安田峰俊(1982年~)は、立命館大学人文科学研究所客員協力研究員も務める、ノンフィクション作家。立命館大在学中に中国・深圳大学に交換留学した経験から身に付けた流暢な中国語を駆使した、中国関連の書籍や雑誌媒体、テレビ等での活動で特に注目されている。2018年出版の『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』で城山三郎賞及び大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
本書は、2015年に単行本で出版された『境界の民』を加筆修正の上、2019年に文庫化されたものである。
本書のテーマは題名通り「境界の民=マージナル・マン」であり、取り上げられているのは、在日ベトナム人、日本ウイグル協会、日本人と中国人の間に生まれた女性と幼少期から日本で育った中国人、中国の国共内戦に敗れた国民党高官の息子、台湾のヒマワリ学連等、日本及び著者が得意とする中国に関わる「境界の民」たちである。
著者は文庫版あとがきで、「当時の自分はよくも、こんなに扱いが難しい題材を選んだものである-。」と語っているのだが、確かにこのテーマは、難しくも、現代の世界において、最も重要なテーマのひとつである。日々の国際報道を見ていても、米国や欧州各国での移民・難民の排斥を唱えるナショナリズム/ポピュリズムの高まり、香港や台湾での中国の支配力(影響力)強化に対する反対運動、中東シリアの難民問題、ミャンマーの少数民族ロヒンギャ問題などが取り上げられない日はなく、多くの国際的な問題の根源(というか、その結果)はここに見られるとも言えるのだ。
日本の人びとは、世界の他の国々に比べれば概ね単一の民族(琉球の人びとやアイヌ民族はもちろんいるが)による、海に隔てられた島国であることから、こうしたテーマに対する感度が相対的に低いと思うのだが、最早、我々日本人だけがこうした問題から目を背けていることはできない。
最近は、身近にも移民や日本人と外国人の間に生まれた人びとが間違いなく増えているが、我々日本人にとって大事なことは、彼らを単なるステレオタイプで捉えるのではなく、彼らを理解するように努めること、更には、それを基に世界の人びとを想像することなのではないだろうか。
世界を偏狭なナショナリズム/ポピュリズムが席巻する今こそ、手に取る価値の大きい一冊と思う。
(2019年11月了)
- 感想投稿日 : 2019年11月9日
- 読了日 : 2019年11月8日
- 本棚登録日 : 2019年4月28日
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