登録者の都合上「観終わった」にしておりますが、映画館で「観終わった」が正しいです。

2012年6月4日

読書状況 観終わった [2012年6月4日]
カテゴリ 2012年5月

丸谷才一 著
「横しぐれ」「だらだら坂」「贈り物」「歴史といふ悪夢」「未来の日本語のために」「日本文学史早わかり」
を読み終えた。

2011年3月31日

読書状況 読み終わった [2011年3月31日]
カテゴリ 2011年3月

本書を最初に読んだのは1年ほど前のことであった。丁度、脳梗塞の後遺症の50肩様の痛みで、夜寝られなかった苦しい時期であった。確か2006年の暮れのころだと思う。そのとき、印象に残ったのが、ノモンハンのことであり、1945年夏の満州国首都の新京での動物園での猛獣の虐殺事件であった。また、ソ連シベリア抑留の話である。この話をもう一度読みたいと思い、再読してみた。

この小説にはいろんな物語が平行している。なかでも、通奏低音のように流れているのは、ノモンハンのことである。主人公の僕(本名「岡田亨」)と妻クミコの結婚に関連して、クミコの実家で紹介された占い師が本田大石さんである。本田さん(当時、伍長、彼の何かしら予兆能力が軍に買われていたらしい、それは謎である)から、ノモンハン戦争のことをよく聞かされていた。半世紀近く前、日本軍は満州と外蒙古との国境地帯で、草もまともに生えていないような一片の荒野をめぐって熾烈な戦闘を繰り広げた。日本軍はほとんど徒手空拳で優秀なソ連の機械化部隊に挑みかかり、押しつぶされた。いくつもの部隊が壊滅し、全滅した。全滅を避けるために後方に移動した指揮官は上官により自殺を強制されむなしく死んだ。ソ連軍の捕虜になった兵士の多くは、敵前逃亡罪に問われることを恐れて戦後の捕虜交換に応ぜず、モンゴルの地に骨を埋めた。ノモンハンで生き残った兵達の多くは南方の島に送られて死んでいった。ノモンハンは帝国陸軍の生き恥を晒した戦いだった。そこで生き残った兵隊はいちばん激しい戦場に送られることになった。ノモンハンででたらめな指揮をやった参謀たちあとになって中央で出世した。あるものは戦後になって政治家にまでなった。しかしその下で命をかけて戦ったものは、ほとんど圧殺されてしまった。この話の要約は凡百の歴史書よりも強い印象を与える。

本田氏の死去にあたり、故人の強い遺志に従い、遺族に代わり故人の形見の配分を引き受けていたのが間宮徳太郎元中尉であった。中尉は戦争中満州に駐留し、作戦中ふとしたことで本田伍長と生死をともにしたことがあった。僕(主人公)宛の形見を貰い受けたさいに、間宮中尉の長い物語を聞くことになる。

ノモンハン事件の前年、ソ満国境のハルハ河を超えて、モンゴルで諜報活動に従事した。民間人の山本(実はスパイの高級参謀)、間宮中尉(当時、少尉)、濱野軍曹、本田伍長の4人の少人数の部隊はこの作戦に従事した。このとき、モンゴル軍にこの諜報部隊は捕獲されてしまう。濱野軍曹は殺され、山本はソ連将校により皮剥ぎの処刑を受ける。間宮中尉は井戸に放り込まれるが、本田伍長に救出される。しかし、そのとき以来、間宮中尉は自己の存在感覚を失う。本田伍長はノモンハンで負傷して本国に帰還した。 

間宮中尉は1945年8月13日、ハイラル郊外の戦闘で機銃弾を受けて負傷し、ソ連戦車に左腕を踏み潰された。ロシア語が話せたことから、手術を受けて、一命を取り留め、シベリア抑留では通訳の仕事をした。そこで、例の皮剥ぎをしたソ連将校が囚人でいたのを発見する。それは「皮剥ぎボリス」という綽名の男で、本名はボリス・グローモフという内務省秘密警察(NKGB)の少佐であった。共産党内部の対立で粛清されたのだ。しかし、内務省長官のべリアとの繋がりがあり、復帰を狙っていた。ボリスは収容所の実権を握り、間宮中佐はかれの個人秘書の役割をこなす。ボリス暗殺の機会を虎視眈々と狙うが、ついに失敗。しかし、ボリスの提案で、2発の実弾が与えられる。しかし、間宮中尉はその2発とも外してしまうが、間宮中尉は無事日本に帰還する。

新京動物園の園長であったのは、赤坂ナツメグの祖父である。しかし、これはどうやらナツメグの想像上の話のようだ。ナツメグは主人公が街頭でじっと人々の流れを眺めている間に...

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2008年4月25日

読書状況 読み終わった [2008年4月25日]
カテゴリ 2008年

本書は昭和天皇についてのイメージを一新する著作である。とくに、「カゴの鳥」からの脱却の章が面白かった。この章は大正十年(1921)三月から半年かけて行われた皇太子時代にイギリス、フランスなど欧州視察旅行にまつわる話である。
 皇太子時代の昭和天皇に対してなされていた教育を「箱入り教育」として激しく批判したのは枢密顧問官の三浦梧楼(陸軍中将}であった。これに、元老の山縣有朋、松方正義、西園寺公望が応じた。時の首相の原敬も「今少しく政事及び人に接せらるる事等に御慣遊ばさるる必要あり」と語っている。
 大正8年(1919)5月7日、皇太子は18歳の成年式を迎えた。この後5月10日、霞ヶ関離宮で盛大な晩餐会が開かれた。枢密顧問官の三浦もこれに出席したが、皇太子はただ席についているだけで、何の話もせず、何かを話しかけられても、「殆ど御応答なき」状態だった。このありさまに三浦は怒ったのである。
 帝王学をほどこすためのマンツーマン方式による一方的教育のため、みずから話をすることもできず、人との「応答」というものがあまり出来ない状態になっていた。
 そこで、山縣は皇太子の外遊を熱心に勧めた。
 イギリスに到着する前まで、軍艦「香取」の船中で側近に言動やマナーについての「諫言」を受けている。こうして皇太子は変わりはじめる。公式晩餐会での堂々たる態度と演説だけでなく、他者との会話や対応に格別の変化を見せるようになる。そのなかで、人間的にも成長をする。「カゴの鳥」から英国風の「君臨すれども統治せず」という立憲君主への脱却をする。
 この話を読んで、私の中で少し違和感が生まれた。それはそれまでの昭和天皇像と少し違うからだ。当代随一の批評家の丸谷才一氏が「ゴシップ的日本語論」(文藝春秋、2004年)で言語能力のない天皇が戦争への一原因であったような書き方をしていたからだ。
 そうしたら、案の定、次の天皇の「私の心」―「富田メモ」の出現のところで、丸谷氏の批判が出てきた。
 ―丸谷氏が「昭和天皇が皇太子であったときに受けた教育に、重大な欠陥があった」というのは、そのとおりである。東宮御学問所での教育は、内容はきわめて程度の高いものだったが、一方的に講義をうけるだけのものだった。そのため、言語的な対話能力が養われず、「私」の意思を表明する機会も与えられなかった。しかし、丸谷もハーバート・ビックも鳥居民も、大正十年のイギリス・フランスなどへの外遊によって、皇太子が「私」の意思を明確にする存在へと変身したことを見逃している。

 これは丸谷氏も一本とられましたね。
 昭和天皇は2.26事件のときの断固たる決意や、日米開戦に対する不同意をいろいろ試みていること、戦後の神格化を否定した「人間宣言」に隠れた別の意思(明治の5箇条の御誓文に戻る)、満州某重大事件に対する怒り、A級戦犯合祀に対する明確な不快感など。天皇の断固たる決意を著者は「畏るべき」と表現している。
 
この本を読んで、昭和天皇の有名な「あっ、そう」という応答の深い意味もわかった。

 この本には三島由紀夫と正田美智子さんが見合いをしたことがあったこと、戦後すこししてからの文学少女雑誌「ソレイユ」の投稿欄でいつも張り合っていたのが正田美智子、中村メイコ、富岡多恵子の3人であったというエピソードも出てくる。世界的音楽指揮者の小沢征爾の父親の小沢開作のエピソードも出てくる。三男につけた名前の由来も出てくる。

戦時下、独自に情報を集めるため英語の短波放送を聴いていたエピソードも出てくる。

圧巻は「天皇の戦争責任「の章である。3回も首相を務めた近衛文麿は戦争責任は全て天皇にあり、自分は責任がないことを自殺前の「手記」に書いているが、これは天皇に専制君主の役割を求めて、実際の政治の責...

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2008年3月8日

読書状況 読み終わった [2008年3月8日]
カテゴリ 2008年

この本の一節で「面授」という言葉に出会った。ちょうどカイロプラクティック神経学を受講して悩んでいるときである。毎月韓国のソウルに15時間プログラムを受けに行く。金曜日の朝5時起き。6時発のこだまで名古屋まで。駅を降りてすぐ名古屋空港行きのバスに乗り、9時過ぎ発の大韓航空に乗る。金甫空港からソウル中心街まで約1時間。受講仲間の保井DCや伊藤DCと懇談し、あるいは昼寝を貪り、しばし午後の休息。夜は8時から11時まで補講がある。土曜日の初日は朝8時から夜の8時まで。日曜日の2日目は朝8時から午後3時まで。駆け足で空港まで行き、夕方発って名古屋空港に9時ごろ着く。名古屋から10時過ぎのこだまで静岡に帰り、自宅に戻るのは夜中の12時頃である。あわただしい日程で足掛け3年、20回以上の講義をやり通した。問題はプログラムの内容が難しくてよくわからない。受講者は韓国と日本のドクターだから、共通言語は英語。講義と教材はすべて英語である。講師はDr.Lee。MD、PhD、 DC、DACNBの資格を持つ韓国のエリートドクターである。一所懸命理解しようとするのだが、なかなか難しい。こんな状態ではたしてものになるのか。疑問が膨らむ。

こんなときに出会ったのが面授という言葉である。なるほどなあ。すべて師の薫陶を受けて伝えられるものなのか。神経学的に言うと、左脳よりむしろ右脳の働きが面授の側面を照らしているか。ともかく、この言葉に勇気づけられながら、最後まで貫徹できた。近頃、あらゆる教育の現場で面授の意味が重要になってきている。面授の機微はこの本を読むとわかる。

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カテゴリ 2005年以前

留学時代にこの本を読んだ。15年以上前のことである。すごく新鮮だった。氏の考えは将来、日本のカイロプラクティックの発展にとって非常に重要になる。これが私の確信だ。本書の骨子。今日の医療の限界は近代知の限界そのものであり、新たな医療の展開は近代知の限界を超えた臨床の知でなければならない。近代知は普遍主義・論理主義・客観主義の構成原理を持つ。それに対し、近代知を超える臨床の知はコスモロジー(宇宙論的考え方)・シンボリズム(象徴表現の立場)・パフォーマンス(身体的行為の重視)を構成原理とする。著者は「科学の知は、抽象的な普遍性によって、分析的に因果律に従う現実にかかわり、それを操作的に対象化するが、それに対して、臨床の知は、個々の場合や場所を重視して深層の現実にかかわり、世界や他者がわれわれに示す隠された意味を相互行為のうちに読み取り、捉える働きをする」と要約する。

この本は、西洋医学の特定病院論の誤り、プライマリーケアを全科医療と考える見方、健康と病気に対する哲学的意味など、いろいろ示唆に富む。臨床に携わるすべての人に読んでもたらいたい本である。

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カテゴリ 2005年以前

この本は日本、アメリカと異なる地にいる2つの学者がインターネットを介して宗教について質疑応答した「往復書簡」を本に著したものである。わが酷愛の日本人著者の一人、中村雄二郎氏の名前が表紙に載っている。ともかく手にして読んでみた。

宗教に関して以前から漠然とした疑問があった。第一に、なぜ宗教は政治化するのか?宗教は個人の魂の救済と信仰心であるはずなのに、一方で魔女狩りのような野蛮な異端審問があり、他方で宗教戦争のような野蛮な殺戮もある。単なる過去ではなく、近現代にもこうした歴史は繰り返されている。また、オーム真理教においても、秘密金剛乗のような殺戮を肯定する秘儀をもっていた。先にあげた昭和前半史における日蓮主義者などは国家の日蓮宗化のもとに、テロやアジア侵略を呼号し実践した。また、林達夫はカトリック教会と共産党の組織原理の同一性を指摘している。第二に、信仰心は確かに素晴らしいものだが、信仰心が強くなるとどうして盲目的・無批判的になるのか?

この本の中で中村雄二郎氏は宗教の政治化、また政治の宗教化は避けられないこと、宗教の社会・政治権力化の原理があることを指摘する。なるほど、個人から発した信仰心はそのままでは無批判になり、信仰心が強ければ強いほど、妄信的になるのは理由があったわけだ。氏は「逆光の存在論」という考え方を提唱し、信仰心により逆光を浴びて「意識的自我」は無限のエネルギーを受け取る「無意識的大我」に変換する。しかしこれは往相にすぎない。個人の実現をさらに進めるならば、還相において、「無意識的大我」は個人性を回復した「自覚的大我」にいたる必要があると説く。「この還相において個人性を回復しなければならないのは、なぜかと言えば、意志的・自発的行動は、最終的には個人的ならざるをえないからです」。このような信仰の往還相が宗教のなかで自覚的にとらえられるかどうか。どこまでいっても、個人と組織の問題は避けられない。

読書状況 読み終わった
カテゴリ 2005年以前

この名著にはまだ邦訳はないようだ。著者は医師である。本書は食物酵素の意義を説く。氏によると、酵素は食物酵素、消化酵素、代謝酵素の3種類がある。消化酵素、代謝酵素は知られているが、食物酵素については氏が着目するまで誰もその存在に気がつかなかった。食物酵素とは食べ物に含まれている酵素が身体に摂取されると消化酵素に転化する酵素の謂いである。ところが、人間が火の使用を覚えて調理するようになると、食物酵素は死滅してしまう。このため、体内の酵素はかなりの割合を消化酵素に振り分けるようになり、その結果身体の代謝に必要な代謝酵素が不足して、各種の疾病を生むようになった。ヒトの胃も機能的に二つの部位に分かれ、前半部は胃酸を分泌しない。この「食物酵素胃」とも言われる部位において、牛と同じように食べ物が発酵して中の食物酵素が消化酵素に転化し消化を助ける。この発見も驚きである。氏はなるべく多くの生鮮品の摂取を提唱している。しかし、現代の食生活で原始人のような暮らしに戻るわけにもいかない。したがって、酵素をサプリメントとして補充することが大切となる。(2002年10月1日)

* (補記)20.Enzyme Nurtitionについて邦訳はないと書きましたが、実はありました。現代書林から『キラーフード-あなたの寿命は「酵素」で決まる』という題で出版されています(在庫切れ)。また、この姉妹篇とも言うべきFood Enzymes for Health and Longivity(健康と長寿のための食物酵素学)の邦訳『食物酵素のBaka力』(E・ハウエル著、今村光一訳)も出版されました。参照してください。

2002年10月1日

読書状況 読み終わった [2002年10月1日]
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安保徹氏の著作第5弾。「福田・安保理論」の相方との共著である。ここで、副交感神経系の機能を高める診療所・自宅療法として、爪もみを提唱している。爪もみにより各種の疾病が改善した治験例がたくさん紹介されている。非常に参考になる本だ。6年前に氏の『未来免疫学』を読んでからずっとその足跡を追ってきた私だが、病気の仕組みを解明することが、臨床効果の確信につながる、という思いを新たにする。

読書状況 読み終わった
カテゴリ 2005年以前

安保徹氏の著作第4弾。氏は前著で西沢潤一の「独創を為すためには異端であらねばならない」を引いて、この言葉がいつも私をはげましてくれる、と述べている。どうやら、否応なしに氏は西洋医学の医療を根本的に改革する旗手として登場せざるをえないようだ。「異端」意識である。本書はガンを治すためには、抗がん剤・放射線・手術といった西洋医学の三大療法を拒否しなくてはいけない、という。主張によどみがない。明解である。いずれも身体の免疫系を低下させるからだ。西洋医学の全面否定である。現在のガンは治るのが当たり前のガンだから、医師に宣告されても、あわてない。すぐ手術をしないと大変だ、という医師の言葉に耳を傾けない。セカンドオピニオンを求め、じっくり考える。代わりに、福田医師などが実践している「自律神経免疫療法」を選択肢として紹介する。交感神経系・顆粒球優位がガンの原因だから、この体質を転換するための治療、生活習慣の変更が大事であると述べる。なるほど。長年、同じことを考えていたのだが、西洋医学の主流の人間がこのようにはっきりと説明すると、溜飲が下がる思いだ。

読書状況 読み終わった
カテゴリ 2005年以前

安保徹氏の著作第3弾。副題は「免疫からの警鐘」。本書では、痛みや咳や発疹などの治癒反射は患者の不快な症状だが、本質的には治癒の過程であることが強調される。身体が病的状態から回復しようとする自然治癒の過程である。たとえば、少し正座したあと立ち上る時にしびれが出る。このしびれは血液が最循環するときの治癒反射である。正座のたびにこの治癒反射が起こるが、しばらくすれば正常に戻る。だが慢性的な病的状態の場合、たえずこの治癒反射が起こるため、患者は耐えられなくなる。それに対し、西洋医学の療法は対症療法に終始して、この治癒反射を抑えることだけに着眼する。消炎鎮痛剤やステロイド剤が典型である。こうして、原因を再生産してかえって病気を悪化させる。著者は消炎鎮痛剤やステロイド剤の本質的危険性について警鐘を乱打する。とくにステロイド剤はリバンドを恐れず、断固として離脱させなくてはならない、と説く。すべての患者、国民に読んでもらいたい本である。

読書状況 読み終わった
カテゴリ 2005年以前

安保徹氏の著作第2弾である。免疫学が分析の視点に偏り臨床的価値を喪失してきているのに対し、もっと全体的視点をもった臨床免疫学へのアプローチを強調する。本書では、症状は患者にとっては不快だが、本来治癒反射としての性格を持つ。したがって、症状を抑制するだけの対症療法は治癒と正反対のものにならざるをえない。治療は治癒反射が起こる原因に遡及して行う必要がある。たとえば、交感神経・顆粒球優位の人間であれば、治癒反応としてリンパ過剰の症状が生起する。また、副交感神経・リンパ優位の人間なら、ストレスをきっかけとして交感神経優位に振子が揺れ、そこからの治癒反射として症状が生じる。前者の場合、交感神経系・顆粒球優位の体質を正常に戻す治療が必要となり、後者の場合、2弾ロケット方式で、第1弾は交感神経系優位を矯正し、第2弾は副交感神経系・リンパ球優位の体質を改善する。非常に実践的な免疫論である。

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カテゴリ 2005年以前

カイロプラクティックは神経系を身体の至高のシステムととらえる治療術である。臨床の経験知として、神経系のはたらきが免疫系のはたらきを高めることはわかっていたのだが、その機序は不明であった。安保氏は自律神経系と免疫系との間の直接的関係を実験で明らかにした。ノーベル賞級の大発見と言ってよい。すなわち、顆粒球の細胞表面にアドレナリンのレセプターがあり、交感神経系のはたらきが優位になると、アドレナリンが大量に分泌されて、顆粒球が活性化する。また、リンパ球の細胞表面にはアセチルコリンのレセプターがあり、副交感神経系のはたらきが優位になると、アセチルコリンが大量に分泌されて、リンパ球が活性化する。この観点から、顆粒球優位の「顆粒球人間」は潰瘍や腫瘍に罹りやすく、リンパ球優位の「リンパ人間」はアレルギーや自己免疫疾患に罹りやすい、と説く。したがって、自律神経系のバランスを整えることが病気の回復と健康の維持にとっての要諦であると述べる。私はこの本から大いに示唆を受けた。すべてのカイロプラクターに薦めたい本である。

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これは『脳の仕組みと科学的勉強法』の姉妹篇。高校生だけでなく一般人にも通用する内容である。内容的には前書とほぼ変わらないが、引用された格言が気に入ったので紹介しておこう。

* 雨は一人だけに降り注ぐわけではない。ロングフェロー(詩人)
* 一番だましやすい人間は、すなわち自分自身である。パルワー・リットン(英政治家)
* 人生は物語のようなものだ。重要なのはどんなに長いかということではなく、どんなに良いかということだ。セネカ(哲学者)
* 決断せよ。そして、いったん決心したことは必ず実行に移せ。フランクリン(科学者)
* 食欲がないのに食べると健康を害するように、欲求がないのに学習すると記憶を損なう。ダ・ビンチ(芸術家)
* 人は、教育がつけばつくほど、ますます好奇心が強くなる。ルソー(啓蒙思想家)
* 登山の目標は山頂と決まっている。しかし、人生のおもしろさはその山頂にはなく、かえって逆境の、山の中腹にある。吉川英治(作家)
* いつも自分を磨いておけ。あなたは世界を見るための窓なのだ。 ショー(劇作家)
* 寒さにふるえた者ほど太陽を暖かく感じる。 ホイットマン(詩人)
* 何かを理解しようと思ったら、遠くを探すな。 ゲーテ(作家)
* ドジを踏むことは人間の仕事です。 ヴォルテール(作家)
* 欠点があることは人間の長所である。 ユダヤの格言
* 時はその使い方によって金にもなれば鉛にもなる。 ブレヴォ(作家)
* すべてを得んとするものは、すべてを失うものである。山名宗全(武将)
* 想像は知識よりも重要である。 アインシュタイン(科学者)
* 私たちが人生とは何かを知る前に人生はもう半分過ぎている。ヘンリー(詩人)
* 私たちの人生は、私たちが費やした努力だけの価値がある。モーリアック(作家)
* 人間は自己の運命を創造するのであって、これを迎えるものではない。 ヴィルマン(教育学者)
* 夢をもちつづけていれば、いつか必ずそれを実現する時が来る。 ゲーテ(作家)
* 人間は負けたら終わりなのではない。あきらめたら終わりなのだ。 ニクソン(米元大統領)
* ランプがまだ燃えているうちに、人生を楽しみたまえ、しぼまないうちにバラの花を摘みたまえ。 ウステリ(詩人)
* 朝寝は時間の出費である。しかも、これほど高価な出費はほかにない。 カーネギー(実業家)

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これは前に紹介した『記憶力を強くする』の続編である。副題が「だれでも天才になれる」というのだから思わず手が出るではないか。著者は最先端の脳科学者であり、科学的な勉強法を実践すればそうなると心底思っている。決して誇大宣伝ではない。著者によると、記憶には経験記憶、知識記憶、方法記憶があるが、知識記憶は忘れやすい。正確に言うと、脳のどこかに貯蔵されているはずなのだが、想い出しにくい。経験記憶は感情と意識の2条件に支えられてよく覚えることができる。覚えるためには、経験記憶と結びつけると効果的。また、方法記憶とは無意識の理解の仕方であり、いったんそれを理解するとどの分野にも応用が効く。この魔法の記憶を修得すると、学習効果は指数関数的にあがる。そのためには努力の継続が必要である。結論は平凡だが、そのメカニズムの説明に説得力がある。斎藤孝氏の普遍的な上達論と通底した問題領域を感じる。

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学習には教科書型とカタログ型の2種類のやり方がある。文化人類学者の山口昌男氏が『知の旅への誘い』(岩波新書、中村雄二郎氏との共著)でそう述べている。教科書型の勉強とは与えられた教科書を隅々まで何回も読み理解するやり方。一般に学校での勉強がそれである。カタログ型の勉強とは、著者の思考過程を辿るために、引用された参考文献をあさる勉強の仕方である。カタログ型の勉強は思いもかけない方向に関心領域が広がっていく。そんな不思議な経験をしたのが本書である。氏は『笑うカイチュウ』などの著者で、回虫学者として有名な方。花粉症などのアレルギー疾患が蔓延しているのは寄生虫とヒトとの共生が戦後の過度の衛生思想が普及して失われたためであるとする。非常に独創的な考えだ。この共生の意味を生命の歴史に遡って考察しているのが本書である。このなかで、安保徹教授の『未来免疫学』という非常におもしろい本のことを知った。1997年のことである。自律神経系と免疫系との解剖学的生理学的関係を直接に論じていることがかなりの頁をさいて紹介されている。直観的にこの本はカイロプラクティックにも役立つと思った。また、リン・マーギュリスの連続共生説と細胞共生進化説の骨子を知った。女史は『共生生命体の30億年』(草思社)を著している。これらの著作は大いに刺激された。別途述べたい。

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ともかくおもしろいから、読むことをお薦めする。「恋と密教の古代」、「院政期の乱倫とサロン文化」、「異形の王とトッリクスター」、「足利時代は日本のルネッサンス」、「演劇時代としての戦国・安土桃山」、「時計と幽霊にみる江戸の日本人」、「遊女と留学女性が支えた開国ニッポン」、「近代日本 技術と美に憑かれた人びと」の8章からなる。

とくに興味深かったのは、白河法皇と中宮・璋子の関係、権力と権威の象徴(代償)としての性的放縦を述べた日本独特の政治支配形態である院政を扱った章である。また、後醍醐天皇と楠木正成を扱った「異形の王とトリックスター」、イエズス会と歌舞伎の関係など、興味が尽きない。対談集の元になったテキストに直に当たりたくなる本である。

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自分のホームページを作る際、そのコンセプトを学ぶ上で非常に役立つ本である。時間がないせいで、私自身このホームページにその成果を十分生かしているとは言えないが、この本で学んだ点を引き続き実行していきたい。私が参考にしたのは、自分自身が利用したくなるホームページの作成を心がける、という点だ。「自分自身が利用したいと思うほど魅力がなければ、他の人も利用したいとは思わないだろう」と著者は言う。なるほど、言われればその通りである。あとは試行錯誤の実験を絶えず試みる、という著者のメッセージ。この2点は大いにヒントになった。先達はいつでも必要である。

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この本はどの道であれ、その道の達人たちから共通した上達法のエキスを抽出して開示してくれる有用な本である。その基本的要素は先に挙げた『子どもに伝えたい<三つの力>』に出ていた要約・質問力、段取り力、まねる盗む力である。とくに古典として親しまれている『徒然草』を兼好法師の上達論として読むべきだという氏の提言は傾聴に値する。いつか、そうした眼でこの書を読んでみよう。

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カテゴリ 2005年以前

この本はパーマー・カイロプラクティック留学時代、倫理の授業のテキストだった。今でも人生の指針とし自分の習慣としているのはその独特な時間管理法である。著者は時間の過ごし方を4象限に分類する。まず、大事なことと大事でないことを分け、次に緊急性のあることと緊急性のないことに分ける。つまり、

1. 象限は大事かつ緊急性のあること
2. 象限は大事だが緊急性のないこと
3. 象限は大事でないが緊急性のあること
4. 象限は大事でもなく緊急性もないこと

となる。では、どの象限が最も大切な時間なのか? 著者は2.象限であると述べる。私の言葉でいえば、先行投資あるいは創造と再生産(充電)に関する時間である。たとえば、セミナーに出て研鑚を積む。本を読む。人間関係を大切にする時間を過ごす。自分のリクリエーション(再生)のための楽しい時間を過ごす、等々。つまり、当面の生産や利益とは無関係な時間だが、長期的に見て次の展開を図る有益な時間とでも言おうか。4.象限は一切ゼロにする。3.象限は極力減らす。たとえば電話の問合せ、売込みなど。また、義理や付き合い。日々の仕事は1.象限だが、この忙しさに振り回されると、じきにマンネリに陥ったり枯渇してしまったり、行き詰まる。年初に2.象限の日程を立ててしまうこと、これが大切だ。そして、この象限の比率を大きくする。わが身を振り返ると、重要事項を優先するというこの原則を習慣にしてきたが、自分のためのリクリエーション時間が不足気味なのは反省点である。改めてこの本のページをめくると、他の重要な習慣のことも思い出される。細部は忘れたが、過去8年間の業務はこの本の原則に沿って運営されてきたように思う。

読書状況 読み終わった
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この本を知ったのは『二十世紀を読む』(丸谷才一、山崎正和、中央公論新社)のなかの「近代日本と日蓮主義」である。丸谷才一氏の批評を読むと、批評で取り上げられた本を読みたくなる。この本を読むと、昭和史の前半は熱烈な日蓮宗徒たちによって動かされた、ということがわかる。まったく知らなかった事実で、これには唖然とした。

北一輝、西田税、井上日召、石原莞爾、5・15事件、2・26事件の将校達、いずれも熱烈な日蓮宗徒である。軍国主義という言葉で括られていた昭和前半史の背後を知ることが歴史を反省するうえで欠かせない。日蓮主義者は一人一人の折伏ではなく、国家を丸ごと日蓮宗に改造してしまうという教義から、国家と結びついて「八紘一宇」(アジア侵略)の夢を果たそうとした。国民的人気作家の宮沢賢治も熱烈な日蓮宗徒であったことは昭和史を考えるうえで感慨深い。日本の精神史(政治と宗教)を考察する上でまたとない好著である。

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これは子どもの生きる力を鍛えるための方法論を論じたものだが、これはその道の達人(プロ)になるための上達論の性格を持っているため、おとなも参考になる本である。もっと上達論が展開されている『「できる人」はどこがちがうのか』(ちくま新書)の序論とも言うべき本。<三つの力>とは
1)要約・質問力 
2)段取り力
3)まねる盗む力
のこと。カイロプラクターにおいてもこの三つの力は事業に成功するかどうかの秘訣である。ゼミで教えていると、この質問力の差がゼミを楽しいものにするかどうかの分水嶺となる。また、技(わざ)を修得するには昔ながらの<見習>、文字通り「見て習う」ことの大切さが強調される。観察することの大事さ。カイロプラクティックの教育においても、この<三つの力>を念頭において、カリキュラムを組む必要があるのではないか。なお、「マインドコントロールの技術」、「私の偏愛マップ」は印象深い。

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私の敬愛する丸谷才一氏は入門篇として権威ある学者の薄い本を読め、決して無名の学者の厚い本を読むな、というアドバイスをしているが、まさにこの格言が当てはまる本である。小脳の世界的権威である著者が小中学生相手に書いたこの本は大切なことが簡潔明瞭に書かれていて、臨床神経学に従事するわれわれにとっても、非常に有益である。何が大事なのかを示唆しているので、言説の強弱がわかる。たとえば、筋紡錘は抗重力筋の感覚受容器として働くが、咀嚼筋の筋紡錘が働かないと顎は垂れ下がってしまう、といった指摘はなんでもないように思えるが、専門書のどこにも見られない重要な指摘である。素晴らしい本の一言に尽きる。

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カテゴリ 2005年以前

解剖学の授業で「理解なくして記憶なし」と強調されたことがある。暗記学問と言われるこの学問にしてしかり。生理学や神経学では理解がなければ記憶できないのは当然のこと。そこで、神経学では記憶の機序をどのようにとらえているのか。この本は側頭葉の奥にある海馬のシナプス増強(シナプスの伝達効率の向上)の機序を簡潔に紹介しているので初心者向きだ。「記憶の3か条」は座右の銘となるべきもの。
1、何度も失敗を繰り返して覚えるべし、
2、きちんと手順を踏んで覚えるべし、
3、まずは大きく捉えるべし。
この通りやれば、かならず難しい学問も踏破できる。ただし、継続は力なりで、継続することが大切だ。図30の「勉強と成績の関係」のべき乗効果はそのことを明瞭に示してくれる。イチローは「もし努力することが天才だとすれば、ぼくはその天才にあてはまるかもしれない」とどこかで述べている。その言がまさにあてはまる著者の見解である。

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