物語は、イギリスに住む日本人の悦子とその次女ニキとの会話、そしてニキが帰省したきっかけに思い出した、まだ長崎に住んでいた、朝鮮戦争の頃の出来事で進む。回想部分の遠い終戦直後は、当事者の古式ゆかしい上品な日本語の会話で進み、読み終わるとなにか圧倒する昔の風景や息遣いが周りに満ちてきて、一瞬その風景の中に自分もいるような気になった。若干28歳でこのデビュー作を書くとはイシグロ氏恐るべし。
次女ニキは30歳前後で、すると現在は1980年頃で、この本は1982年発表なので、現在の部分は著作時の同時代ということになる。
次女ニキとの会話は成人した娘と母の、ある部分はかみあい、ある部分は反発する、という2018年にこれを読む例えば60歳の女性は、悦子でありニキである。
回想部分の、自分たちの住む集合住宅に泊まりに来た義父と悦子の会話は、まるで「東京物語」の笠智衆の父と原節子の次男の未亡人との会話が再現されているようだ。また悦子の夫と義父との会話も「東京物語」の山村聡の長男と父との会話を彷彿とさせる。そしてダメ押しに義父は「もうそろそろ帰る時かな」と言う。
近所の佐和子とその娘万里子と私・悦子の関係もおもしろい。佐和子は夫を亡くし、アメリカ兵の恋人とアメリカに行こうとしている。方や悦子は長女を妊娠中で佐和子や万里子の行動に振り回されている感じだ。そしてそこはかとなく、夫とも十分に分かりあえていないのではないかという気配も漂っている。義父は戦後の変化についていっていない。一転無茶な佐和子が実は悦子だったのでは?と思ってしまう。
発表当時イシグロ氏は28歳位である。5歳でイギリスに家族と渡った氏の周辺から想像をふくらませたのだろうか。イシグロ氏とは同世代だが、イシグロ氏の周りに戦前の考え方と戦後の生活にずれが生じている人が身近にいたのだろうか? 発表の1982年は今から36年前だが、1982年は1945年から37年目だったのだ。戦後は今よりずっと身近だったかも。
2001.9発行2017.11.10、15刷を購入
- 感想投稿日 : 2018年7月8日
- 読了日 : 2018年7月4日
- 本棚登録日 : 2018年7月8日
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