キャシーの思い出話のような話が延々と続く。何のことなのか、なぜここまで記憶が良いのか、不思議な霧の向こうの景色を見るような話が延々とつづく。
そして、話の全貌が明らかにされ、すべての謎が解明される。

現実ではありえないフィクションといえばフィクションであるが、
実は私たちも死を迎えるべくして生きていて、誰かのために生きたいという欲望もあり、何のために生きるのかはよくわかっていないのだ、人生について深く考えさせられる本。
さすがはカズオ・イシグロだ。何年も積読状態だったのを後悔した。

2010年10月25日

読書状況 読み終わった [2010年10月25日]

内省的で抑制された文章、よく考えられたプロット。
イギリスを舞台とした日本の私小説のようでいて、
それでいて英国精神がに根底に流れる本。
日本の作家でいえば村上春樹氏と近いのかもしれないが
イシグロの方が剛直か。

2011年2月24日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2010年11月26日]

ガルシアマルケスの代表作。
焼酎の名前にもなっているので、題名ばかりが有名だ。
それもそのはず、登場人物は名前が同じだったり、挿話がどんどんひろがって話の始まりがなんだったかわからなくなったりする。
単純な話は 俯瞰して 誰がどうしてどうなったと簡単にまとめられるが、実際の現実は決してそうでない。
挿話につぐ挿話とは私たちの人生そのものなのです。
廊下をあるけば 会うつもりのない人にあい。 何かを食べようと思えば別のものを食べていたり、われわれはまるでパチンコの玉のようにあっちにあたりこっちに当たりいきている。それでいて 何がしたい こうなりたいという意志の働きも決して無視できない。
この小説はプロットではなく ひとつひとつのエピソードをシャワーを浴びるように読み進めるべき小説だ。

日本の小説に飽きた人 読んでみてください。

2010年11月25日

読書状況 読み終わった [2010年11月25日]

2010年ノーベル文学賞受賞者リョサ氏の80年代の代表作である。
テレビで村上春樹氏がノーベル文学賞を受賞するかもしれないので期待して待つファンの人々の様子を流していた。そして携帯にニュースが飛び込み「えっリョサ氏??」「あー残念っ!」と明らかにリョサを知らなさそうな女性の反応が映し出されていた。そうかリョサもしらないと思いつつ、自分もリョサを名前しかしらないことに気づいた。60年代にラテンアメリが文学ブームがあって、80年代に学生だった私もボルヘス、マルケス、リョサなどの名前はよく耳にしたものだ。そう考えるとテレビでみた女性は若くて、私は年配だというどけのことかもしれない。確かにリョサ氏などノーベル賞受賞以前、近年はあまりお目にかかっていない。
 ならばこれを機会にと取り組んだ 私にとっては2冊目のリョサ氏の本。
先ほど読み終わったが、結構難物であった。脈絡もなく何を示すのかわからいカタカナが突然できたり、神話のような話と現実が交錯するというするマジックリアリズムの文学にありがち話も頻出する。
 朝日新聞では 池上彰氏が ノーベル文学賞を受賞したリョサ氏を紹介する各新聞の記事を読んで「さっぱりわからなかった」と書き、それを受けて大江健三郎氏が、より長い文章を先日の長官に寄稿していたが、要するに「食わず嫌いをせず読んでみて」という文章だった。この二つの文章を読んでリョサを読む気にならないと家内は言っていた。二言三言でノーベル文学賞の世界をまとめられたら大したもんだと思うが、それは難しいのじゃないだろうか。でもそのむずかしさに挑戦してみよう。これを読んで一人でもリョサを読みたくなったら私の試みは成功だ。

私は今本を読んで 難物だったが・・・読んでよかった。
この本でリョサはアマゾンの奥深く生きながらえてきた先史文化にシンパシーを表明する登場人物を描く。近代文明に接して、いきなりその軍門に下るのもあるだろう。しかし、車や銃を知ってなお、旧い生活様式を捨てないといはどういうことなのか、そちら側の視座を持てという。
 古事記を読むことは単に教養の一つなのであろうか。現在、神話はわれわれの中に生きていないのであろうか。あの世とは全くのレトリックなのであろうか。ならばなぜお墓を作る。神社仏閣に参る。お守りをつける。
 リョサ氏のつきつける課題は遠いアマゾンの密林の中で行われる話ではなく、文明化された私たちにも共通の課題なのであり、それに相当の筆致で取り組んだ成果の一つとしてノーベル文学賞の受賞があるのだと思う。
効能は・・・、
太古の神話世界をリアルに眼前に描いてみせてくれる。
西洋文明を疑ってみろと提案してくれる。
世界とは言葉で表されて、それも語り口調でこそ表現されるものだということに気づかせてくれる。

2010年11月19日

読書状況 読み終わった [2010年11月19日]

読書愛好家の間で話題になり、数珠つなぎに紹介されて読んだ。
多くの小説を読んできたすれっからしにアッパーカットを一発。
そんな本だ。
平易な文章、信用しないということ、求める愛、そして社会主義社会への批判。
二人の証拠、第三の嘘へと続く3部作の最初の1冊だが、これが特に秀逸。2冊目以降は読む必要無いとまで言い切っても残りの2冊をつい読んでしまう力のある本だ。

2011年2月24日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2010年11月26日]
カテゴリ 海外文学

読売新聞の書評で読んだからか、なぜだか理由は不明ですが図書館に予約してあったらしく、到着したので読みました。
いやー、苦労しました。出てくるのは狂人というか常軌を逸した人ばかり。それどころか小説で起こる出来事も不条理なことばかり。登場人物が狂人なのか、著書マムレーエフがおかしいのか、それともそのおかしな本を読み続ける自分がおかしいのか、読んでいて意識が紙面から離れてしまうのを何とか踏みとどまり、1週間ほどで読み終えました。読んだからと言って十分理解できたとは決して思えません。この作品は著書著者マムレーエフの実体験をもとに書かれたようなのですが、社会主義革命が成ってロシア宗教と断絶され、同時に東西の哲学や思想が流入してきた当時のロシアの知識人の奮闘と狼狽がないまぜになり、さりとて生活は貧しく、かといって生活を改善する見込みがないインテリゲンチャたちの阿鼻叫喚のような小説でした。
 小説中に見られる形而上学的なレトリックが秀逸でした。

2024年6月10日

読書状況 読み終わった [2024年6月10日]

中島京子さんの小説を、読むのははやさしい猫についでニ冊目です。新聞の書評か本の広告で引っかかったのか図書館から借りてきました。電車の中でほぼ1日で読み終わりました。
アメリカ帰りの50過ぎのバツイチの大学教員がひょんなことから借り住まいすることになった東京郊外の庭のある一戸建て。その町うらはぐさで主人公が出会う様々な人々。それは古い一戸建ての様な懐かしい人間関係を築ける人たちでした。家の庭をボランティアで手入れしてくれる秋葉原さん、その連れ合いの刺し子手芸の真弓さん、そして今時の学生とは違う一風変わった学生たち、そして小学校の屋上に菜園を作ろうとする校長先生。
個性的な面々が令和の功利的な社会に抗してオーガニックな人間的な自然や土の匂いの感じる街を作ることになんとなく目覚めていくという小説でした。

2024年4月24日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2024年4月24日]

芥川賞作家
綿矢りささんの作品。
年の離れた夫の赴任先のコロナ下の中国北京に
いくくととなって、元キャバ嬢の嫁の独白の形式の小説。
北京の街や人々の様子がよくわかるのでその点は楽しめました。
主人公はひとからどう見られるかが重要で、あまり内容のない人間に思えた。
 共感もできず、いい小説とは思えなかった。
苦労がない人間の苦労のない話です。

2024年4月17日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2024年4月17日]
カテゴリ 日本人作家の本

まさか続がでるとは思わなかった続窓ぎわのトットちゃん。黒柳徹子さんも90歳を超えてこれだけ書けることに敬服する。
テレビで拝見する限り、滑舌にも衰えが見えるが、本人はいたって普通なのかもしれない。
前作はトモエ学園という自由な校風が著者にいかに合っていたかという本だったが、この続編は父親や母親の事、そして彼女の目から見た戦争体験が綴られており興味深かった。大岡山は父の実家のあったところで年齢も近い筆者の両親とトットちゃんがが接近遭遇してたかもしれないと思うと感慨深い。筆者の両親も疎開はしていた。
NHK に入ってからの話もとても面白かった。

2024年4月10日

読書状況 読み終わった [2024年4月10日]

図書館の新刊コーナーで見つけて読んだ。
望外の収穫であった。与謝野晶子や樋口一葉より古いのに、全く古臭くない。唐宋伝奇集や御伽草子のような雰囲気もある。
簡潔な文章、卓越した文章力、予想できない展開。素晴らしい作家に出会えた。翻訳も読みやすくこなれている。
この作家は存命中、イエイツに激賞され、共に過ごす時間もあったようだ。
ブロンテ姉妹よりは新しいが、アイルランドが19世紀にすでに文化が熟していたことがわかる。ジャガイモ飢饉でも大丈夫だった家系なんだろうか?

2024年3月16日

読書状況 読み終わった [2024年3月16日]

コロナ下でなかなか辺境に出かけられなかった高野さん、語学の本など書いておられたが、実はイラクの湿地帯という誰もあまり目を向けてこなかった原石の辺境(なんじゃそりゃ)を見つけておられた。
私たちは普通名前が似て、隣接しているのでイランとイラクという二つの国家と認識しがちですが、この二つは全く違う。サファヴィー朝の頃まで13世紀までイラクの辺りを支配していたのはイランの祖系であるペルシャ帝国であり、その後オスマントルコの支配になったりして、第一次大戦後のオスマントルコの解体にともなってイラクができたのである。つまりイランはずっと国家、イランはずっと辺境なのである。
さて今回高野さんが訪れたのはイランの湿地帯つまり辺境の中の辺境ということになる。
またこれまでの旅と、違うのは主に二つ。山田高司さんという船旅に強い同行者がいること。山田さんはそれだけでなくイラストも上手で本書の多くの氏のスケッチが掲載されている。もう一つは過去の本に比べて高野さんの勉強が深くなっていることである。未邦訳の本もたくさん読み込み現地にとりあえず行っていきあたりばったりというのが高野さんの取材スタイルなのであり今回もほとんどいきあたりばったりなのだが、事前や事後の勉強量が半端ない。本当に目にしたものを理解しようとしていることがよくわかる。
さて、本の内容だが、イラクの湿地帯アフワールに行き、水牛とともに生活する湿地の民に出会い、そこで伝統的な船を作ってもらい、マーシュアラブ布の謎に迫るという内容であった。
そこは自然と共生する国家を主体とする文明とは隔絶した世界が広がっていた。
(読んでから数ヶ月経ってからこれを書いているのですでにだいぶ忘れてしまっている。やっぱりすぐ書かないとダメです)

2024年4月25日

読書状況 いま読んでる

図書館で雪や氷をテーマにした本を集めて単列してあった借りて読んだ。1990年代にデンマーク語書かれた本でその頃流行っていた薔薇の名前と並んで非英語圏の本なのに世界的に売れた本でかつガラスの鍵賞を受賞したということで期待して読んだが、楽しめなかった。
主人公の女性が友達で自分と同じグリーランド出身の少年の死に疑問を抱き、謎を解きながら少年の死の背後にある陰謀を暴くという探偵ものでした。なぜそこまで危険を冒して解明しようとするのかわからないし、関係者がなぜ主人公に協力的なのか、そしてなぜ船に乗ろうと思ったのかのかなど話のプロットがご都合主義の感じガラスして面白くありませんでした。
それでもデンマーク人とグリーランド人との軋轢や雪や氷や氷山の描写やヨーロッパ文明に対する批判などが盛り込まれておりキラリとひかる点もありました。なんとか苦労して読み終えた一冊でした。

2024年3月13日

読書状況 いま読んでる

こわれた魂の著者、水林章氏による日本の政治の腐敗が日本語にあるとするエッセイ。社会が言葉を作り、言葉が社会を作るとすれば両者は相互補完的であるので、単に日本語が、悪いのではなく、日本社会というものに埋没している封建精神あるいは天皇制的なものが、法の下に皆平等という健全な市民社会を成立させる障害になっていると著者はいう。丸山眞男や加藤周一、田中克彦などの先人の文書も引用しつつ、社会的属性を離れて同等の視点で議論できる風土がないと著者は言う。
 ここで気になるのは著者は安倍晋三を頂点とする(した)自民党を批判しているが、その対抗馬である民主党や、共産党などについての言及が全くない点である。火事の消し方が悪いと言って懐手で見物している様である。著者はフランス語を50年以上にわたり勉強し、教鞭を取って来たのだから、フランスの言葉や習慣と比較して日本の政治土壌が貧困であると嘆くのはよくわかる。
 しかし、私たちはとにかくフランス人ではないのだから一朝一夕にはフランス人の様にはなれないし、ならなくても良いと思う。そう考えると、社会的属性を超えて議論する風土を醸成することが重要なのではないだろうか?
100編以上の引用文献があり、読書案内の効用もあった。
ただし、いろいろ気になる点がある。ルソーの社会契約論はそもそももキリスト教という文化的土壌があることを無視していないかという点、また日本語の特性に天皇制が埋め込まれているというが、現在の日本で接客中の日本語に敬語が利用されるのはサービスをスムーズに行うためではないだろうか?話相手との上下関係を意識することが自由闊達な議論の障害になっているのは認めるが、議論しないでスムーズに事を進めることができるという利点も敬語にあるのではないのかという点である。
そういう意味でこの本は問題があると言って石を投げて終わっている様な印象を受けた。
しかしこの本は色々と今後の日本をよくするために重要な、本であることは間違いない。よく書いてくれたと快哉を叫びたい。

2024年2月18日

読書状況 読み終わった [2024年2月20日]

家内が図書館から借りて来たのだが、漫画のストーリーではなく、活字でパレスチナやイスラエルの歴史を簡潔に聞き書かれており、それを補う形でイラストが、あるどという体裁の本である。メソポタミア文明から20世紀末までの歴史が簡潔にまとまっている。19世紀末から20世紀が詳しいのは多分現在に近いからであろう。いわゆるユダヤ↔︎パレスチナ問題が実はイギリスやフランスやアメリカ
播いた問題であることがよくわかる。2000年も国を持たなかったユダヤ民族に金銭を介して国を与ええた(パレスチナから土地を買った)結果、色々な軋轢が出て来た経緯がよくわかる一冊となっている。イスラエルにいる反パレスチナも少数でパレスチナにいる反ユダヤも少数であると聞くが、国際政治の狭間に両国は位置してしまっている。アメリカ、ロシア、イギリス、イスラエル、アラブ諸国の意向がせめぎ合うおしくらまんじゅうとしてのパレスチナ問題が、あることがよくわかった。ぎゅうぎゅう押されて餡が出ると問題が表出する。
分断するのではなく共生する緩衝地帯を設けるべきなのではないだろうか?

2024年2月17日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2024年2月17日]

火野葦平の息子による思い出話。
北九州市自分史文学大賞受賞作。
火野葦平の自殺の前後や、子供からみた火野葦平の様子がわかる。
玉井マンや火野葦平の写真もあり、花と龍を読んだものにとってはそれなりに面白く読んだ。
 火野葦平が自殺したのは鬱病だったのかもしれないが、やはり追放のような戦争犯罪人と糾弾されたのか、自身の健康上の理由だったのかはっきりはしないが、親族ならではの内容だった。

2024年2月16日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2024年2月16日]

火野葦平の父親を主人公とする伝記小説の下巻。金五郎も仲仕の親分となり、ゴンゾの生活を守るために東奔西走する。あとがきで著者の火野葦平は一時マルクス主義に傾倒したことがあると本人が書いているが、火野葦平の小説は底辺の人々に温かい視線を送るようなところがある。
恋愛もあり、一家のサーガのような側面もあるが、全体を基調とするのは任侠映画のような対立する組織同士の抗争である。金五郎があくまで暴力に頼らないで解決しようとするのも任侠物と似通っている。(任侠物は最後は大抵暴力で解決するが)。この小説は昭和二十七年から二十八年にかけて読売新聞に連載されたそうでその後石原裕次郎主演で映画化されている。今では古臭いような血の気の多い仲仕の抗争が当時の日本人にはうけたのだと思われる。火野葦平は戦争を賛美したと言われ最後は自殺してしまったという事だが、このような筋を通す生涯をおくった金五郎の息子がそのような運命になるとはなんともやりきれない。

2024年2月10日

読書状況 読み終わった [2024年2月10日]

劇団文化座が花と龍を上演するというので観る前に読んでおこうと思い読んだ。その舞台のチラシにスタインベックのエデンの東との比較が乗っていたので、先にエデンの東を読み、次に花と龍を読むこととした。エデンの東も映画化されているが、花と龍も映画化されている。どちらも作者の係累や知り合いを登場人物とするノンフィクション色の濃い小説である。
花と龍はヤクザではないものの血の気の多い仲仕たちが主人公で任侠物のような活劇と、なっている。話のテンポも良いし、勧善懲悪のような大衆小説である。スタインベックもそうだから昔はエンタメと言っても、人の本質とは何かとか、行動の規範はどうあるべきかを主人公が思いなやむシーンが出てきて昨今のエンタメとは様相が異なる。小説が今より社会的に影響力があったので、作者も気合いが入っていたのだろうと見受けられる。ネット上の記事で知ったのだが、1957年に日本で初めて国際ペンクラブが開かれたとき、参加したドナルド・キーンが英訳された日本の近代文学作品を探したら火野葦平の麦と兵隊しかなかったというくだりがあった。またその大会にはスタインベックも参加している。スタインベックは麦と兵隊を、読んだのであろか?ひたすら濃い格好の良い金五郎とマンのその後は如何に?で、下巻に続く。

2024年2月7日

読書状況 読み終わった [2024年2月7日]

スタインベックの長編。
サリーナス盆地の自然と格闘する人々と技術開発をするサミュエルハミルトン、古典的な女性のライザそして、南北戦争従軍し、退役後なぜか成功するサイラス・トラスク。
19世紀まつから20世紀にかけて両家をめぐる、物語の序章。
 自然の描写がスタインベックらしく素晴らしい。

2024年1月31日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2024年1月31日]

スタインベックが自ら最高傑作と認めるトラスク家トハミルトン家の物語、最終巻。
 この巻ではハミルトン家の人はあまりでてこず、アダムとラスクとその息子、アロンとキャルの物語である。キャルは父親の愛を得たくて、ビジネスで成功するが、それでも父に認められない。一方アロンはキリスト教にそまり、あくまで純粋であろうとする。そして自身の純粋でない部分を嫌悪する。そう考えると二人とも、現実は十分恵まれているのに、もっと遠くへ、もっと理想へと突き進もうとする。そしてそれが、悲劇へと繋がっていくという物語である。
 二人の母親のキャシー(ケイト)の悪女ぶりが物語の終焉で発揮されるのかとおもったが、あっさり自殺してしまった。
 今日、スタインベックの怒りのブドウやハツカネズミと人間に比べて、あまり評価が高くないようだが。この作品は父親の愛を得られるかという問題と、アメリカ人が追い求める規範は何かいう二つの問題が扱われいる。
アロンはキリスト教と無私という崇高な精神に向かい、キャルは現実的にビジネスの成功にむかった。それはどちらも父の望むものではなかった。
 召使のリーが賢く、また生活を楽しむ術をしっており、教養もあって物語を重奏的にしてくれている。
 悪女キャシーの人物がもう少し、悪女なりに魅力があるように描ければ作品の評価も上がった思われる。
 この作品は19世紀末から20世紀初頭の話だが、電話や車、戦争、列車輸送など現在にも通じる時代背景で古さを感じさせない作品であった。

2024年1月31日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2024年1月31日]

元朝日新聞の記者で原発の事故後退社して、電気をあまりつかわない生活をしていることで知られる稲垣えみ子さんのフランスリヨンでの民泊体験記。
 フランス語や英語もそれほどできるわけではないと本人は書いているが少しはできるようである。
 いわゆるパック旅行とは真逆の観光地をめぐらず、地元の人たちと同じようにリヨンという街で生活してみようとし、どのように現地人と交流できるかと四苦八苦する本である。
 もう少しフランス語を勉強すればもっと面白い旅になりそうだと思ったが、本人はできるだけ自然体で(ありのままの自分で)フランスの人と人間的なつきあいができるか挑戦したような旅である。
 稲垣さんは滞在先のフランスでもパソコンを開いて、日本からの仕事をこなす(文章をかいている)。
日本のスーパーでは誰とも話をせずに買い物ができてしまうが、フランスのマルシェでカタコトのフランス語でコミュニケーションをとろうとする稲垣さんの姿勢は反原発の彼女なりの運動(社会的な運動ではなく、彼女の私的な)なんどと思う。
 それは笑顔と気遣い、思いやりに実満ちた社会の古構築をめざす運動と言えるだろう。

2023年12月31日

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読書状況 読み終わった [2023年12月31日]

朝日新聞の書評欄でとりあげていたので読んだ。
親の認知症が顕在化してきたというのも動機の一つではある。
高橋さんはひとりぐらしの認知症の親と暮らしているのだが、お父さんの認知や徘徊が相当ひどい。うちの親はまだここまではきていない。
 著者である息子と会話はするもののトンチンカンな返答ばかりで、おかしな会話となってしまう。それを著者が読んできた哲学書や思想書と照合するとなんとなく腑に落ちるというような気づきがいろいろ出てくる。会話も支離滅裂なら、思想との結びつきもおもいつくままって感じで、ニーチェとかアリストテレスとかウィトゲンシュタインとかだされても、一過的で読んでいるほうとしてはあまり深くは共感できなかった。
そういうふうに考えてもいいんじゃないですか。といった感じでした。
 そもそも哲学とか宗教は日常当たり前と思っていることを当たり前とせずに深いところからものをみて本質を捉えようとすうので、認知症に世界に当て嵌めてもなんとなく通ってしまうってことではないんでしょうか。
 結局、認知症の人が幸せにいきるようにしからず、また危険や不潔はさけて生活できるようにするしかないのではないでしょうか。

2023年12月29日

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読書状況 読み終わった [2023年12月29日]
カテゴリ 介護

数学の未解決問題の一つゴールドバッハ予想に取り組むことでほぼ人生のすべてを費やした伯父の話。
主人公は親戚から疎まれているぺトロス伯父が実は著名な大学の前教授で今も尊敬されていることをしり、伯父が本当はどういう人なのかを知りたくなり、自身も数学の魅力にとりつかれながら、伯父の人生について伯父に聞くという体裁の本。
 数学の証明はその問題が長年の未解決問題なればこそ、難問中の難問である。それをとくには直観と推論とさまざまな思考実験を経て突然啓示のようにひらめくものかもしれない。あるいはひらめかないまま一生をおえるかもしれない。
 この本は難問にとりつかれた数学者の半生を扱った小説だが、数学者の苦悩と喜びを一般の読者にもわかるように教えてくれる。こういう本は本当に数学を勉強した人でないと書けないような気がした。

2023年12月22日

読書状況 読み終わった [2023年12月22日]
カテゴリ 海外文学

チェコの作家というと、古くはカレル・チャペック、少し新しいところではミラン・クンデラあたりが有名だが、アレナ・モルンシュタイノヴァーなんて作家は知らなかった。奥付けによるとチョコでは人気の現代作家のようである。
決して明るい話ではないが面白く読めた。
この小説は1935年生まれの父親と1980年生まれのその娘を主人公としてそれぞれの視点で交互に語られる物語である。娘は父親に愛されておらず、娘は父親に心を開いていないことがわかる。それがなぜなのかは分からず読者は戸惑う。しかし読み進めるうちにその二人の間の溝がなぜ生じたのかが明らかになってくる。
父親の最初の妻はピアニスト、その娘もピアニストであったのだが、妻と最初の娘は不幸な事件がきっかけで父親の目の前からいなくなる。二人の不在は二番目の娘には伏せられている。この作品は、父と娘を中心に据えつつ、父の母、最初の妻、二度目の妻、父の姉妹などの人物を描くことで、作品に奥行き与えている。
この作品の特徴は沈黙あるいは会話による問題の解決が見られない点にある。父も決して饒舌ではなく、ただただ共産党の方針に忠実であろうとしている。娘は身振りや表情で伝えようとしているのだが父親には伝わらない。二度目の妻はコラージュが自己表現の方法である。
 物語は二人の視点でそれぞれ交互に語られるが、読み進むうちに、二十世紀後半から二十一世紀にかけてチェコの政治情勢や経済情勢がどう変化し、人々がどう翻弄されたのかがわかる構想になっている。
作品の中で、経済的豊かさはあまり追求されていない、それより音楽であったりコラージュのような美術作品であったり、庭仕事のような個人的な趣味嗜好が登場人物が大切にしていることがわかる。これらは生きづらい社会から逃避するための手段というより、それらにすがりながら懸命に生きているチェコの市井の人々の生き様もそのものなんだと思った。

2023年12月14日

読書状況 読み終わった [2023年12月14日]

八重洲口のエリックサウスなどでしられる稲田俊輔さんが長年の飲食店での仕事をしながら垣間見た飲食店側と利用客についてのエッセイ集。飲食店はビジネスでやっているので利益を上げねばならず、利用客はお金を払っているのだからあるいていど要求があり、両者の事情があえばベストマッチとしてウィンウィンとなるが、不幸にして合わないことがある。それは店側の技量不足や客の認識不足に起因するのであれば歩い程度仕方ないと言えるが、来る客くる客に不満を抱かせる訳にはいかない。そこで店側としてここはどういう店かをいろんな手でアピールするのだが、それでもわかってくれない客が一定数いるのは事実。
評者も色々と料理をするのでプロの料理人の苦労が垣間見えて面白かった。しかしキャバクラやマルチの勧誘の話などは面白エピソードであるものの楽しい話ではなかった。レストランといえども常には飲食が中心ではないということを気付かされてくれた。

2023年12月8日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2023年12月8日]
カテゴリ 料理人の本
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