フィッツジェラルドが憧れ、『夜はやさし』のモデルにしたジェラルドとセーラのマーフィー夫婦。ヘミングウェイ、ピカソ、コール・ポーター、エリック・サティらとの華麗な交遊。アメリカからヨーロッパにわたり、彼らなりのスタイルを持った優雅な暮らしをおくる。正直、どのようにセンスが良かったかは、自分の力不足で汲み取れなかったのだけど。エピソードでつづられる1920年代。フィッツジェラルド「最後のほうはぼくとゼルダのことになったが、しかたないよ、きみたちとぼくたちはそっくりなんだから」/「だれかが好きになると」「ぼくはそのひとみたいになりたくてたまらなくなる-ぼくがぼくでしかないことを示すぼくの外見をかなぐり捨てて、そのひとみたいになりたくなる」/サティ「ときどきアメリカ精神に肩をたたかれるのだが、あのアイロニカルな凍りのような感触は気分がいい」/ゼルダ「知らなかった?あたしたち、大事に守りたいものなんて、ないのよ」/ジェラルド「セーラは人生に恋をしているが、人間はいまひとつ信じちゃいない」「ぼくは逆だ。手を加えないかぎり人生はとても耐えがたい」/ヘミングウェイ「気に入ると思うよ、やつはタフだから」/セーラ「スコット」「質問をある程度すればひとのことはわかるとおもってるとしたら、大間違いよ。あなたには人間というのがまるでわかってない」/ジェラルド「無視はしないが、過大視したくない。大事なのは、なにをするかではなくて、なににこころを傾けるかだとおもっているから、人生のじぶんでつくりあげた部分しか、ぼくには意味がないんだよ」/フィッツジェラルド「きみとセーラに助けられているのが…唯一のうれしい人間的なことだとおもうことがよくありました。ひとは通り過ぎてぼくを忘れていく、と生意気にも考えていたものですから」/彼らの語るフィッツジェラルドは、才能にあふれ、度し難い面も多々ありつつも、美質をもった愛すべき人だったけど、その人間的な理解は浅く、その文学も深みに到達していなかったといったところなのだろうか。もっとフィッツジェラルドの伝記や研究にもふれてみたくなった。
- 感想投稿日 : 2014年11月8日
- 読了日 : 2014年11月30日
- 本棚登録日 : 2014年11月8日
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