寝ながら学べる構造主義 ((文春新書))

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本棚登録 : 4033
レビュー : 420
著者 :
日曜読書家さん philosophie   読み終わった 

内田樹さんの本では、以前に『女は何を欲望するか』と『他者と死者ーラカンによるレヴィナス』にたいへんお世話になった。以上の2冊に負けず劣らず、本書も読みすすめるごとに頭がスッキリする感覚がある。「もーわからん!頑張ってもわからん!」となったときに読むと、効果てきめん。暗号のような思想が理解できたような気がする。内田さんは魔術師かなにかか。 思想うんぬんの前に、彼くらい頭のなかを整理整頓したいものだと思う。掃除上手なところをとても尊敬している。

さて肝心の内容についてだが、『寝ながら学べる構造主義』という表題で、構造主義をそれなりに知っている人やそもそも興味のない人は手にとらず仕舞いになっているかもしれない。後者は仕方ないご自由にとして、前者はちょっともったいないことをしているかも。
わたしは前者で、何冊か現代思想の入門書を読んでおり、あらたまって学ぶほどのことでもないだろうと、ちょっとばかし面倒くさがっていた。お盆休みの日長に積読を減らそうと読みはじめて、本書をさっさと手にとらなかったことにひどく後悔した。無駄とは言わないが、何冊も読まずともこの一冊でよかったのではないかと思うほど、本書は優等生だったからである。
構造主義とはうたっているが、通読すれば現代思想の要までおさえることができてしまう。マルクス、フロイト、ニーチェ、ソシュール、フーコー、バルト、レヴィ=ストロース、ラカン、スター選手が勢ぞろいだ。現代問題も引き合いに思想の検討が行われ、深さもともなっている。「しまった、時間と金を無駄にした」というがわたしの本音だ。苦労あっての学習なので、まあよしとしようとは思うが。

内田さんの解説が冴えているのは、たとえが巧みだからだと思う。正直どれもよかったのだが、わたしが思わず「なるほど〜」と唸ったのは、バルトの「記号」について。わかるようでわからない「記号」とはなにか、たとえはこんな感じ。
将棋を指していて歩が一個なくなったとする。しょうがないから相手に「じゃ、これ歩ね」と言って手元にあった蜜柑の皮の切れはしを盤におく。蜜柑の皮と歩にはなんの関わり合いもないけれど、対局者との了解があるなら、蜜柑の皮が「記号」となって歩の機能を果たす。すなわち「記号」とは、「ある社会集団が取り決めた『しるしと意味の組み合わせ』のこと」であり、「『しるし』と『意味』のあいだには、(中略)純然たる『意味するもの』と『意味されるもの』の機能的関係だけ」がある。「ほほう、そういうものか」と納得。

内田さんの著作は、導入部分も冴えわたっている。本書の場合、「知らない」の意味を問うことからはじまる。わたしは、「知らない」とはそもそもどういうことなのかなどと考えもしなかった凡人なのだが、内田さんは「知らない」のではなくて「知りたくない」から「知らない」になるのだと言う。換言すると、「自分があることを『知りたくない』と思っていることを知りたくない」、ついうっかり知るのを忘れてたなんてことはない、必死に目を逸らしている結果が無知になる。これは痛いところを突かれた。

内田さんの指摘はいつもズバリ。そして発想が逆。ここまでサッパリ言われると、なんだかやる気が湧いてくる。目を逸らしていることはないか、ついつい甘め判定が出る自身にこの問いを課すことが内田さん的掃除上手になる一歩となるのやもしれない。

レビュー投稿日
2016年8月18日
読了日
2016年8月17日
本棚登録日
2016年8月16日
6
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