レニングラード封鎖 飢餓と非情の都市1941‐44

  • 白水社 (2013年2月16日発売)
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 想像を超えていた。『卵をめぐる祖父の戦争』を以前に読んでから、レニングラードの包囲戦に関する歴史に興味を持っていたところ、うみこさんのレポでこの本を知り、読んでみた。


 小説は小説でユーモアとペーソスを兼ね備えた傑作なのだが、その中から得た印象と、実際に900日にも及ぶ包囲下で辛酸をなめた市民の日記や証言を載せたこの本から受ける衝撃は、かなりかけ離れていた。


 一番の違いは、小説の主人公はよくしゃべるし、走れる。空腹で栄養失調だろうけれど死の臭いはしない。でも実際の市民は飢えで足元がふらつき、路上で倒れこんだら「最期」で、日本の冷凍庫の中より寒い冬のレニングラードでは確実に凍死する。一日数千人から、多いときには二万人死んだという。
 
 前を歩く人の足取りが力なくふらついていたら「ああ、あの人はもうすぐ動けなくなって死ぬな」と誰もがわかったらしい。助けようにも自分自身が飢餓状態だから、ミイラ取りがミイラになるのが目に見えているので、助けない。
 それでも助けようとする慈悲深い人もいて、そういう人は病院にまで連れて行ってあげたりするけれども、病院の内も外も死体で溢れて、死体安置所と変わらない状態になっている。
 
 人肉食の記述も出てくる。誤解されるかもしれないが、生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされ、生きるには食べるしかないというときに、目の前に山のように積まれた凍死者の遺体があるなら(凍死だから腐敗もしてないし)、ちょっとぐらい食べてもかまわないと考えてしまう人が出てくるのは理解できる。女性の胸部や臀部の肉が削ぎ取られている死体がいっぱいあったという記述もある。


 人肉食の罪での逮捕者が最も多いときは月で100人くらいだが、もちろんこんな数字は氷山の一角で実際にはもっと多いだろう。たぶん逮捕者というのも人肉を売買したとか、殺人をしたとか、そういう明らかな犯罪で、夜中にこっそり剥ぎ取った行為とかは摘発されてないのではないだろうか。
 
 ただこれで生き延びたとしても、戦後に通常の市民生活が戻って、異常から正常な精神状態にかえったときのことを思うと、これも悲惨で、罪の意識に苛まれて辛い人生を送ったのではないかと思う。


 この状況下でどうしたら絶望しないでいられるのだろうか。
 自分なら人肉食はしたくないし、凍死が一番苦しくなさそうだから凍死を選ぶ。生き残れる気がしない。


 しかし、こんな状況下でも「誰かのために尽くす」ことを考えて行動した人たちがいた。自分も苦しい、でも同じように苦しんでいる人たちのために音楽を奏でようした音楽家たちがいた。空腹で何度も気を失いながらも舞台で喜劇を演じた俳優たちがいた。
 路上に大の字で倒れ、いままさに死の間際にいる見知らぬ男性に、大切にとっておいた氷砂糖を口に含ませてあげた女性もいた。「もうすぐ死んでしまう人間に大事な食糧をあげるんじゃない」と様子を見ていた人に怒られたが、女性は「私はこの人を見捨てられたまま死なせたくはないの!」と毅然と答えた。


 ヒトラーの非情とスターリンの無能によって惹き起こされた悲惨をこの街が乗り越えられたのは、為政者の勝利でも赤軍の勝利でもない。市民が人間性を失わなかったからだ。この軸を見失ってはいけないと思う。
 

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2013年12月8日
読了日 : 2014年1月11日
本棚登録日 : 2013年12月8日

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