつて「 大学都市 」で出会ったパチェーコという男の記憶へと連なってゆく。
パチェーコは謎めいた人物で、「ぼく」は彼の出自を調べ始めるのだが、調査の道行きのなかで、かつて独軍占領下のパリで、対独協力者であった者たちの存在に行き当たる。(ただし、パチェーコ自身が実際に対独協力者であったかは明確にされない)。そしてさらに「ぼく」の父もまた、占領下パリで、得体のしれない仕事に従事していたことの記憶が語られる。

終章の一節。
「 ある日のこと、証拠や手がかりでも探さないことには、彼らが本当に実在したことが自分でも分からなくなるくらいに、途方に暮れてしまうことがあるものだ。 」

かような、他者の存在、他者の人生の実在についての不確かさ。それが、作品のテーマであるように感じた。

初めてモディアノを読んだのだが、どこかポール・オースターの作品と共通するものを感じた。
しかし、オースターの作品は、物語の舞台やディテールに抽象性が遺され、ファンタジーとフィクションの度合いを強く感じさせる一方で、ストーリー展開が力強く、グイグイ読ませる。
一方、モディアノの作品は、パリ市街の通りの名前等のディテールは常に詳細に記され、記憶のモチーフの幾つかには、占領下パリの歴史など実際の史実へ繋がっており、具体性がある。だが、ストーリーは漠としており、靄がかかったようである。
両者には、かような相違がある。 #

レビュー投稿日
2016年7月12日
読了日
2016年7月8日
本棚登録日
2016年6月29日
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