内田はネット空間の多くの言説は匿名性を前提とした「呪」である、という。ネット世論の「ホンネ」というものが本来前提としなければならない「タテマエ」が、もはや誰にも読まれない新聞の社説欄くらいにしか見られない、加えて当のメディアさえもが数々の不祥事によりそこが割れている状況。これこそまさに「大人のいない国」の一断面である。
私見では明治以来の日本は一部のエリートに「大人性」を付託することで、機関車の如くレールの上を走ることが出来た。一度の大きな脱線があったが、しかしその後も基本的な構造は変わらず、何事もなかったか如く機関車は走った。ただ、この60年で変わったのは運行を付託されていたエリート達の「非大人性」が露見したこと。鷲田はこれを「大人なしで回る成熟したシステム」と逆説的に評するが、危機的であるのは機関士が眠りこけているのを承知で、「何とかなるさ」と気楽に乗っていられる乗客達の方である。
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- 感想投稿日 : 2014年1月2日
- 読了日 : 2009年1月9日
- 本棚登録日 : 2014年1月2日
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