優雅な生活が最高の復讐である (新潮文庫 ト 21-1)

  • 新潮社 (2004年8月1日発売)
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感想 : 19
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作家の多くは身近な人々をモデルにして小説を書くけれども、書かれた方の立場の居心地の悪さはいかなるものか。この本を手に取る人の多くはフィッツジェラルド『夜はやさし』を既に読んでいることが前提となっているだろう。登場人物のモデルになったアメリカ生まれヨーロッパ暮らしの裕福なマーフィ夫妻について書かれた本。
著者は実際にマーフィー夫妻に直接インタビューを行った上でこの本を執筆している。前半は夫妻がストラヴィンスキーの成功を祝うパーティを開催したり、ピカソやヘミングウェイなどの文化人との華やかな交流が描かれる。後半、ジェラルド・マーフィー氏は絵を描いていたことが明かされ、ジェラルドが本気で画家になりたかったことをフィッツジェラルドは知らなかったというくだりから、憧れているだけでは本質的な人間関係を育めなかった作家の性質が侘びしい。フィッツジェラルドの娘の学費をマーフィー夫妻が支援しているところのあたり、充分に親しい関係であったことは伺えるが、おそらくマーフィー夫妻にとっては、フィツジェラルドは支援した芸術家、文化人のひとりに過ぎず、晩年のスコットとゼルダの素行には手を焼いていたのではないだろうか。
成り上がりが見つめる生まれも育ちも恵まれた裕福な家系、という構図は『グレート・ギャツビー』にも『夜はやさし』にも一貫してながれるフィツジェラルド作品の虚しさ。その根源がこの夫婦の中にあったと感じられる。
フェルナン・レジェと並ぶ絵を描きつつも筆を折るというジョセフ・マーフィの苦悩をフィツジェラルドは知ることはなかった。ジェラルドの絵の雰囲気はカッサンドルに似ている(沢木耕太郎の『深夜特急』装丁といえばわかりやすい)。作品はキュビズムの影響を受けた20~30年代の画家たちのありふれた作風といえば残酷かもしれないが、おそらく家族と生活の維持のためにジェラルドは父親の仕事を継ぐことを選び、芸術に向かう夢をあきらめた彼の人生に想いを馳せたときに初めてこの本のタイトルの意味の重みが増してくる、『優雅な生活が最高の復讐である』。
いつか、この本を読んだわたしたちも昔を懐かしく思い出すのだろうか。「パーティをするのは皆と毎日会いたいから」と無邪気に笑う妻セーラの面影のように。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2013年5月31日
読了日 : 2013年5月31日
本棚登録日 : 2013年4月26日

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