雪は天からの手紙: 中谷宇吉郎エッセイ集 (岩波少年文庫)

著者 :
制作 : 池内了 
  • 岩波書店 (2002年6月18日発売)
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感想 : 22
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冬の岩波少年文庫シリーズ。
雪の結晶の研究で有名な物理学者・中谷宇吉郎のエッセイ集。

科学の話といってもひとつも難しいところはなく、誰にでもわかるような言葉で研究のおもしろさを語っている。

線香花火を「松葉」や「散り菊」と描写するなど、観察ですら文学的な文章。

地球の形が、凹凸があったり、楕円形であっても、鉛筆の線の幅に収まってしまう円になることを数式をまったく使わず説明してみせるあたりも見事。

雪の結晶、落雷、線香花火、霜柱、日常生活にある不思議を研究を通して解明できることをわかりやすく説明していてすばらしい。

以下、引用。

これは少したくさん刷りすぎたので、なかなか売り切れなようである。驚いたことは、五千部刷ったそうである。聞いてみたら、昔でたベントレイの雪の本は、現在一冊も残っていない、この本も、二十年間には売り切るつもりだというのである。

一つの落雷電光が、数本の電光から成っていることは、今世紀の初め頃からすでにわかっていた。しかし初めに火の玉が雲から落ちて来ることは、この研究で初めてわかったので、世界中のこの方面の学者たちをいたく驚かしたのであった。
初めてこの論文を読みながら、すぐ連想されたものは、子供の頃から聞かされていた雷獣の話であった。雷獣の話も民俗学的に調べてみたら、ずいぶん種類と変化とが多いことであろう。しかしそのうちで、火の玉のようなものが雲から落ちて来て、それが地面に達すると、落雷が天に駆け上るという形式の話がかなりの部分を占めているように思われる。

ションランドの得た結果を、少し稚拙な文学的表現で言いあらわすとしたら、この雷獣の伝説と非常に似たものになることはいちおう考えてみてもよいだろう。

アルタミラの洞窟に描かれた野牛たちの姿が、その疾走(ギャロップ)の脚の形をよくとらえていることはあまりにも有名である。獣たちの疾走の時の脚の運び方は、現代人には高速度活動写真の援けを借らずには知られないが、原始人類の眼には見えたのである。

しかし皆が心得ておくべきことは、湯川さんはノーベル賞をもらったから偉い学者なのではなく、偉い学者だったからノーベル賞をもらったのだということである。

水産講習所の兼任講師に寺田先生を推薦されたことがあった。その時長岡先生が「絹ハンカチで鼻をかむようなものだが」といわれたという伝説が残っている。

まず線香花火を一本取り出して火をつけてその燃え方を観察してみる。初め硝石と硫黄との燃焼する特有の香がして、さかんに小さい焔を出しながら燃えあがり、しばらくして火薬の部分が赤熱された溶融状態の小さい火球となる。その火球はジリジリ小さい音を立ててさかんに沸騰しながら、間歇的に松葉を放射し始める。そして華麗で幻惑的な火花の顕示(ディスプレイ)の短い期間を経ると、松葉はだんだん短くなり、その代りに数が増してきて、やがて散り菊の章に移って静かに消失するのである。

この日本紙のこよりというのも重要な意味があるのであって、沸騰している火球を宙づりにして保つには紙がなかなか大切なのである。薄い西洋紙で線香花火を作ってみたが、火球が出来ると同時に紙が焼け切れてどうしてもだめであった。このことなどもこの花火が西洋にない理由の一つかも知れない。

そうしたら先生が「そうか、それはよい経験をしたものだ。落第をしたことのない人間には、落第の価値は分らない」とほめられてちょっと驚いた。それから先生は「僕も落第したことがある。中学校の入学試験に落第をしたんだが、あれはいい経験だった。夏目(漱石)先生も、たしか小学校で一度落第されたはずだ。人生というものは非常に深いもので、何が本当の勉強になるかなかなか簡単には分らないものだ」という話をされた。

「不思議を解決するばかりが科学ではなく、平凡な世界の中に不思議を感ずることも重要な要素であろう。」(「簪を挿した蛇」より)


読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 岩波少年文庫
感想投稿日 : 2020年2月27日
読了日 : 2020年2月26日
本棚登録日 : 2020年2月26日

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