読書論だと思って読み始めたが、文化史論のような、より深みのある内容だった。明治から現在にかけての労働と読書をめぐる日本人の文化的経緯を年代ごとに辿る構成は、さながらNHKのドキュメンタリー番組「世界サブカルチャー史〜欲望の系譜」のようで、興味深く読むことができた。
各年代のブーム(円本、司馬遼太郎、出版バブル、さくらももこなど)やその背景分析には「そうだったのか」と膝を打つところが多々あった。が、途中から、これは表題の疑問解消に向かっているのかと思い始めた頃、1990年代以降の社会変化、すなわち新自由主義的な思想の影響への洞察のあたりから、ようやく本題に近づいていく。
作者は、「読書」とは、自分から遠く離れた文脈、すなわち他者や歴史、社会に触れることであるという。労働への全身全霊のコミットメントが内面化された昨今の社会では、これをノイズと感じ、受け入れる余裕が持てないことが表題の真因と看破する。「そういうときは、休もう」「社会の働き方を、全身ではなく、『半身』に変える」という提言も含め、一つのものの見方として納得できた。
個人的には、「片づけ本」ブームに対する以下の洞察がなかなか興味深く、社会は変えられないものとした上で、自分から社会を遠ざける、見方によっては病的とも言える側面があると認識できたことも収穫であった。
-----
「〈部屋〉=私的空間を「聖化」することが、自分の〈人生〉が好転することに直結する、というロジックが「片づけ本」の趣旨である。しかしそこには、本来〈部屋〉と〈人生〉の間にあるべき〈社会〉が捨て置かれているのだ。〈社会〉は自分を傷つけようとしてくる場所である。だからこそ「片づけ本」という名の自己啓発書は、コントローラブルな〈部屋〉をときめくもので埋め尽くすことによって、〈人生〉を社会から守らせようとさせる。」
- 感想投稿日 : 2024年12月29日
- 読了日 : 2024年12月29日
- 本棚登録日 : 2024年12月29日
みんなの感想をみる