敗北への凱旋 (講談社文庫)

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感想 : 2
1

敗北への凱旋 8/23了

注!思いっきりネタバレしてます





読んでいて、起こった事件の根本の理由にやたら不快になった。
確かに、国家の戦争の可否に関われる立場の人が、個人的な恨みを持つ相手に死を与えるために戦争のスイッチを押すことはあるのもしれない。
(戦争そのものはもちろんのこと、)そんなことは絶対あってはならないのだが、でも、もしそういうことが起こってしまったとしたら、後世の人たちは、それをあってはならぬ事実として受け入れるしかないだろう。
だって、それが事実ならそうするしかないからだ。

でも、これはフィクションだ。わざわざつくる「話」だ。
わざわざつくることに、多くというにはあまりに多すぎる日本人が犠牲になったその戦争を舞台にして、そういうフィクションを書いていいものなのだろうか?
物語として面白ければ、どんなことを書いてもいいのだろうか?
「表現の自由」という発信者にとって至極便利な免罪符を盾にしてしまえば、どんなことを発信してもいいのだろうか?
自分としては、わざわざつくったフィクションのその事件の真相を読んた時、ものすごく不快な気持ちにさせられた。
最後まで読んだのは読んだが、正直言ってそれ以降はほとんど憶えていないくらいだ。

物語のものは悪くない。
登場人物の情念がからんだ話で、いかにもこの著者らしいストーリーで、自分としてはかなり好みだ。
ただし、上に書いたように事件の根幹をなすものに、著者の「とにかく自分が面白ければ何でもいい」みたいな身勝手な無責任さを感じてしまって、ものすごく不快になった。
さらに言えば、やたら込み入った暗号とか、夾竹桃とか、「この人って、もしかして元祖インスタ映え?」なんてw、鼻白んでしまったというのもある。
連城三紀彦って、情感や情念のこもっているその物語はすごく好みなんだけど、そのクソつまんない美意識みたいなものは全く合わないんだなーと思った。


現代において戦争を否定するのは簡単だ。
現代においては、「戦争は絶対悪」という常識があるからだ。
本来、近代国家においては、国の為政者の独断で戦争をすることは不可能だ。
なぜなら、国民になんとなくある総意というバックがなければ、近代国家の為政者は国民に戦争を強いることは出来ないからだ。
それは、日本の先の大戦もそうだし、ナチスが起こした戦争だってそうだ。アメリカなんか、いまだに年がら年中そんなことをやっている(今もやっている)し、今の中国だって、ロシアだってそうだ。
EU諸国なんかは、その元祖だ。

戦争というのは、国民と為政者の合作なんだと思う。
それを忘れ、戦争が起こった原因を全て為政者に責任を擦り付けることで、自分は戦争を批判するから正しいと思っている人は、いつかまた同じ過ちを犯す。
自分はそう思う。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2019年8月31日
読了日 : 2019年8月23日
本棚登録日 : 2019年8月31日

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