歩く影たち (新潮文庫)

  • 新潮社 (1982年1月1日発売)
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人の生は歩く影にすぎぬ(シェークスピア「マクベス」)。ふと、手にした「パニック・裸の王様」 (新潮文庫)の表紙裏に「玉、砕ける」「怪物と爪楊枝」の朗読版の宣伝があって、こんな短編集があったのか!と知り、手に取る。舞台はほぼベトナム、「戦場の博物誌」にイスラエルとビアフラが出てくる。玉、砕けるの玉は垢を固めた玉で、帰路の飛行機のなかであっという間にくだけた。「怪物と爪楊枝」は絶大な権限を持つ秘密警察のトップたるバウ将軍をバーで見かけたこと、その後の噂を聞いたこと、入院中の病室に呼ばれ、貴重な情報をやるからかわりに、日本から爪楊枝製造機のカタログを送ってくれ、という依頼(軍人としてはもう活動できない怪我を負い、第二の人生のために)…という一篇。本編もそうだが、「私は高いストゥールに腰をおろし、カウンターに肘をおいてペルノーをすすっていた。茴香の冷たくて甘い匂いが唇を濡らし、酒精のあたたかい霧がじわじわと体内にひろがりつつあった。」という何気ない一節に、その場の空気感を感じる。「墜落したエア・ヴェトナムのスチュアデスの一人が蝶々になってサイゴンの家へ戻ってきたという話なんです。今日の第一面のヘッド・ラインは拳骨ぐらいもある字で、スチュアデス、蝶々となるというんですからね」(p.155)(飽満の種子)というエピソードは、人々が何を信じたがるか、何を報道するのか、という今にも通ずる問題を垣間見せる。いつもその場にたって地べたによこたわって呻吟する人を、助けもせず、祈りもせず、ただ手をぶらさげたままでまじまじと上から見おろしているだけの姿勢。そして大後方の空調のきいたホテルの部屋でうつろで激しい文章を書くだけのこと、それでいくらかの稿料をポケットにすることに、そこはかとなく、いいようのないコンプレックスを感じている。やましさを感じる。(p.286)(戦場の博物誌)という一節の苦さも。「いやや、いややといいながらウットリしびれてるやないか。また私に嘘ついて火星へいくつもりとちゃうか。火星の話はもうせえへんという約束や。守ってもらいたいナ」(p.75)(フロリダに帰る)に、黙ってベトナムへ行かれた主人公の妻の気持ちがせまってくる。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 本・雑誌
感想投稿日 : 2023年3月5日
読了日 : 2023年3月4日
本棚登録日 : 2013年2月8日

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