わらの女【新訳版】 (創元推理文庫)

  • 東京創元社 (2019年7月30日発売)
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感想 : 17
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 偶然にも生まれる前の小説を続けざまに読んでいる。こちらはピエール・ルメートルの訳者・橘明美による新訳がこのたび登場。古い作品ほど、新鮮に見えてくるこの感覚は何なのだろう?

 1960年代にフレンチ・ノワールが日本の劇場を席巻したのも、下地としてこのように優れた原作があったからなのだろう。少年の頃に劇場や白黒テレビで触れたそれらの映画を、大人になって改めて映画、小説などでノワール三昧の一時期を送ったものだ。本書はノワールでありながら、それだけではない。言わばノワール・プラス・アルファな作品なのである。ノワールの特徴である「救いなき結末」を描き切るのか? という行き止まり感に加え、見事に構成される完全犯罪の機微をも小説の題材としている故である。

 ページを開いた瞬間から、読者はヒルデガルト・メーナーというヒロインの視点で、救い亡き現実からの脱出願望にとことん付き合うことになる。ぱっとしない日常から脱出するために、大富豪の妻の座を夢見て、新聞の求縁広告を日々探す女性の視点で。知的に。微に入り細を穿って。

 とある広告主をヒルデガルトは捕捉する。相手も乗ってくる。しかし面談にこぎつけたはずの相手は、当の大富豪本人ではなく、結婚候補者を見極めるタスクを背負った秘書であった。二枚目で紳士然としたアントン・コルフである。

 様々な事情を、知らされてゆく。大富豪の扱いづらい性格。秘書の真の目論見。罠をしかける側なのか仕掛けられる側なのか、見極めのつけにくい複雑なコンゲームが展開する舞台は、大富豪の乗る航海中の豪華客船。

 地中海から大西洋へ彼らの野望を乗せて船は進む。そしてニューヨークへの上陸。大富豪の夢のような屋敷に足を踏み入れるヒルデガルト。その直後のあまりに思いがけぬ急展開。運命に翻弄されるヒロイン。謎にさらに謎が重なる。罠にさらに罠が重なる。それぞれの運命が転がる。警察の介入。追及者たち。

 現代でも十分に通用するであろう、見事な仕掛けだらけのプロット。全編を貫くヒルデガルトとアントンの野望と絶望。この物語はどこへ行き着くのか? 救済は? 命は? 

 日常に転がるちょっとした欲望から、こんなにも遠いところまで連れてゆかれるストーリーテリングを含めて、まさに時代を超えてきた名編と言えるスリラーが本作である。

 この作品は、ジーナ・ロロブリジータとショーン・コネリーが主演で映画化されている。ぼく自身は、ずっとこの二人の役者をイメージして読んでゆくことができた。誂えたようにぴったりの役柄であったと思う。フレンチ・ミステリのある意味、完成形ともいうべき本作に、是非触れて頂きたい。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: コンゲーム
感想投稿日 : 2019年9月7日
読了日 : 2019年9月1日
本棚登録日 : 2019年9月1日

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