過去30年の東大現国入試。その至高の第二問。
99年まで東大入試現代文には、「二百字作文」と呼ばれる問題形式が存在していた。それはある文章を読んで、それについて感じた事、考えた事を二百字で述べよ、というものだった。
後年になるほど「単に要約、説明、体験談を求めているのではない」という注釈がつくほどこの問題にたいして率直に意見を述べる学生の割合が少なかったのだろう。作文なんて何年ぶり、という学生も多かったのかもしれない。
それはさておき、そこで取り上げられる文章がどれもこれも「死」を意識せざるを得ないものばかりで、まるで東大現代文は死に取り付かれているようだ。
一見、死の香りもしない文章の引っ掛かりを探ってみると、その根底には死が潜んでいる。
伝説の良問と名高い1985年の金子みすずの詩は、そのまま読めば弱者への配慮を忘れないように、ともとれる。
だが、これは誰もが誰かの犠牲に成り立っているという「みんなクロ」という構造を示している。
他人事ではなく、私たち自身が被害者でありながら加害者であるという意識を突きつけている。
一般的な受験勉強ではこのような考え方については教えられない。けれど、死や罪といった答えの出ない矛盾や苦しみを持つ「デクノボー」たちに東大は優しい。そういう人を求めているのだろう。
その「死」であるが、死とはまた生の対極にあるものではない。
時間軸が生から始まって真っ直ぐに伸び、最後に死で終わる。このような時間軸なら生まれたものには死に向かって生きている。
けれど、それとは別の時間軸、季節で円環する時間軸もある。そこには死(冬)の後に生(春)が来る。そして、また死に向かっていく。
誕生=死の方程式が成り立ち、生まれるためには死をくぐらなければいけない、という世界観がある。
すると、死は回る時間の中の一つの過渡期にすぎない事が分かってくる。
排除しがちな死は以外にも日常の中に潜んでいる。それは夢の中の空き地の光景の泣きないほどの懐かしさだったり、線香花火の落ちる灯の切なさだったり、散っていく桜の花びらの儚さだったりする。
その小さな死に目を向けると、私達の日常は容易にひっくり返ったりするのだ。
死とは生の始まり、とは何も季節の例えにすぎるわけではない。
生き物は皆死ぬが、誰だって死には恐怖を感じる。だが、死をだんだんと受け入れられる心境に変わっていくらしい。それは積極的な死への希求ではなく、次世代が自分達の役割を担っていく事を認め、生を諦める事、と記述されている。
その意味でこの社会は祖先の遺産/犠牲の上に成り立ち、私達は彼らからプレゼント/負い目を受けている。
私達の役割とはその債務手形を次世代に引継ぎ、どんどんドミノ倒しのように次へ次へ渡していく事だ。
死の上に生が成り立ち、誰もがそのドミノの上にある。
その事が「第二問」の根底を流れるテーマだった。
・蛇足になりますが、備忘録として引用します。
「言葉」の語源(「言」はコトの全てではなく、ほんの端にすぎないもの)
「子供の頃、おそらく私達の多くは似たような経験をしているはずだ。
遠足の興奮をあとで作文に書こうとして、できあがった文章がどうもしっくりこなかった経験として。
遠足という事態を振り返って捉えようとした瞬間、その時の興奮は手からすり抜けていってしまい、何度「楽しかった」と繰り返しても、陳腐な「抜け殻」の負ような表現になってしまう。
(中略)
まして言葉によって乱舞する雪という「こと」を表現しようにも、ほんの「端」にしか言葉(ことのは)にならない。」
- 感想投稿日 : 2010年9月3日
- 読了日 : 2010年9月3日
- 本棚登録日 : 2010年9月3日
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