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ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論
- デヴィッド・グレーバー
- 岩波書店 / 2020年7月31日発売
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訳者酒井さんの新書を経由してから本書を読む。問題が整理された後なので、クレーバーの豊富な引用や、訳注も論の本筋から離れることなく楽しむことができた。
第6章・7章が整理されていて面白かった。
2024年4月30日
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狂気の起源をもとめて―パプア・ニューギニア紀行 (1981年) (中公新書)
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1980年40日間にわたる精神科医のニューギニア滞在の記録。
この時代、この場所でしか出会えない特殊な状況への考察。つまり、伝統的社会が近代的な物質社会と出会った時、そこにどんな歪が生まれ、人の精神にどの様な反応を及ぼすのか。
彼の国の話から、この国がこの200年で経験したことを重ねて考える。
特に第八章と終章が面白い。
2021年1月9日
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そのうちなんとかなるだろう
- 内田樹
- マガジンハウス / 2019年7月11日発売
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一読、二時間、一気読み。二時間で読めたといっても、読み飛ばしたのではなく、きちんとこころに溜まる、残るものがある。この内容を読み終えることができた自分も好きになる、そんな読書体験。
あるがままに。
2020年10月14日
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社会学史 (講談社現代新書)
- 大澤真幸
- 講談社 / 2019年3月19日発売
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社会学という何か難し気な世界について、俯瞰的にその分野の見通しを与えてくれる好著。読んでよかった。
2020年1月3日
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「タイム」を読む―生きた英語の学び方 (講談社現代新書 617)
- 松本道弘
- 講談社 / -
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筆者推奨の通り、速読にて読了。
「やまと言葉」についてもう少し丁寧に教えて欲しいと思うのは、私の読解力の問題かもしれないが、本音です。とても大切なキーワードであることは十分わかります。
2019年10月2日
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小泉八雲東大講義録 日本文学の未来のために (1) (角川ソフィア文庫)
- ラフカディオ・ハーン
- KADOKAWA / 2019年8月23日発売
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今から120年ばかり前の東大講義録。
120年前の文学批評なんてものは、と勝手に無意識に思い込んでいた。
それがなかなか、どころか面白い。
また教え子に対する、メッセージもハーンの人となりがわかる暖かいもの。
ハーン退任の際、反対運動があったと記憶しているが、それも納得できる。
神秘思想やロマン派の詩人についてのレクチャーが個人的には面白かった。
2020年5月5日
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史上最悪の英語政策 ウソだらけの「4技能」看板
- 阿部公彦
- ひつじ書房 / 2017年12月25日発売
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あんまりだ、ひどい
という状況が起こっているのは事実。
2018年6月17日
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歴史のなかの米と肉 食物と天皇・差別 (平凡社ライブラリー 541)
- 原田信男
- 平凡社 / 2005年6月8日発売
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肉は禁忌されるものという感覚があったことさえ忘れていたのだが、祖母が正月の間は肉をかたく家族に禁じていたこと。お盆もだった。その一方、兎や狸を魚同様さばけたことを(屠る?)リアルに思い出した。
2018年8月5日
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縄文の思想 (講談社現代新書)
- 瀬川拓郎
- 講談社 / 2017年11月15日発売
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[自分のための読書メモ]
講談社より同時期に出版された『世界神話学入門』(後藤明著)、また『歴史の中のコメと肉』平凡社、(原田信男著)と前後して読み進める。
縄文の思想とゴンドワナ型の神話の類似性があるとすれば、海民のネットワークを地域を大幅に超え、時代もより長いスパンで考えることができる。
2018年5月14日
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文学の墓場 ~20世紀文学の最終目録~
- フレデリック・ベグベデ
- KADOKAWA / 2003年8月29日発売
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10年以上の積ん読の果てに、本日一気に読了。ちょうどミレニアムの頃、20世紀に関わるさまざまなランキングが発表された。あれからほぼ20年かぁという思い。
気楽に読めると同時に、気になる本を早速注文。
2018年4月8日
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批評理論入門 『フランケンシュタイン』解剖講義 (中公新書 1790)
- 廣野由美子
- 中央公論新社 / 2005年3月25日発売
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「脱構築」はわかっても、脱構築「批評」が想像できない、「マルクス主義」はなんとなくわかるが、マルクス主義「批評」が想像つかない僕には、とても良い本。
2017年6月22日
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王の二つの身体 (上)
- E・H・カントーロヴィチ
- 筑摩書房 / 2003年5月1日発売
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『王の二つの身体』をひいひい言いながら読んでいる。カントーロヴィチさん厳密すぎて、途中なんのためにこの論理が展開されているかわからなくなるが、章の終わりに、きちんと論を整理してまとめてくれるところが彼のいいところであり、その瞬間に青写真が掴め読み応えを感じる。
今日面白かったのは、イングランドにおいて、「国庫」が王と貴族のパワーゲームの中で、キリストと比較されるほどにどんどん存在感を増していくところ。がんばれ、あともう少しで生身の身体を持った王の付属物から離れ、永遠を手に入れることができるぞ王冠!
2017年12月4日
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(株)貧困大国アメリカ (岩波新書)
- 堤未果
- 岩波書店 / 2013年6月28日発売
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【自分のための読書メモ】
貧困アメリカ三部作読了。衝撃の内容。ここで書かれていることがすべて「本当」ならば、という形で判断の留保はいるかもしれない。しかしそれでも、これまでの価値観や、国家への信頼感を十分に揺さぶられる内容。
この3部作で書かれるのは、徹底して海の向こうのアメリカの話。しかしこれが、他人事のように思えない。それは確実に格差が広がり中産階級が破綻したアメリカを一つの成功モデルとして後追いしていると思われる日本の政治状況を考えずにはいられないから。
これは、近未来の日本の話である。
私を怯えさせる事実は以下のこと。
① 国家が国民に対して詐欺行為を働きうるということ。
公共性が高い医療と教育において、知らぬうちに企業の食い物にされているという現実。そして、それに政治が知りながら手を貸しているという事実。
② もはや、アメリカ政府は国民国家という枠組みを維持しようとはしていないということ。(つまり自国民の利益を最善に考えていないということ)
ずっとあったアメリカのイメージは、自国には最も有利な条件を留保しつつ、他国には自国にしないことを平然と押し付けるという、厚顔無恥な不公平な国家のイメージ。しかし、そんなことはなかった。アメリカは実に「公平」な国家であった。アメリカが他国におしつける条件とは、すでに自国民に押し付けた上で、そして中産階級を見殺しにし破壊したうえで、他国にもそれを求めるという一貫性のある姿勢。狂気の沙汰にさえ思われる。
この3部作の完結編では、「1%対99%」というフレーズが繰り返される。上位1%の国境を越えた連帯。
かつて、ヨーロッパは階級社会であり、中世から久しく、貴族が連帯感を抱いたのは自国民ではなく、他国の貴族に対してであったという話を聞いたことがある。今また同じことが起きつつあるように思われる。しかし、今度の新しい連帯は、血筋によって作られるのではない。経済力が結びつける連帯感である。何よりもカネがものをいうのだ。
私にとっての国家像とは、自国民の利益、国益を前提にするというものである。何よりも、国民を守るのが国家である。そしてそうあって欲しいと今痛切に思う。
2014年1月12日
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小林秀雄の哲学 (朝日新書 426)
- 高橋昌一郎
- 朝日新聞出版 / 2013年9月13日発売
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【自分のための読書メモ】
「小林さんちの秀雄君」とは、記憶するに、『文学部 唯野教授』での愛称。「すこぶる博覧強記。唯一印象批評であっても読ませる内容にまで昇華できる天才」としてずっと理解してきた。
ただし、これまで、彼の文章を読んだことがない。すべて筒井康隆の受け売りなのである。すなわち、小林とは、名前だけは知っていて、『考えるヒント』は必読書のリストに上がっていて、中原中也と女を取り合ったことも知っているけれども、私たちの世代はあまり読んだことのない人。それが小林秀雄だ。(私たちの世代にとって、教科書や模試でよく読んだのは山崎正和であった。)
その小林秀雄が去年のセンター試験に復活した。そして現役高校生の多くの人生を狂わせた。どんな文章を書くのだろう? 興味があった。それが今回、この新書になったことで読むチャンスが訪れた。
驚いたことに著者は高橋昌一郎。何か対極にあるイメージ。手に取らずにはいられなかった。読了。意外なことに引用された小林秀雄の文章はとても肌になじんだものであった。そして生き方も魅力的な人物であった。(ただし、近くにいると大変そうではあるが。)
2013年12月22日
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オレたちバブル入行組 (文春文庫)
- 池井戸潤
- 文藝春秋 / 2007年12月6日発売
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夏休みの自由研究:『半沢直樹とコカコーラのCM』日記風
8月○○日
巷では、半沢直樹の倍返しが流行っている。はやりものに弱い僕は、せめて原作でもと、池井戸潤の小説を二冊文庫で読んでみる。『オレたちバブル入行組』と『オレたち花のバブル組』である。「痛快エンターテインメント」と帯にあるように、内容はもちろん面白い。けれど、一番、自分がひきつけられたのはいたるところに出てくるバブルの描写。
決して恩恵に浴することがなかったバブル。自分自身、喪失感はもちろんない。働き始めて頃に...はもうとっくに不景気で、いい時代を知らないから、逆に腐らず働いてこれた。(ちょっと早く、生まれてたら、確実に労働意欲をなくしていた?)だから、バブル時の景気のいい話を、本当に無邪気に「へぇー」と聞くことが出来る。今では考えられない景気のいい話を聞くのが好きなのである。
けれど、今回二冊の本を読みながら、自分の思いもしない感情に気が付く。なんか切ない気持ちが残るのだ。この切なさを生み出しているのは何だろう。
8月30日(金)
今日、たまたま、なつかしいコカコーラのCMを見た。CMに出てくる、髪形やファッションも今から見ればちょっとダサい。けど、このお兄さんやお姉さんのさわやかさと、おしゃれは、やっぱりいい。
その時、「大人になったら、こんな生活が待ってるんだろうなぁ。」と漠然と思い描いていた自分を思い出した。僕が思い描く、未来像はこの雰囲気だったのだ。
そこで気づく。87年といえば、この時10歳。僕の世界観はバブルのイメージの中で作られていたということを。全く関係ないと思っていたバブルを、僕もまた共有していたのだ。
そうか、「半沢直樹」を読んで感じた切なさは、憧れていた「素敵」な未来像が、今目の前にないということへの喪失感だったのだ。それは、何も考えることなく、無邪気に明るい未来を信じることができた時代が、もはや過去のものになったことを悲しく思う気持ちかもしれない。
と以上、半沢直樹とCMから昔の自分を思い出した自分の体験についての日記風の報告です。あのころの僕は、恥ずかしながらこんなイメージの中で、自分の将来を思い描いてたことに気づきました。みなさんはどうですか?
https://www.youtube.com/watch?v=XFiccrmQpH8
2013年8月31日
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存在の大いなる連鎖 (ちくま学芸文庫 ラ 10-1)
- アーサー・O.ラヴジョイ
- 筑摩書房 / 2013年5月8日発売
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樹が熟すのに時間がかかり、最初に手にしてから、読み終わるまで20年かかりました。最初は、晶文社の単行本。続いて、ちくま文庫版で書き込みながら。それでも力不足のため理解が進まず、平凡社の旧版の西洋思想大事典を購入。何度も途中で挫折したため、第一章は、10回は読んでいると思われます。本日読了。感無量。
2020年5月5日
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超訳「哲学用語」事典 (PHP文庫)
- 小川仁志
- PHP研究所 / 2011年11月3日発売
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【自分のための読書メモ】
大学生のころ好きな女優は吉永小百合とウィノナ・ライダー。そのウィノーナが出ていて、めちゃくちゃキュートで、かつちょっとばかし共感できた(“ちょっと”な所以は映画とは違い、僕の置かれた状況は色気も派手さもないものだったから)映画が、『リアリティー・バイツ』。
その映画の一場面に、新聞社の就職試験を受けに行った主人公が、いきなり『皮肉』の定義はと聞かれ、「○○な皮肉な状態」と答えて、落とされるというシーンがあ(ったような気がす)る。
これと同じ状況は、僕にも経験がある、それはある講義で、“権利”とは何か定義しなさいといわれた時のこと。うーんと考えて答えたのが、「人が生まれながらに持っている権利」というもので、それで精一杯だった。担当教官の一言は、「君、それトートロジーでしょ。」というもの。
このように、言葉の定義って難しい。しかも、それが哲学の用語だったらなおさらだ。そこで、本書。職場の先輩からこれ読んでみない?と渡された本だけど、本当にすっきり言葉の意味が入ってくる。厳密さに欠けていても、こういう本ちょっとありがたい。
作者曰はく、明治以来、西周以来の哲学の伝統に一石を投じる意気込みで書いた一冊とのこと。
もちろん、ここに「皮肉」も「トートロジー」も定義してあります。
アイロニーとは、☞「それとなく気付かせること」らしいです。
2012年8月18日
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若者殺しの時代 (講談社現代新書)
- 堀井憲一郎
- 講談社 / 2006年4月19日発売
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【自分のための読書メモ】
タイトル「若者殺しの時代」にある通り、1980年代から1990年代にかけて、いかに若者というカテゴリーが作られ、消費されていったか、そして知らないうちにその流れにコミットしていったかということがクリスマスやトレンディードラマ、東京ディズニーランドといった身近な例を通して書いてある。とても読みやすく整理してある。しかもちょっと懐かしい話題がたくさん。ホイチョイプロダクションとかにギリギリ反応できる年代なのだ。
著者は、それこそ「TVおじゃマンボウ」の活躍が懐かしい堀井憲一郎。結構構成も考えてあるし、何より文体。「・・・そういうもんだ」とか「オーケー。何も間違っていない。ただ現実にはむりだ。」なーんてフレーズ、どうも村上春樹の文体をわざとまねているようだ。そしてそのことがわかるように、あとがきにデレクハートフィールドの名前を出してくる。あのおじさん、なかなかやるなぁという感じが残る。
2012年6月17日
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語源で楽しむ英単語 その意外な関係を探る (生活人新書 215)
- 遠藤幸子
- NHK出版 / 2007年3月10日発売
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【自分のための読書メモ】
質問。次の3語に共通するものは何か? lady / faint / paradise
実はこれ、5000年昔にさかのぼれば、どれもみな一つの言葉に結びつくそうで、印欧祖語ではどれも“形作る”を意味する言葉から派生したらしいのです。
そんな言葉のつながりを紹介するのがこの本の目的。そして何より、こういうのって、雑学というか話の小ネタを探すのにちょうどよくて重宝します。 そして、その中でもおぉこれは、と思ったのは二つ。それは、
① 「名詞が母音で始まっていたら、aではなくanになる」と教えるが、歴史的にみると本来は、「母音で始まっていない場合,anからnをとる」というのが順序らしいということ。
② good-bye は16世紀の英語で god be wy you (God be with you) というかたちで使われていたが、good morning, good dight との類推からgood と変化したということ。
「言葉って、文法ってこういうもんだ、覚えてしまえ!」と言いがちですが、言葉の背景を掘り下げていくと、とっても面白いことに出会えるんだろうなぁと、OEDをじっくり精読できる力があればとないものねだりをしてしまいます。
2012年8月17日
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マグダラのマリア エロスとアガペーの聖女 (中公新書 1781)
- 岡田温司
- 中央公論新社 / 2005年1月25日発売
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【自分のための読書メモ】
マグダラのマリア。聖書にはいっぱいマリアさんが登場し、こんがらがっちゃうんだけれども、お母さんの方ではなくて、娼婦でキリストの復活に立ち会った方のマリアさんについて扱っている。
「聖女であり娼婦」というちょっとドキッとしちゃうのがこの人が負っているイメージ。本書では、そのアイデンティティがどのように形作られてきたのか、そしてそのアイデンティティがどのように利用されてきたかが、時代を追って丁寧に書いてあります。
著者、岡田温司の名前で手にとって見たところ、彼の新書の初作品とのこと。正確さを優先させたためか、すこし論立て、記述に硬さがあるような感じがし、もう少しアッと読者を驚かせてくれるプレゼントがあったらなと思い、☆ふたつ。
2012年6月17日
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「知」の欺瞞 ポストモダン思想における科学の濫用 (岩波現代文庫 学術261)
- アラン・ソーカル
- 岩波書店 / 2012年2月16日発売
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【自分のための読書メモ】
「ポストモダン」・「ポスト構造主義」。
学部生(今は懐かしい90年代後半)時代、よく教授の先生より英文学の学びが変わってきたとお聞きした。英文科においてシェークスピアを読まずして卒業することはあり得ない時代から、批評理論を知らずに英文科を卒業することはあり得ない時代になったということだった。英文学が印象批評から分析的な批評に変化していく流れ(ということ)だった。
だから、まずは何も知らない学部生の僕は、テリー・イーグルトンを手に取った。『文学とは何か』(岩波書店)。そしてその途中で、もっとわかりやすい『文学部唯野教授』を経由して、なんとか読み切った。
その読書の先には、ボードリヤールや、ドゥールーズ、ガダリなんて名前を覚え、ちくま文庫なんかで手に入れては、いつかこれが読めるようになりたいと思っていた。けれど、何回もトライしても、翻訳でさえ原典は難しい。だから、何冊も、入門書と概説書を買って“あこがれ”のポストモダンを外枠から包括的に理解しようと試みた。けどその中心を自信をもって理解することはできず、頓挫し続けた。
そこで懐かしの『知の欺瞞』が出たのが、2000年。学部3年の頃だった。面白いよという言葉を聞きながら、まだ批評理論を理解したい僕は、読まずに原典を理解したかった。こだわりたかった。
そしてそれから12年。偶然立ち寄った書店で文庫版になったこの本を見つける。迷わず手に取った。
ここからは読後感。まずは複雑な気持ち。というのは、ここで著者が批判しているのは、ラカンから始まる有名な著者の科学的な情報の乱用。「あぁ自分がわからなかったのもしょうがないんだ」という安ど感が強い。
と同時に、筆者が批判しているのは、科学的な情報の乱用であり、筆者のすべての論に対するものではないということをきちんと理解しておくなら、それ以外に筆者が数学的科学的理論からアナロジー的に感じた直感はやはり理解してみたいという気持ち。
そう、理論の時代に青春を過ごした世代にとっては、複雑な気持ちになる一冊なのです。
2012年6月15日
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新人文感覚 1 風神の袋
- 高山宏
- 羽鳥書店 / 2011年8月10日発売
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【自分のための読書メモ】
やっと読みました、12,600円の大著。買って手元に置いときたいけど、2児の父になり、おこずかい制度の中、泣く泣く、図書館で借りました。といっても、ちゃんとこういう本を買ってくれる県立図書館に感謝。
高山宏は、僕の大学時代からのアイドルのひとり。
講談社選書メチエで出た『奇想天外英文学講義』(のちに講談社学術文庫『近代文化史入門』で再出)を読んで以来、ずっとこんな風に学問できたら、世界が違って見えるようになるだろうなと、ずっとあこがれの存在。私淑する知の先達であり、この10年すこしずつ、古本で集めたり、図書館で借りたりしながら読み継いできました。
そこで、今回のこの本。1000ページを超える分厚い本ながら、子育ての合間を縫って、子供を寝かしつけたあと、少しずつ舐めるように読んできました。
内容はこれまでに雑誌『ユリイカ』や、大小さまざま、ほんとにさまざまなところで書かれたものを、「マニエリスム」「ピクチャレスク」といった切り口でまとめたもの。
これまで、いろいろな問題を扱って、そしてまったく関係なさそうなものを華麗につなげ、驚きを与えてくれた著者だけれども、一冊しっかり読み切ることで、彼の中の問題意識の大きな柱を教えてもらったかなぁと思います。いい意味で、ほんとにいい意味で、すなわちワンパターンに陥っていないという意味で、繰り返される論考によって、彼の考えが自分の体になじんでいく感覚を覚えました。
2012年3月4日