読書状況 読み終わった [2021年5月8日]
カテゴリ 小説
読書状況 読み終わった [2021年5月4日]
読書状況 読み終わった [2021年5月3日]
カテゴリ 小説

映画『ノマドランド』の「原作」ともなった本である。原作にカギ括弧をつけたのはもちろん、クロエ・ジャオ監督が実際にノマドの人々を起用しているからである。リンダ・メイやスワンキーは本書にも登場するし、検索すれば彼女らのFacebookを見ることだってできる。

本書の背景を説明しておこう。リーマンショックにより、中流階級の高齢者の多くが老後の蓄えや仕事を失った。特に住宅価格の高騰が激しかったことから、彼らの一部は住まいを手放し、車上生活を送ることとなった。

アメリカにはアマゾンの倉庫やビーツの収穫など、季節労働(ほとんどは辛い肉体労働だ)の口がある。住居とともに来てくれる車上生活者は、季節労働者としてうってつけというわけだ。車の維持費の安さもあるが、車上生活者が多くなることにはアメリカ特有の事情がある。

要するに、アメリカ社会の歪みが高齢者を路上に弾きだしたという話になりやすい。ブルーダーの筆致にも、そういった面が見られる。

しかし、である。映画で強く描かれていたのは、災害ユートピア的な力強い相互扶助と、誇りを失うことなく進んでいく人間の強さだった。市場万能主義の冷たさに対する批難と、そこから弾き出された人々の逆説的な健全さという二面性が映画の魅力であったが、その魅力は原作でも変わらない。むしろ、描写が細かいぶん、本から得られる情報のほうが大きい。

たとえば映画で語られなかったこととしては、車上生活者に黒人が少ない理由がある。確かに映画でも出演者のほとんどは白人だった。

では、なぜ黒人の車上生活者が少ないのだろうか。酷い話だが、黒人が市街地で車中泊していると、警官に目をつけられやすいのだ。今なお存在する人種差別の現状に愕然とする。

ノマドの多くは「自ら運命を選んだ」と前向きだ。その選択は「白人のアメリカ人」という特権に支えられてはいるものの、市場から弾き出された者としての連帯感や力強さに繋がっている。これが「良い」ことだとは思えない。しかし、現実の辛さに適応するならばそう生きなければならない。

ベンジャミン・クリッツァー氏が書いていたが、「左派の思想は他責を推奨するために、人から活力やモチベーションを奪ってしまう。」しかし、「みんながみんな自己啓発を実践すると、社会や構造を批判して変えようとする人はいなくなってしまう」のも真だ。(https://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2020/12/30/142506)

彼らは悪くない。しかし、そう言って他責志向を煽ったところで彼らの待遇が改善するわけでもなく、むしろ彼らから活力を奪うことにもなってしまう。この出口のない感情がぐるぐると沸き起こってしまうという意味では後味の悪い本なのだが、こういう思索体験を味わえる本は希有である。

2021年4月24日

読書状況 読み終わった [2021年4月20日]
カテゴリ 社会科学

山の話は面白い。古来から、山は日本人の日常でありながら、その厳しさゆえに人を非日常へと簡単に誘うものであった。本書で紹介されるのは、山にまつわる民話の原石となる「怪しい」話である。

山が開かれ、娯楽が充実した現代では、代々口伝で伝わってきた山の話は絶滅寸前だ。民話にならなかった話の数々をテキストに起こした筆者の功績は非常に大きいだろう。

山でよくある話は「狐に化かされる」というものだ。山に慣れた人が集落の近くの何でもないような道で左右を間違え、遭難する。そういった時に、人は「狐に化かされた」と言う。

もちろん、実際にそんなことはないだろう。低山での遭難記録をいくつか読めば、遭難は何でもないようなところで道を一つ間違えるだけで起こることがよく分かる。山は一つ道を間違えるだけで全く違うところに出てしまう世界なのだ。

航空の世界では空間識失調(ヴァーティゴ)というものがある。雲の中などに長くいることや疲れが原因となり、航空機のパイロットが平衡感覚が喪失するものである。しばしば航空機事故の原因ともなる。ヴァーティゴは、パイロットの経験の長さに関係なく起こる。人間の性質上、仕方のないことなのだ。慣れた山道での遭難メカニズムというのは、おおむねヴァーティゴに近いものだろう。

ヴァーティゴでは計器を信じることで墜落を回避できる場合があるが、コンパスや地形図のない時代の山ではそういうわけにはいかない。ゆえに、経験の長いマタギですら迷うこともある。そこで「狐に化かされた」というのは、経験の量を問わず遭難が誰にでも起こりうるゆえに、捜索の労力を当人の責に帰さないための方便である、という解釈がなされる。生活の知恵である。

そんなわけで、大抵の「怪しい」話は論理的に説明できてしまう。しかし、それでも説明できないことが残る。だから面白いのだ。

たとえば幻覚。遭難記録を読むと、遭難者は極度のストレスからよく幻覚を見ることが知られている。私は遭難したことはなくとも、極度のストレスで幻覚を見たことがあるので「人間はけっこう簡単に幻覚を見る位に追い込まれる」という認識がある。

ところが幻覚を見たことがない人間からしたらそれは想像できない。というより、幻覚を見慣れなければ「それが幻覚である」ことには気付けない。ゆえに、山で人は様々なストレスから幻覚を見るが、それが幻覚であることに気付かない。

大抵の「見た」話は幻覚で片付けられる。だが、複数の人間が同じものを見た話はどうだろう。幻覚は似通うのか? それとも本当に何かあるのか?

「説明できるもの」を省いていった先にある「わからないもの」に惹かれるタイプのオカルト好きには是非とも勧めたい一冊である。

2021年4月17日

読書状況 読み終わった [2021年4月11日]
カテゴリ 紀行・旅行

『アイデア大全』『問題解決大全』は読んでいた。そして「まぁこんなもんだよな」という感想を持っていた。今回、『独学大全』を手に取ったのは自分のためではなく、職場の若いエンジニアに「どうやって自学していくか」を伝えるための参考としてであった。

結果として、自分のために非常に役立つ本だった。

私は普段、部屋のスペースの関係から電子書籍を多用しているが、本書については物理書籍を持つべきであると強く推奨する。厚みは約5cm、800ページほどの大著であるが、通読した後には必要な時に必要な知識に即座にアクセスできる辞書的な使い方がなされる以上、物理書籍である必要があるのだ。

内容については、既にやっていることもいくつかあった。たとえば読む技法については様々にミックスしながら使っていたが、本書の解説によって今までやっていたことに理屈が裏打ちされ、更に精度が増したような感覚がある。今までの読書技法が包丁くらいだったとしたら、独学大全によって強化された読書法は医療用メスだ。これから独学をやる人にも、これまでも独学をやっていて、それなりに自信のある人にも効果はきっとあるだろう。

それだけの懐の深さが本書にはある。このこと自体が素晴らしい。本書では速読から精読まで、様々な技法が紹介されているが、その全てに耐えうるテキストというのは並大抵の作り込みでは生み出せない。この深みは、『独学大全』自体が著者の試行錯誤の末に生み出されたからこそ生まれるものだろう。

厚さに対して余白や行間には余裕が多く、少し読書に慣れた人ならば速読も可能だ。その一方で、広い余白は描き込みを前提とした精読を待っているようにも見える。レイアウト一つとっても多義的で、ここも懐が深い。

若いエンジニアに推奨しよう、なんて考えは浅はかだった。全ての学ぶ人に推奨できる一冊だ。

2021年4月17日

読書状況 読み終わった [2021年4月17日]
カテゴリ ビジネス書

スティーブ・ジョブズをはじめとしたテック業界の有名人が子供には電子機器をあまり使わせていないというのは有名な話だ。デザイナーのゴールデン・クリシュナが使っている表現はもっと直接的だ。「顧客を『ユーザー』と呼ぶのはテクノロジー企業とドラッグの売人だけだ」と。

様々な研究や書籍が示しているように、多くのアプリには中毒性がある。YouTubeやNetflixはレコメンドを駆使して次から次へと「おすすめの動画」を繰り出してくるし、FacebookやTwitterは「メッセージが来るかも」という期待を煽る。ゲームの中毒性は言うまでもないだろう。

その最大の犯人は、いつでも触れるスマホである。

中毒になって良い効果があるのであれば良いかもしれないが、実際はそういうことはない。ちょっとのつもりで開いたYouTubeやSNSに時間を吸い取られ、後悔した経験があるのは私だけではないだろう。

前置きが長くなったが、本書はそんなデジタル社会で、スマホとうまく付き合うための方法を提案する一冊である。著者が実際にラジオ・プログラムを通して行った7つのレッスンを通して得られた効果は驚くべきものだ。

なんと、1日6分しかスマホの利用時間が減っていないのだ。それくらい、現代人はスマホに縛られている。

それでも、と筆者は主張する。向き合い方を考えられたのは前進であると。

ラジオ番組がどんな進行を遂げたのかは調べていないが、少なくとも本書の内容を考えれば確かに前進と言えるかもしれない。本書では「スマホを使いすぎる害」をこれでもかと解説している。

本書で述べられている内容からは少し外れるが、鍵となるのはいつもの二重ループ仮説だ。たとえばカロリーの高い食べ物は石器時代の人間には優れたものだが、現代の人間には肥満のもとである。同様に、新しい情報や刺激は石器時代に危険から逃れるためには優れたものであったが、現代の人間にとっては時間を浪費するもとになる。

アナロジーで理解すれば、スマホに齧り付いて刺激を求めるのはジャンクフードを頬張り続けてぶくぶく太り続けるのと大して変わらないのだ。

認知をこういう風に変えられれば、うまく付き合うための一歩が踏み出せる。だから、たとえ1日6分しかスマホの利用時間が減っていなくても意味があるのだ。

私もとりあえずレッスン1の「スマホの利用状況を知る」をやってみた。本が書かれた当初はサードパーティのアプリで確認するしかなかったが、今はAndroidでは Digital Wellbeing, iOS もスクリーンタイムで確認できる。

そして愕然としたのだが、時間は短くてもSNSの起動回数が凄いことになっていた。エレベータに乗るときなどの細かい時間で如何に注意を吸い取られていたか恐ろしくなったので、起動回数が大きく減った。時間は微減(もともと15分/日くらいに設定していたのだが)だったが生活の質の向上は感じられている。

もちろん、スマホは我々の生活を便利にする側面もある。予約した映画のチケットはQRコードをかざせば発券できるし、乗換案内もしてくれる。TodoistによるGTDも本当に素晴らしいテクノロジーだ。

だからこそ、うまく付き合うことが大事なのだ。自制の力は弱いが、自制しようとできることは人間の大きな美点である。というわけで、一読してスマホの使い方を変えてみるきっかけにしてもらいたい。

2021年4月11日

読書状況 読み終わった [2021年4月7日]
カテゴリ IT

ところどころ「おっ」と思うような話もあるが、よくあるような話が多い。思想や哲学を学ぶ重要さについて強調されているのは良いが、引用対象も散発的だ。「散らばっているように見えるが一貫したテーマがある」ような印象もないので、単に雑然としているだけである。

先に進むための参考文献リストがあれば入り口としての評価もありえようが、そういったものもないので、入り口としても不適格だろう。

2021年4月8日

読書状況 読み終わった [2021年4月8日]
カテゴリ ビジネス書

レーベルも帯も普段あまり買わないタイプの本なのだが、著者の名前を見て迷わず買った。私は大学生の頃、東中先生の講義で自然言語処理の面白さを知り、なんだかんだで現在は検索システムの開発を長くやっている。お世話になった先生の初の一般向け書籍ということで一気に読んだ。

略歴にもあるが東中先生はNTT研究所で長く質問応答システムの開発に従事していた研究者で、忙しい合間を縫って大学で自然言語処理入門の講義を持ったり本を書いたりしていた凄い人である。今や自分が新卒~若手向けに講義資料を作る身になって感じるが、大学での講義資料は本当によく作り込まれていた。

つまり何が言いたいかというと、難しいことでも正確さを落とさず、かつ平易に書く能力が非常に高い先生なのだ。

自然言語処理は2010年代中盤から後半にかけてディープラーニングの勃興により大きく変化した。たとえば新井紀子先生が主導していた「東ロボ君」プロジェクトは、ディープラーニング以前には壁にぶち当たっていた。それがディープラーニング以降では以前では考えられなかった進歩を遂げている。

だからといって、従来の自然言語処理手法が役に立たないわけではない。「対話」は画像処理のように正解が決まっているタスクではない。問題の設定には工学的な視点以外にも必要になる。このために深いドメイン知識、地道なタギング、タグ設計など、様々な要素が必要となる。これは私が現在仕事にしている検索でも似たような部分があり、(工学的な意味での)評価が難しい自然言語処理全般に言えることだろう。

実際、本書において雑談AIの評価手法としては Extrinsic な評価を採用すべきだとされており、この辺りは検索技術者としても大きく同意できる。検索においても Extrinsic な評価はよく用いられる…というより Intrinsic な評価では Hack しやすいため、人間的なシステム評価とはそぐわない。この視点はサービス開発に近い部分に長く居た研究者ならでは、と感じる。

全体として、平易に雑談AIや対話応答の話をしつつも、「UXを上げるにはどうすれば良いか」という視点はブレることなく貫かれている。AIの知識がない専門外の人でも読めるが、サービス開発に携わるエンジニアが読んでも学びが多いだろう。

2021年4月6日

読書状況 読み終わった [2021年4月6日]
カテゴリ IT

東大の講義ノートをもとに、戦後の社会科学を通観する。教科書的に幅広く網羅する関係上どうしても雑然とした印象が強くなってしまうが、それなりに時代を区切って思想を特徴付けることには成功している。

まずは丸山眞男からの出発となるが、丸山についてはかなり公平な評価と言えるだろう。丸山の思想は現代にも通用する部分と、「旧制一高の秀才の限界」が同居しており、多角的な評価がなされている第一部だけでも値段ぶんの価値はある。

その一方で、70年代の低成長、石油危機による不況あたりからレーガン・サッチャーを経て市場至上主義が進展する、いわゆる「新自由主義」についての解説には歯切れが悪い部分もある。もちろん、個人的な研究発表ではない本書において、「なぜ支持されるのか」という解明の進んでいない部分を歯切れ良く書けないというのはそうである。

しかし、大学という場所が基本的には進歩的な思想の場所であるゆえに、保守思想についてあまり紙幅を割いていないようにも感じた。とはいえ党派的な主張はほとんどないことからも、戦後の思想を網羅的に把握する上でかなり良い一冊であろう。

2021年4月4日

読書状況 読み終わった [2021年4月3日]
カテゴリ 社会科学
読書状況 読み終わった [2021年2月19日]
カテゴリ 社会科学

鈴木智彦はヤクザをはじめとした裏社会に通じたライターである。強面で、ロックやパンクは聴いてもピアノというイメージは失礼ながらあまりない。

その鈴木智彦が、50歳を過ぎてピアノを習うというのだ。しかも、発表会でABBAの『ダンシング・クイーン』をやるという。

どういうことなんだ。著者によれば、ちょうど『サカナとヤクザ』の校了でハイになっていたところに『マンマ・ミーア』を観に行ったことが原因らしい。

強面のヤクザライターとピアノの奇妙なとりあわせは、大人になってからの学びの記録としてべらぼうに面白い。それもそのはず、編集者からは一つの条件を出されていたという。

「ピアノの取材をするな」という単純明快な指示は明らかに正しい。徹底的な取材を行う著者がピアノを本気で取材すれば、本人の言うとおり3年はかかってしまい、最初の発表会を行うまでの瑞々しい体験記ではなくなってしまう。

徹底的な取材を得意とするライターが瑞々しい感想を書くとどうなるか。これがめちゃくちゃ面白い。少し引用しよう。

> 日本の音楽教育のあり方は、ヤクザとも重なる。ヤクザ組織は部屋住みというシステムを使って駆け出しの若い衆を教育している。親分の自宅に住み込み、二十四時間三百六十五日、身の回りの世話をさせながらヤクザの掟と上下関係の絶対性を教え込むのだ。暴力を生業とするヤクザだけに、暴言や体罰は付き物である。いくつかの組織で部屋住みを取材してわかったのは、教える側の肚ひとつで教育が虐待に変わるという二面性だった。学びの楽しみは、教師の悪意により一瞬で耐えがたい苦痛へとひっくり返るのだ。

ヤクザの組織は家父長制を模したものになっている。親分は絶対だ。これはヤクザに関係なく、程度の差こそあれ日本の至るところに染み付いているが、音楽教育とヤクザの2つを実感を込めて繋げられるのは日本でも鈴木智彦くらいだろう。
そして、著者が音楽教育や体育教育に向ける視線は手厳しい。学びの楽しみではなく、苦痛のみを与える行為を明確に「クソ」と断じている。全くその通りだ。
年齢を重ねてから新しくものごとを学んだ人ならば、著者の言うことにはいちいち頷ける。(ヤクザ関係は体験していないので頷けないが…)
特殊なライターに見えても、普通のおじさんが悪戦苦闘しながら学ぶさまは、どこか勇気を与えてくれる。皮肉にも、自己啓発書を一蹴するような記述がありながらも、本書は学び直しの自己啓発書としての性格を有しているのだ。一読を勧めたい。

2021年3月28日

読書状況 読み終わった [2021年3月26日]

2004年に高野秀行が船戸与一の取材旅行に同行した記録を、当時のミャンマー軍情報部を柳生一族に、ミャンマー軍主流派を徳川家になぞらえて語る異色の旅行記。

まず驚きなのは、高野秀行のビザが下りたということだ。世界で唯一ワ州に長期滞在しアヘン栽培を記録した『アヘン王国潜入記』の著者である高野は、てっきり民族独立派のシンパと認定されて入国を拒否されるものと思っていたが、あっさりビザが下りてしまい拍子抜けとなる。

独裁を維持する独自の情報部、それもアジアというと北朝鮮の保衛部のように冷酷な印象を持ちがちだが、意外と緩い。ガイド役の情報部員は英語も不得手でむしろ愛らしい位だし、アウン・サン・スー・チーにまつわるセンシティブな話もしてしまう。

鉄の掟や、厳しい内規の存在は感じさせない。素朴なのだ。現状の軍主流派の所行からは想像もつかない牧歌的な光景である。

2000年代初頭までは本当にこうだったのかもしれない。高野秀行の文章は、現地の言葉で現地の人と話すことでしか得られない生活感がある。

柳生一族というのは突飛な比喩であるが、生活感が「柳生一族」という比喩に説得力を与えている。こういう比喩を思いつける人間になりたいと思う一冊だった。

2021年3月28日

読書状況 読み終わった [2021年3月28日]
カテゴリ 紀行・旅行

映画『アウトポスト』を観て、その日のうちに買った。2009年10月3日早朝から夕方にかけて起こったカムデシュの戦いを、当事者の視点から描いた一冊である。

詳細は本書や映画などで参照してほしいが、この戦闘では300人のタリバンに対してアメリカ兵は50人で応戦することとなった。アメリカ側は指揮官やJTAC、軍医なども含めてこの数字だから、実際に前線で戦闘していたのは30人強である。

戦場となった前哨は谷底にあり、向こうの射線は容易に通るがこちらの射線は通りにくい。おまけに山頂にあり、前哨を支援できる拠点も同時に攻撃を受け迫撃砲が使えない状態で、アメリカ側は8人の戦死者を出すに至った。タリバン側は100〜150人が戦死したと言われているから、戦闘要員の損耗率は彼我でほぼ同等だ。

そんな絶望的な戦場で活躍したのは、精鋭の特殊部隊ではなく普通の兵士たちだった。「普通のアメリカ兵」がどれだけ強く、勇敢で、粘り強いか。急場でAWACSの代わりをやることになったF-15Eのパイロット、DShK38からの攻撃を受けながら近接航空支援を敢行したアパッチパイロット、指揮官の不在により臨時で指揮官にならざるを得なかった中尉……皆がすべきことに注力し、文字通り身命を賭して戦っていた。

ロメシャの筆致は、彼の勇敢さではなく戦友たちの勇敢さを称えている。映画では最後に生還者のインタビューがあり、「アメリカの安全をどういった人が守っているか」という発言があったが、あまりに重い一言である。

内容が重いからといって、文体が重々しいわけではない。むしろ文章は読みやすく、明瞭で、構成は立体的だ。これを退役したとはいえ一兵士が書き上げ、出版し、世間どころか当時の指揮官が序文を寄せられるという点に、米軍の力を感じた。

2021年3月28日

読書状況 読み終わった [2021年3月24日]
カテゴリ 軍事

SNSでも大きく話題になった甲南大学の田野先生による「ファシズムの体験学習」の解説本である。体験学習自体は学外での注目が大きくなりすぎてしまったことでやめざるをえなくなったが、その経験も踏まえて「何を考えて授業を行ったか」「どう授業するか」が詳細に描かれている。

ファシズムの根本とは何だろうか。強い指導者と、それを支える民衆である。今日ではナチスがある種の合意独裁であったとの見方が強く、「合意」はどこから来るかという理解を体験によって促す取り組みはユニークである。

制服を着る、同じ動きを、大声で合わせながらやる。そういった単純なことで人間の気分は高揚する。権威に服従すれば、責任を放棄することで却って解放感を生む。監獄実験やミルグラム実験を知識と知っていても、実際に自分が他者に容易に危害を加える人間になってしまうという経験は得がたいものだ。

こういった脆弱性は人間であれば避けがたいものだ。だからこそ、予防接種のようにやっておく価値があるという点に同意できる人もいるだろう。

しかし、否定的な価値を学ぶ体験学習は世間との軋轢を生みやすいのが現実だ。1960年代のアメリカでも、生徒を青い目と茶色い目に分けて差別の体験学習を行ったエリオットは批判を受けて教壇を去ったという。「寝た子を起こすな」という考えから、否定的価値そのものに触れさせない教育は今も昔も根強い。

研究者らしく落ち着いた筆致であるが、その無念さは行間から滲み出ている。それゆえに、授業の解説は明らかに「実際に指導に取り入れたい先生」向けに書かれている。自分は教員ではないので役に立つかどうかはわからないが、一般向けにこういった本を出す編集者や出版社の気概を感じた。

2021年3月21日

読書状況 読み終わった [2021年3月14日]
カテゴリ 社会科学

レーガン政権以降、アメリカの貧富の差は広がるばかりである。本書はその根本にある不平等な税制を解説する前半と、どういった税制をすればいいのかを低減する後半部に分かれる。

1980年代以降の富裕層にだけ有利な税制改革は民主主義の帰結ではなく、租税回避スキームが存在するゆえである。民主主義には関係ない。

アメリカでは中間層が消失しつつあると言われるが、上位10%〜50%の上位中間層の所得は増えている。問題は超富裕層「のみ」が恩恵を受けている点である。

現代アメリカの税制は超富裕層以外にとってはほとんど均等税である。法人税を<最終的に>負担するのは株主であるが、法人税が海外に回避されることで超富裕層が納税せずに済んでいる。

また、サービスに対しては課税がされないが物品に対しては(売上税の形で)課税される。これは明確に逆進的な税制である。

1930年代のほうが累進率は高かった。今よりも遥かに高い累進率でもアメリカは「社会主義」化しなかったことは特筆に値するだろう。

南北戦争の時にも所得税は存在したが10%で、第二次世界大戦時には90%以上となった。課税の強化は戦争によるものではなく、政治状況の変化に対応したものである。

アメリカ人が課税を嫌うという<神話>は、南部の地主が資産(奴隷)に課税される恐怖から作り出したプロパガンダが人口に膾炙してしまったものだそうだ。この辺りは日本における「単一民族」神話に似たものを感じる。

1970年代までは高所得者への課税率だけではなく、法人税も機能していた。法人税には累進性がなく、純粋に均等税であった。そして、政府は租税回避を厳しく取り締まっていた。

'86年の税制改革はゴアやバイデンをはじめとした民主党議員も署名した。背景には、租税回避の横行がある。租税回避が先にあり、徴税を諦めた政治が最高税率の引き下げを行うという図式は日米ともに変わらない。80年代までの政府は租税回避を防いでいたし、社会通念もまた課税に協力的であった。

しかし'81年にレーガンが租税回避を奨励したことで租税回避産業が爆発的に成長し、政府が徴税の意志を失ったこともあり税収は落ち込んだ。

市場は優れたシステムだが、公益を考慮しない。そのため共有地の悲劇を引き起こすようなものも育ててしまう。

現在増えているのはタックスヘイブンを利用した租税回避だが、ここ数年当局がやる気になっている。つまり租税回避をどうするかはやる気次第である。

アメリカでは日本と同様に一般的否認規定を設けていなかったが、その代わりとして、一般的に租税回避を否認する機能を果たす判例法理である「経済的実質主義(economic substance doctrine)」が発展してきた

現代の企業は国家主権を売り渡してでもタックスヘイブン化を勝ち取ろうとする。小国であればあるほど、この戦略は有効だ。にもかかわらず、主権国家は租税競争自体を是認している。租税競争を拒否し、税率を一定にしなければ解決は望めない。

租税回避は負の外部性が強い行為である。そしてゼロサム的な取引である。

あらゆる生産活動は資本と労働のどちらかによる。税も資本税と労働税に分けられ、アメリカでは長らく資本税が主要な税収であった。しかし近年、この値が下がってきており、とうとう資本税の量が労働税よりも低くなった。

医療保険料を含めれば、アメリカの労働税は他国と大して変わりない。

経済学(スティグリッツ)は「資産課税は労働者に帰着する」と主張しているが、過去100年のデータを見ると資産税の税率と資本蓄積には相関はない。(資産課税が下がっても投資率は高まっていない!)資産課税が減って国民貯蓄が減った事実のみがある。

こ...

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2021年3月13日

読書状況 読み終わった [2021年3月10日]
カテゴリ 社会科学

シュンペーター、ハイエク、ミーゼスの三者の思想を比較しながら、オーストリア=ハンガリー帝国末期に生まれた三人の俊英たちの思想を紹介する内容である。

論点は非常に多岐に渡り、飛び飛びの論旨を補完するための前提知識も多々要求されることを考えると、経済学部の学部生レベルの知識を持った読者層を想定しているのではないか、と思われる。「難しいことを簡単に言うつもりはない」という著者の姿勢には好感が持てるが、NHKブックスというレーベルを考えるともう少し論旨と論旨を繋ぐ行間を手厚く書いて欲しかったと感じる。

シュンペーター、ハイエクについては俗流の理解ではなく、思想の本質を的確に捉えており、誤解されがちなイノベーション像についても想像的破壊以外の形のイノベーション(クリステンセン教授なら持続型、効率型イノベーションと定義するものだ)との補足もある。ミーゼスについては本書を読むまで何も知らなかったので言及できない。

通史を見て感じるのはシュンペーターの異様な先見性だ。たとえばシュンペーターは古典的な民主主義論、つまりは一般意志を前提にした民主主義をこの時代において既に否定しており、現代の民主主義論を明らかに先取りしている。ハイエクやミーゼスを含めた彼らが着目したのはプロセスだったという。この点についてマルクスから影響を受けているという論については、マルクスの影響力の強さを感じざるをえない。

惜しい部分は編集部のつけたタイトルと内容が噛み合っていないことであり、「資本主義はいかに衰退するのか」についてはシュンペーターの思想しか取り上げていない。あくまで経済学史の解説に過ぎない。

とはいえ、経済学史のタイトルであれば読まなかったであろう読者を惹きつけ、きちんと最後まで読ませることができる力強い書であった。

2021年2月27日

読書状況 読み終わった [2021年2月25日]
カテゴリ 歴史

まず目を引くのは前書きにもある「予定調和的な歴史観は廃するべきである」という主張である、呉座勇一『一揆の原理』でも、戦後の日本史学界がややもすると進歩史観的な見方から脱することができず、歴史を特定のイデオロギーから捉えることが多かった反省が述べられていたが、貨幣研究においてもそのような傾向はあるらしい。

江戸時代の三貨制度を知っている時代の人間からすると、金/銀/銭の交換比率を定め、高額~少額取引に柔軟に対応した銭制度を用意するというグランドデザインを持って時の支配者は銭制度を設計したように見えるが、実際にはその時の課題にある意味で場当たり的に対応したことの積み重ねが結果的に三貨制度を生み出していることを筆者は示している。

中央銀行が貨幣の流通量を管理する現代からは想像もつかないが、銭の由来は様々であった。統制されていないゆえに、銭の供給量は需要に対して多かったり、少なかったりする。中世~近世日本において基本的に銭は需要過多で、現物が少ないことに対応するために様々な施策が民間と法律のレベルで行われていた。

中近世の日本において、基本的に銭は1枚1文として扱われたが、15C後半になると「相手が貨幣として利用することを期待できない」銭を弾く行為、つまり撰銭が増える。これは通過供給量が閾値を下回ったからだと推測される。

その一方で通過供給量が少ないため、なんとか悪銭(ここでいう「悪」は甚だしいの意)でも使うために一定割合までの混入を許す組成主義や、少額取引では一文以下の価値で取引する慣行、つまり銭の階層化が生まれた。

戦国大名では大内氏が最初に撰銭令を出しているが、これは
- 交易のために納税の時のみ基準銭の比率を高める。立法者の財政需要に対応するもの。
- 通過供給量の減少により商人が納入を控えることで米不足となり米価が高騰するので非基準銭の購買力を保障する
- 債務者の保護
という特徴を持っており、戦国大名の撰銭令はこの要素を多かれ少なかれ持っている。撰銭例で非基準銭を許容することで返って基準銭の使い控えを招き、悪貨が良貨を駆逐するリスクを許容するほどに通過供給量が少なくなっていたと推測される。

当時の戦争では銭がなにかと必要で、足利義晴に銭を送った畠山氏は派兵せずとも褒められている。これには「御恩と奉公」の関係性から石高制への移行の萌芽が見られるというのが面白い。しかも、この移行は現状を追認していった結果なのだ。

中世~近世を貨幣という観点から眺めることで、石高制への移行という意識の変化まで見えてくるというのは非常に面白かった。

2021年2月21日

読書状況 読み終わった [2021年2月20日]
カテゴリ 歴史

江戸時代には混浴は一般的であったという説明を聞いたことがあったが、本書においては先入観を排して幕末に来日した外国人の記録をもとに幕末~昭和にかけての裸体観を解き明かそうとしている。

江戸時代の末までは高温多湿な気候も手伝って、裸体が「日常」として存在していたというのが著者の見立てで、史料を読み込んでいく過程は非常に面白かった。

その一方で考察の引用元は玉石混交で、養老孟司の脳化社会を引用するなど、史学的手法以外の部分では粗が目立つので星3とした。

2021年2月13日

読書状況 読み終わった [2021年2月5日]
カテゴリ 歴史

「巡礼」と言いつつも禁足地に関する感想と申し訳程度の民俗学的考察が述べられるにとどまる。

書籍全体として特に骨格を形成してるわけでもなく、後書きで「タブーに対するワクワク感」を描きたかったと述懐しているが、それならばブログでいいだろうという厳しい評価になってしまう。

書籍として精製するにあたって何か骨格となる流れがあれば評価が変わるような面白い見解はいくつか見られたので、箇条書きで記す。

- 大神神社や湯殿山は最も有名な禁足地だが、口外を禁ずるタブーは意外なほどに守られている。これは秘密の共有が楽しいから、と考えられる。つまりリテラシーの高い人間だけの遊びなのではないか?
- 将門の首塚に恐ろしいイメージが付与されたのは明治以降。大蔵省での怪異が新聞を賑わせたことにより人口に膾炙した。千葉にある八幡の藪知らずについては起源がはっきりしていないが、何もない空間ゆえに関東では将門というフィクションが注入されがちである。
- 何らかの理由で禁足地となった場所は結果として人の手が入らない森となり、それゆえに聖性を帯びる。理由が分からない場合はそこに人死にという理由がフィクションであっても挿入される。この構図は心霊スポットにも言える。
- 対抗呪術は怪談が膾炙したときに救いとして生まれる。口裂け女に対するポマードなどが代表例であるが、インターネット怪談の代表例であるきさらぎ駅でもその存在は見られる。

2021年1月31日

読書状況 読み終わった [2021年1月25日]
カテゴリ 新書

「民主主義」を説明する際には主権論やルソーの一般意志が引き合いに出される。しかし現代社会においては右派・左派の分断を引き合いに出すまでもなく、社会の総意としての一般意志が存在するという仮定は機能しなくなっているのではないかという疑問は研究者でなくとも持つものだろう。

本書は学術会議の任命拒否問題でも注目を集めた宇野重規教授による一般向けの「新しい民主主義」解説書である。本書において宇野は一般意志を理想とした従来の民主主義観から、プラグマティズム的な民主主義観への転換を試みている。

プラグマティズムというと「観念的な要素を一切考えずに実用性のみを追い求める思想」のように見えるが、宇野は丁寧に思想的な沿革を説明することでプラグマティズムを「習慣をもとに社会を変革していく思想」と捉え直していく。

歴史的な経緯を踏まえると、大陸欧州の政治学というものが宗教内乱から成立している。宗教という「絶対に合意できない内面」の存在をベースにし、内面的な交流を持たず経済的利益をもとに合意をはかる脆弱な個人を想定したものである。

そのため、大陸欧州における政治学というものは宗教内乱や全体主義の経験をベースにした「依存」への恐怖を強調しがちになっている。

しかし、実際には個人は様々な依存の回路を持っており、多様な社会との関わりから習慣を形成する。ここでいう習慣という概念こそ、プラグマティズムの根幹であると宇野は強調する。

パース~デューイに至るプラグマティズムの思想において重視される習慣=habitはラテン語のhabitusを語源としているが、habitusは日本語の習慣よりも射程の広い言葉で、身体知や智慧に基づいた人格を指すものであった。

科学哲学をはじめ様々な分野においても多大な功績を残したパースは決定論を排し、統計を重んじた。宇宙はランダムであるが傾向は存在する。ランダムと法則を繋ぐのが習慣=もし○○であれば△△するという信念の結晶化である。

このif-thenの集合である習慣は社会知とみることができる。1960年代のアメリカにおける公民権運動においては「信頼する友人を救いたい」という社会習慣と、その背後にある強い結びつきがあった。この思いが弱い繋がりによって爆発的に拡散し、キング牧師がカリスマによって習慣を作り出したというのが宇野の見立てだ。

現代における弱い繋がりはSNSと繋がっており、アーレントの表現を借りれば「アトム化」した個人を再び結びつけていると宇野は論じているが、2013年に刊行された書籍というだけあってかなり楽観的な見方であろう。

終章ではオバマの政治思想とプラグマティズムを結びつけかなり肯定的な見方をしているが、オバマ政権の行き詰まりとトランプ政権の誕生を見ている現在からすると非常に楽観的と言わざるをえない。

確かに習慣は世界を変えうる。反差別や環境保護の分野ではかつてのリベラル知識人の努力が社会知に転化し、大きなうねりとなっている。その一方で社会知は容易に過激化し、ともすれば行き過ぎと言われるポリティカル・コレクトネスを生んでもいる。

習慣がどうやって過激思想に転化するのかは本書のスコープ外であろうが、その点はやはり気になってしまう。

2021年1月31日

読書状況 読み終わった [2021年1月14日]
カテゴリ 社会科学
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