定刻発車―日本の鉄道はなぜ世界で最も正確なのか? (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (2005年4月24日発売)
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感想 : 73
5

発売されてすぐのときに書店で見かけて以来気になり、手元に置いてあったものの長らく本棚の奥で眠っていた本書。タイトルが直球だし肩の力を抜いて読めそうとおもって選択したところ大正解だった。
近年、海外の職人や技術者などを日本に招いて日本の技術水準を紹介するようなテレビ番組が量産されている影響か、「日本の鉄道の正確さ」はいまや定番のネタとなった感がある。ただ本書はそうしたブームにかなり先んじて書かれたこともあってか、安易な日本礼賛といった論調にはなっていない。また「鉄道の正確さ」の解説となると技術面ばかりに注目が集まりやすいように見えるけれど、これだと「なぜ」という問いの片面(つまり"How")を説明するものにしかなっていない。そしてもう一方の側面(つまり"Why")については、「国民性」などの単語で片づけられてしまいがち。本書はこの"Why"の問題、つまり正確な鉄道が日本に根づいた経緯をいろいろな視点から検討しており、この点こそが最大の特色と言える。
とりわけ鉄道が日本にやってくる明治以前の、江戸時代の段階から正確な鉄道を作り出す環境がかなりの部分準備されていたという著者の観察は大変興味深い。たとえば江戸時代の交通は基本徒歩移動であり、人が1日に歩ける距離ごとに宿場が設置された。このため日本の都市は人が歩ける間隔で、鈴生りになって発展したという(例:東海道五十三次)。このような環境に鉄道を敷設すれば、近隣の都市に出かける短距離の需要が生まれやすくなる。すると駅間も短く設定されるので、運行管理をきめ細かく行う必要が出てくる。また短距離の移動となると、利用者は頻繁運転を求めることになる。というのも次の列車までの待ち時間が長いなら歩いた方が早い、となるから。こうした事情が、緻密な運行計画をつくる動機づけになっているという。また江戸時代には、鐘によって人々に時刻を知らせる「時鐘システム」が全国レベルで成立しており、当時から人々はある程度の時間感覚を持って生活していたという(ただし当時は「不定時法」)。さらに江戸時代には参勤交代の旅程を組むための「旅程ダイアグラム」が存在したことなども紹介される。このような事実に触れつつも、著者は「これらの事情のために正確な鉄道が出現した」などと結論を急いだりはせず、あくまで慎重。もちろんこれは定時運転が出現するための土壌を説明するものでしかない。とはいえ、定時運転の背景を説明する試みとして本書の視点は新鮮に感じられる。
「日本の定時運転」について、本書の説明をまとめると大体以下のようになる。

1.日本の鉄道は駅間が短く、さらに需要が一時期に急増した
2.需要を捌く方法として、さまざまな事情からどちらかというと設備の増強よりも頻繁運転に重心が置かれた
3.頻繁運転をするには秒単位での運行管理が必要
4.逆に、もし運行管理が杜撰だとたちまちダイヤが乱れてしまう
5.頻繁運転をしているときにダイヤの乱れを放置するとダイヤの乱れはたちまち拡散し、鉄道システム全体が機能停止してしまう
6.以上のような理由から、鉄道事業者が輸送需要に対応するためには事前の緻密な運行計画が不可欠

定時運転について著者は、まず鉄道事業者の側にその必要があったとする。この主張は豊富な事実とともに展開されているので、大変明快で説得力がある。少なくとも「国民性」「お国柄」などの単語で片づけられたりはしないので、論としての緻密さの面でありがちな説明とはまるで比較にならない。
本書の特色をもうひとつ挙げるなら、"How"の問題、つまり技術面についての解説をしつつも、マニアックな話題に終始していない点だろう。この手の解説は得てして、運転士の職人技などの紹介で終わってしまいがちである。本書にもその手の記述は見られるものの、それは全体のごくわずか。本書では定時運転を支える技術の基礎を説明することに重心が置かれていて、細かな知識やエピソードの羅列といった調子にはなっていない。とりわけ6章は、鉄道にかぎらずリスク評価全般についての入門的な解説としてもそのまま通用するのではないかというほどに、大変読みやすく書かれている。
本書が発売されたのは10年以上前であり、いま読むと技術的に古臭く感じられる記述もそれなりにある(将棋の人工知能の下りなど)。とはいえ、全体としては意外に古臭さを感じさせない内容だとわたしは感じる。おそらく目先の技術ではなく、あくまで基礎の解説に徹したことが奏功しているのだろう。そういうわけで、本書は鉄道について最新の細かな技術を知りたいという人にはまったく不向き。あと難点を挙げるなら、記述にかなり重複が見られるので、文章がやや冗長で散漫さもある。ただ重要な論点がその都度くり返されるので鉄道に不案内な人にも親切、という擁護は一応可能だろう。
最後にすこしだけ余談を書いておきたい。本書の発売日は2005年4月24日だが、その翌日にJR福知山線の脱線事故が発生している。この事故の背景について、運転士が列車の遅れを無理に回復しようとしたのではないかとする説が言われ、定時運転への懐疑が実体化したように感じた記憶がある。本書の後半では、定時運転が鉄道員や乗客の犠牲のもとに成立してきた側面が指摘されている。著者は定時運転をただ礼賛しているのではない。その意味では著者の懸念する先に事故があったと言えなくもないけれど、あれだけの惨事をこんな見方ひとつで片づけてしまえるものでもないだろう。著者がこの大事故を予言できるはずもなく、技術面についての本書の記述はいくらか楽観的に見える。しかし時期が時期なだけに、発売されたばかりの本書を書店で見かけるたび「偶然とはおそろしいなあ」と感じたことが鮮やかに思い出される。これは決して「よい偶然」などではなかっただろう。事故に便乗した本ではまったくないにもかかわらず、発売時期のためにそのように見られもしたのではないだろうか。そのためにずいぶん損をしているのではないか。事故から10年以上経過し「日勤教育」などの単語が忘れられようとしているいまだからこそ、逆にそんなことを感じてしまう。
また本書の発売から現在までのあいだには、東日本大震災の発生とそれに伴う首都圏の計画停電もあった。鉄道各社は運転を大幅に間引かざるを得なかった。この定時運転どころではない未曾有の事態に直面しながらも対応できたのは人間の手による仕事があったからに他ならない。著者もあとがきでこのように書いている。

「どんなに作業の機械化が進んでも、どんなにコンピュータ化が進んでも、巨大システムの仕事には必ず人間の手を動かす仕事が残る。人間のテンポに合わせてシステムを組むことが、何よりも求められるのではないかと思う」

「鉄道はいつも正確に運行されるもの」という常識のあり方を根底から覆すような事態がこの10年あまりで少なくとも2度は起こっている、という現実をあらためて振り返るとき定時運転はこれからどうなっていくのか、そしてどうあるべきなのか、と考えずにはいられない。わたしは技術に関しては割合楽観的に考えていて、技術によって困難は克服されていくと信じている方だとおもう。一方で人間の手による仕事の結果が如実かつ対照的に現れたこれらの事態を前に、いまの技術はどこまで進んでいるのか、そして技術でどこまで克服できるんだろうか、という疑問もある。
10年前以上も前の本なのでいろいろ古さを感じさせる部分は当然あり、この内容をアップデートしたらどうなるかなとおもったりもしたけれど、「日本の鉄道の正確さ」を取りまく話題についてじっくりと考える機会を提供してくれたという点で、総合的には実りの多い読書になったと感じている。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2018年1月15日
読了日 : 2018年1月13日
本棚登録日 : 2018年1月15日

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