●何も考えず、素直に美味いと感じた…フッサールと言う哲学者が自分の哲学の基礎に置いた「現象学的還元」と言う手法を実行して純粋直感による「快」を直接観取したのだ。
難しいことを全くしなかった、ということ。
今まで持っていた既成概念の全てを一旦消してしまい、素で「うまい」という「快」に接してほしいのだ。
●酸化鉄や酸化銅を還元して、純鉄や純銅にするみたいな作業だから「還元」
●フッサールは自分の現象学を展開するにあたって、その基礎中の基礎にデカルトの「方法的懐疑」と言う手法を導入した。
●デカルトは、世界の実在を証明するためにまずは世界の全てを疑った。実在だと単に思い込んでいるだけかもしれないものは、一旦全部捨ててしまわないと、証明など不可能だからだ。
●デカルトの神の証明。完全な存在としての神がいるから、私の頭に「完全」の概念が浮かび、だから私は自分が何もかも疑ってばかりの不完全な存在だと知ることができる。
●デカルトの「世界の実在」の証明。神は完全だから誰かを騙す必要がない。だから我々に幻を見せるわけがない。したがって我々が見ている世界は実在する。
●われわれは「実在」とかいちいち考えるまでもなく、見たり触ったり匂いをかいだりして実在を受け入れている。だが我々が受け取っているのは「現象」ではないか?フッサールは実在ではなく現象を研究した。
●形而下は人間が感じたり経験したりする事で形作られている現実世界の事。形而上はさらにその奥にある"目に見えない形のない何か"
「形而上学」はその"何か"をとことん探っていって、形のある世界の奥に潜む根本原理を見つけ出そうという学問だ。
●フッサールは、主観・客観の図式を止めて、内在・超越の図式に変えることを提唱した。
●従来の「主観・客観」図式を止め、「内在・超越」図式に変えたのは、とにかく内在だけで作業したいからなのだ。科学は、客観的実在世界があることが大前提。
- 感想投稿日 : 2020年11月15日
- 読了日 : 2020年11月15日
- 本棚登録日 : 2020年11月14日
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