正欲 (新潮文庫 あ 78-3)

著者 :
  • 新潮社 (2023年5月29日発売)
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本棚登録 : 19180
感想 : 1729
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初読みの朝井リョウさん。心象の表現に個性を感じる。「顔面の肉が重力に負ける」「心の真ん中を絞るように体に力を込める」「夕立に降られるように勝手にその一部に自分が含まれてしまう」など、いずれも身体的、物質的な動きから直感的に伝わってくる。そして、この作品は、時代の転換期に起きている事象を鋭く捉え、価値観を揺さぶってくる。

動画配信に傾倒していく不登校の一人息子。検察官の父親・啓喜の、道から外れるべきでないという思考や登校する子どもたちに向けられる普通であることへの羨望の眼差し。

地縁の煩わしさから寝具店の販売員に転職した独身の夏月。ショッピングモールの勤務中、中学の同級生夫婦に声を掛けられ、彼らの世俗的な生き方を見て心が冷えていく。ささやかな安息は視聴者のほとんどいない配信動画を巡回すること。

そして、大学祭実行委員を務める女子大学生・八重子。ダイバーシティへの傾倒と学歴や容姿、家族関係から抱く劣等感との狭間で心を収縮させていく。と同時に、配信動画を通じて、一番縁遠い存在に強く惹かれていく。

こうした身近に起こりそうな日常の描写が淡々と続く。一見繋がりのない人間模様が次第にもう一層のレイヤーと化学反応を起こし交差していく。通奏低音のように流れる、不穏な性的倒錯者たちの存在。配信動画に書き込まれるコメントを媒介にして、啓喜たちの日常に紛れ込んでくる。「耳をすませば」の天沢聖司の例え(爽やかさはまるで違うが)のように、動画のコメント欄の名前から、夏月は古い記憶を呼び起こす。

禍々しい展開を想像しつつ、物語中盤に差し掛かったところで、夏月のある性癖が明かされる。中学時代のある日の放課後に特異な体験を共有した同級生・佳道との同窓会での再会。「地球に留学しているような感覚なんだよね、私」という夏月の呟きに他者と共有できない生きづらさが滲み出る。ラベルのない性癖には、ダイバーシティの価値観は無力であるどころか害にもなる。マイノリティですらない異端者の苦悩。徐々に追い詰められていく夏月と佳道が偶然路上で再会し、その稀有な繋がりにお互い生きる意味を見出していく。

物語の終盤、作品冒頭にある作者不明の独白、そして児童ポルノ事件の雑誌特集記事。これらと物語が繋がった瞬間、当初抱いた印象とはまるで違う景色が現れてくる。これには、自分の世間に対する認識の浅さを思い知らされた。また、啓喜が妻・由美から「涙を流す人を見て性的に興奮するなんて、おかしいよね?」と言われながら両目を覗き込まれるシーンに、自分が正しいと考える価値観も特殊な性癖と紙一重であると感じ、心許なくなる。

この物語は手に余る。解説の臨床心理士・東畑氏の言うとおりである。珍しく映画も見てみたいと思った。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2023年7月22日
読了日 : 2023年7月22日
本棚登録日 : 2023年7月22日

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