●天智天皇(中大兄皇子) 626〜671。大家の回診を行い、天皇中心の中央集権国家づくりを進め、律令国家の基礎を作った。663年に百済に援軍送るが、白村江の戦いで大敗。
●天武天皇(大海人皇子) 631〜686。天智天皇の弟で後継者とされていたが、天皇が子の大友皇子を後継者にしたため、壬申の乱を起こして、大友皇子側の政権を滅ぼして即位。天武天皇となり皇族を重用して天皇中心の政治を行い、律令国家の実現を図った。
●持統天皇645〜702。天智天皇の第二皇女で天武天皇の皇后。天武天皇の死後に政治を取り、皇太子の草壁皇子が病死したため即位して天皇となる。
●聖武天皇701〜756。光明皇后と共に仏教の力で国を守ろうと考え、諸国に国分寺と国分尼寺を作り、都には東大寺と本尊の大仏を造立した。仏教文化の天平文化が栄え、遺品は東大寺の正倉院に納められた。
●阿倍仲麻呂は遣唐使して唐に渡り、科挙の試験に合格し、唐で一生を終えた。
●征夷大将軍の坂上田村麻呂VSアテルイ(岩手県奥州市付近を中心にした蝦夷の指導者)降伏し桓武天皇に処刑された。
●939年、平将門の乱と藤原純友の乱。
●藤原頼通。この世に極楽浄土の姿を再現しようとして、平等院鳳凰堂。中尊寺金色堂と並ぶ代表的な阿弥陀堂である。
●祈祷やまじないで現世の利益を求める天台宗真言宗などに対し、来世での幸福を解いたのが浄土教。
●紀貫之。日本独自の和歌集として古今和歌集を編集し、土佐からの帰京するまでの旅の様子を女性のフリをして仮名文字を使い、土佐日記として著した。
●後鳥羽上皇。源頼朝の死後、1221年、倒幕を企て承久の乱を起こすが破れ隠岐に流される。この後北条氏による執権政治が確立し、京都には朝廷を監視する六波羅探題が置かれる。
●北条泰時。3代目執権。1232年初めて武士の法律である御成敗式目を制定した。
●鴨長明。「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」方丈記、徒然草、枕草子、わが国の3大随筆と言われている。
●後醍醐天皇。2度にわたり鎌倉幕府打倒の計画をするが失敗し、隠岐に流された。足利尊氏や新田義貞らの活躍で幕府が倒れると、1334年年号を改め、建武の新政を始めた。しかし公家ばかり優遇し、武士の不満が積もり2年余りで失敗し、吉野に逃れあを開いた。以後60年南北朝時代。
- 感想投稿日 : 2022年6月6日
- 読了日 : 2022年6月6日
- 本棚登録日 : 2022年6月4日
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