資本収益率(r)が、産出と所得の成長率(g)よりはるかに大きいとき、恣意的で持続不可能な格差が生まれるというのが大きな主張だ。指数関数が持つ力を考えればこの「r>g」という不等式が巨大な格差を生むというのは理解できる。
r>gが起こるのは歴史的な経験であり、確たる理由があるわけではない。仮にg>rであれば無制限な借金が成り立つ、という反実仮想はあるが、それも想像に過ぎないのがポイントである。
本書は第一部で様々な議論の地ならしを行った後に第二部でr>gの歴史的経緯を丹念に観察する。第三部では格差の構造を観察し、第四部では政策提言に踏み込む流れになっている。
歴史的な経緯を見ると、以下のことがわかる。
1. 不動産の平均的な資本収益率は3%〜5%程度、対して株式は7〜8%なので、現代の金融資本主義がこのまま進展すると恐ろしい格差が生まれる。これは民主主義にとっても良くないことである(しかもより大きな資本のほうが資本収益率は高い)
2. 20世紀において格差の縮小が進んだのは2つの大戦が様々な資本を破壊した上、戦後復興の段階でgが大きく伸びたことや戦費・その他のために「没収的な」課税が行われたからである。
3. 富の保有割合という意味では過去も現在も下位50%の貧しさは変わらないが、20世紀の後半に上位50%のなかに中間層が生まれたことがこれ以前の時代とは異なる。
歴史を概観することは様々な洞察をもたらしてくれる。たとえば「昔は定期預金が高い利率で……」という昔話をする人がいる。だいたいは「今の低利率は経済の衰退を示すものだ」という話に繋がるが、経済の衰退を示すのに定期預金の利率の話が相応しくないことは歴史を見れば一目瞭然だ。歴史的事実として、非常に高い経済成長率はキャッチアップの段階でしか発生しない。
ピケティの主張は左派的ではあるが、単純なポジショントークに陥らないためにも事実を押さえることは大事だろう。
政策提言としては「累進的な資本課税」が提唱される。ただしこの前提としては国際間での協調が必要であるという辺りは共同研究者であるSaez, Zucmanによる『つくられた格差』でも述べられていた。実際、イタリアなどが単独で導入しようとした際には大失敗に終わったそうだ。
国際間で協調するには、つまり租税回避をどうやって止めるかという話になると流石に歯切れが悪くなる。EUの役割に理論的な期待はされるものの、どこか諦めが漂う筆致である。『つくられた格差』のほうが威勢良く書かれていたが、やはり画餅なのであろう。
最後になるが、14章に面白い警句があったので引用しておきたい。
> ベル・エポック期のフランスの経験が示すように、経済的、金融的なエリートたちは、自分の利益を死守するためなら、天井知らずの偽善ぶりを発揮する——そしてここには経済学者たちも含まれる。
サプライサイド経済学者と経済エリートの結託という現象を見ていると、21世紀の資本主義には暗い未来しか見えない。
- 感想投稿日 : 2022年4月24日
- 読了日 : 2022年4月23日
- 本棚登録日 : 2022年4月23日
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