●要するにこういう本
「ギフテッド」に詳しい発達障害の専門家3名が、ギフテッドについてさまざまな角度から論じている本。章ごとに執筆者がわかれていて、それぞれに視点や粒度、語るレイヤなどが異なるために雑多な印象を受けるが、具体的な事例などが知れていい。また、著者が日本人なので、日本でのギフテッド児が生きにくいことがリアルに書かれていてありがたかった。また、参考図書などが多く書かれていて、次に読みたい本がわかるのもありがたい。
●なぜ読んだか。目的と理由
わが子がギフテッドもしくはそのボーダーくらいにいるのではないかと思うので、ギフテッドについて知りたくて読んだ。
●気になった箇所とその理由
・シルバーマンは、IQの高い子どもの特徴は、「高い知的好奇心」「ことばや観念に魅了される傾向」「完全さや正確さを求める傾向」「知的刺激の希求」「妥協しない傾向」「内省的傾向」があると言っているらしい。ただ、その中に発達の凸凹がある割合が高いと。わが子はどれもある程度あると思える。ただ、どれも程度問題だろう。
・「彼らは凸凹ではあるが、発達障害ではない」という言葉。ここでの彼らとは、その前に例に出されていた人のことで、典型的なアスペルガー症候群でありながら、社会的な適応障害が認められないということらしい。発達障害の定義は、社会的に適応が難しい、という定義なのだろうか。いずれにしても、脳機能による偏りがあっても、発達障害と、発達凸凹は、分けて考えたほうがいいということなのだろう。わが子は発達障害のチェックリストを見てもなんだか当てはまらないし、どう支援していけばいいのかわからない。分けて考えて何か支援する方法がわかればありがたいとは思う。
・「思考する際に言語をあまり用いずに映像による思考を得意とする視覚優位型の認知特徴を持つ子ども」は、従来の学校教育で成果を上げにくい、と書かれていた。わが長男は特に、言語で物を考えていないように思う。私もそうだが、聞いてみるとやはりそうだという。文章を理解する読解力はあるが、だからといって思考に言語を使わない。長男が学校を好きではないのはそれだけではないと思うが。
・「入学前に見られた賢さも、入学と同時に表面的には消え失せたようになってしまう」……これには胸が締め付けられた。長男はまさにそうだった。小学校というよりも、厳しめの幼稚園に入ってそうなった。私はその重大さに気が付いてあげられなかった。「賢いと思っていたけど、ただの親ばかだったのか」と思うくらいだった。今思うと、生き生きした表情が少なくなり、自信がなくなり、自分を押し殺すことに苦しんでいるようだった。
・全校強化履修モデル(SEM)について書かれていた。アメリカでは、以前からあった優秀な人材を求めるギフテッド教育に対して、それぞれの子どものニーズに合わせた教育である「SEM(Schoolwide Enrichment Model-全校強化履修モデル)」が広がっているという。大変広範囲にわたるものなので、全貌を理解することはできなかったが、「才能全体ポートフォリオ」として、さまざまな才能が項目別に定義されているのは興味深い。それだけでも、子どもの長所を見つけるのに役立ちそうだ。才能全体ポートフォリオは、「全才能ポートフォリオ」としてベネッセのページに載っていた。https://berd.benesse.jp/berd/center/open/berd/backnumber/2005_01/rep_kinoshita_01.html
・「ピグマリオン効果」ということば。「人は他人に対し期待を持っている。意識するしないに関わらず、その期待が成就するように機能すること」だという。私はこの概念をもう何年も前、別の本で読んだことがあった。『幸福優位7つの法則』で、これはTEDでめちゃめちゃ面白いポジティブ心理学のスピーチをしたショーン・エイカーが書いた本。(私はTEDの中でショーン・エイカーの動画を最も多く再生していると思う。)教師と生徒の実験で、「AくんとBさんはとても高い能力がある」と教師に伝えておくと、それに対して特別なアクションをしたりひいきをしたりしなくても、その二人の成績が目に見えて上がる、というもの。さらに、その2人の能力が高い、というのは虚偽である、というのがオチ。簡単に考えると、プラシーボ効果のようなものが、他人の心の中からも発せられるということだろうか。ギフテッドかどうか判別したり、凸凹があるとわかることは、親にとって「この子どもにはこんな才能がある」としっかり信じることにつながる。だからやっぱり、子どもの才能を見つけて、近くにいる親や教師が健全な期待を寄せることは、子どもにとってとても意味があることなのだと思う。
・創造性の話はなかなか面白かった。「ただ単に知能が高いだけでは、創造性と直結しない」という。なんとなく相関関係がありそうだと思っていたが、そうでもないというのだ。例えば「頭がいい人は新しいものを生み出す力がある」はなんとなく正しい気がするが、そうでもないということだ。また、「創造的な人は、日常生活の中で浮かぶさまざまな想念や着想を、自動的に検閲せず、浮かぶままにする傾向があるという」と、アンドリアセンという人の言葉が書かれていた。手前みそだけど私はこういう傾向が高いと思う。「創造性の基盤となるのは、これまで無関係と考えられていたものを結び付ける能力」とも書かれていた。私はストレングスファインダーでは「着想」が1位で、着想の説明書きを読んだ時に「まさに私のことだし、こんなに言語化してもらったのは初めてだし、このことが強みになり得るなんてうそみたい」と思ったのだった。子どもの話とずれてしまった。長男も次男も、この傾向は強いと思う。長男は考えを宙ぶらりんのままに持っているのが得意だし、次男は関係ないものをくっつけて考える傾向がある。
・2Eの少年の手記が載っていて、興味深かった。彼はもう大学生だが、過去に発達障害の特別教室に連れていかれたときに、「トイレに行っただけで大人たちに褒めてもらえる」ような子どもたちを見て、一緒にされたことにとてもショックを受けたという。これは差別的に聞こえるかもしれないが、当然の反応だろう。わが子もそういうことをときどき言うことがある。それに気づいた両親が別の道を見つけてくれたことに感謝する、そうじゃなかったら僕はつぶれていただろうと書かれていた。また、彼は辛らつにこういうことを書いている。「私たち障害者に求められているのは少しでも、自分の力で生きていく能力であって、発達途中の未熟な健常者との会話がうまくなることではないのである」。健常者であれば、未熟な子ども同士で学ぶことがたくさんあるだろうが、障害者の場合には、そこでは適応能力を身に着けるのがむしろ困難になるという考え方。こういうことは、教育者や大人には書けないことなのではないか。教育者が書いたらどうしたって差別的になる。でも、当人の感情としては本当のことだ。
・視覚優位な子どもの話が、けっこうなボリュームを割いて詳しく書かれていた。それは著者自身がそうであるからだろう。なぜひらがなが読めないか、それをどうすれば解決されていくのか。なぜ立体がわからないか。などなど。本当の意味で「わかる」ことはできないまでも、わからない仕組みがこうなっているのかと想像の助けにすることはできる。「そんな見え方をしているのなら、できないのは仕方ない」そう思えることで、凸凹のある人に寄り添うことができるだろう。
- 感想投稿日 : 2021年9月3日
- 読了日 : 2021年9月3日
- 本棚登録日 : 2021年9月3日
みんなの感想をみる