日常・共同体・アイロニー 自己決定の本質と限界

  • 双風舎 (2004年12月18日発売)
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感想 : 6
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宮台真司と仲正昌樹の対談。宮台真司が初めてで、理路整然と端的な言葉を使い論を展開する仲正と対極に、その言葉遣いから論の展開から面食らった。読み始めて二人のコントラストが激しくて、宮台が何言ってるのか、仲正のどの言葉を受けてその論理を展開しているのかわからなかった。しかしちょっと粘り強く読み続けていたら次第に慣れてきた。宮台はその接続詞なども含めて言葉遣いや、何言ってるのかも一見してわからないところも含めて引き付ける力を持っている。しかしその経験の濃密さも思考熟練度もそして思考の言語化能力もかなりぶっ飛んでいる。ふつうは表現の対象にならざる部分を言語化してくるような感覚で、その脂っこさが結構はまる。なかなかの読書体験だった。

タイトルは「日常・共同体・アイロニー」となっていて、確かにこの概念について語っていたということはわかるが、結局その議論がどこに向かっていて、どこで結論づけられたのかが読後も分からない。もともとこういう議論はクローズエンドにはなるはずはないが、それにしてもという感じ。

アイロニーという言葉が繰り返されていた。宮台の表現では「全体が部分に対応する」のがアイロニー。いってしまえばすべての事象や概念は再帰性をもって循環するので、そこに巻き込まれる私たちの姿勢はアイロニーにならざるをえない。それがわからずにどこかに特異点をおいて、そこに帰依するようなベタな生き方は損するぞ、ということだろうか。ただそれはわかる。損するかどうかは別として。「あえて」やる。「あえて」信じる、自己責任をもって。これかなと思う。


17.6.9

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 哲学・思想
感想投稿日 : 2017年6月9日
読了日 : 2017年6月9日
本棚登録日 : 2017年5月27日

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