ガンジ-自伝 (中公文庫 B 1-43 BIBLIO20世紀)

  • 中央公論新社 (2004年2月25日発売)
3.81
  • (30)
  • (33)
  • (45)
  • (3)
  • (0)
本棚登録 : 554
感想 : 37
5

「彼は、わたしの首にかけているトゥラシの木でできたヴァイシュナヴァ派の首飾りを見つけた。彼はそれは迷信だと思って、そのため心を痛めた。「そんな迷信は、君らしくもない。さあ、その首飾りをはずそう」「いや、それはいけない。これは母からもらった神聖な贈り物です」「しかし、君はそれを信ずるのですか?」「わたしは、別にこれの神秘的な意義は知りません。もしわたしがそれをつけていなくとも、ばちが当たるとは思っていません。しかし、十分納得のゆく理由がなければ、この首飾りを捨てるわけにはいきません。それは母が、愛情からと、わたしの幸福のためによかれとの信念から、わたしの首にかけてくれたものです。(中略)」コーツ氏は、わたしの説明を認めようとはしなかった。彼はわたしの宗教に対して、いささかの尊敬も持ち合わせなかったからである。彼はいつも、わたしを無知の谷底から救おうとしていた。ほかの宗教がなんらかの真理を含んでいるかどうかに関係なしに、本質的真理を代表するキリスト教精神を受け入れないかぎり、わたしに救いはありえないということ、イエス・キリストのとりなしがなければ、それ以外によっては、わたしから罪は洗い流せないだろうということ、そしてまた、どんな善行を重ねてもむだであるということを、わたしに納得させようとした。(「キリスト教徒との接触」P142~より引用)」
こういう書き方ができるから自伝はたまらない
とはいえ本書は1920年以降の政治運動には筆を一切割いていないため
自伝であることを含めて著者の姿を掴むのには注意が必要な「作品」
自身とヒンドゥー教とイギリスおよびキリスト教にはこのように描けても
イスラム教について描くことは生前の政治的立場が許さなかっただろう

到底凡人には実践の試みが立たない偉大な方法で偉大な政治実績を上げた一方で
さらっと象に乗って移動したり次のような描写には驚かされる
「人が市民的非服従の実践に適するようになるには、その前に、国家の法律に積極的かつ尊敬をこめた服従を行っていなければならなかった。たいていの場合、私たちは、法律に違反すると罰せられる恐れから法律に服従している。そしてこのことは、道徳的原理をふくんでいないような法律に関しては、特に当てはまっている。例をあげると、正直で尊敬に価する人は、窃盗を取り締まる法律のあるなしに関係なく、突然盗みをはたらくことはないだろう。しかし、この人が規則に違反し、夜になってから無灯火で自転車に乗って走ったとしても、彼は別に自責の念にかられることはないだろう。実際には、この点についてもっと注意するようにと親切心から忠告されたとしても、彼がその忠告を聞き入れるかどうか、疑わしい。しかし、規則に違反すれば罰せられる不自由さをのがれるためならば、彼はこの種の義務的な規則のすべてを守るのである。(「ヒラマヤの誤算」P407~引用)」
愉快なり

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2018年10月21日
読了日 : 2018年10月21日
本棚登録日 : 2018年10月17日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする