向田邦子についての書き下ろし評論である。向田については既に多くの人の評価や書評がある。
例えば爆笑問題の太田光は手放しの向田礼賛派であるが、多くはドラマについてのことである。
また、「突然現れてほとんど名人である」と評した山本夏彦翁は、主に戦前の世相・家庭の風景がよく書けていること、その上死語・老人語(マスコミが取り締まるいわゆる「差別語」)を縦横に選んで遠慮がないことなどを褒めている。

では、この高島氏はどうみているか。言葉に敏感かつ用語の適切さの判定に厳密な氏は、どちらかと言うと普通以上に厳しい評価を下している。褒めるところはどうしてそれがいいのかを丁寧に説明する一方、間違いや杜撰な所、プロットが破綻しているところの指摘には容赦ない。向田ファンからはきっと嫌われるだろう。

この理由はあとがきで判明する。ネタバレになるのでこれ以上は書かないが、要は、氏が向田邦子の裏面・暗さと自分の境涯を比定していることを告白しているのである。
バッサバッサと切り捨てる、多くの評論(例えば『お言葉ですが・・』のシリーズなど)の爽快さの裏で、一見陽気に見える氏にも多くの悩みあったことが表白されているのだ。この点でこの本は高島氏研究者にとって重要な1冊と言えよう。

向田を評する一文に、「乞食の虱を養ふごとく、我らは愛しき悔恨(くい)を養ふ」(ボードレール『悪の華』)とある。潰しても潰しても湧いてくる悔恨に向田が苛まされていたことに同情しているのだが、それは氏自分自身のことでもある。

2022年10月22日

読書状況 読み終わった [2022年10月22日]
カテゴリ エッセイ

「アイドル」、「経済」、「幼児化」というとんでもない三題話を強引に結びつけて論じた面白い本ではあるが、やりすぎの感は否めない。
しかしながら評者と同世代である増田氏の戦後歌謡曲、ポップス、フォークなど殆どの音楽シーンに対する造詣の深さというか、趣味の幅広さには脱帽する。
評者としては幼児化の進展という現象には同意するのだが、それを氏が肯定的に捉えることに対しては異議をはさみたい。
ただ、戦後数々の「三人娘」が現れて、一斉を風靡し続け、(アイドルとなるべき)男どもを寄せ付けなかったという見立てについては目を開かれた思いである。
全く氏の手にかかるとなんでもござれの世界と言えそうだ。

2022年10月11日

読書状況 読み終わった [2022年10月11日]
カテゴリ エッセイ

京都を舞台に猥雑と堕落、暴力と頽廃、おそらく自分の潜在的・顕在的心情を表現した自伝的小説で、70年代の青春を描いて余すところがない。
『青の時代』、『古都恋情』、『流転旋転』とそれぞれに上下巻がある長編で、他の著書まで手が回らないので読んでないが、小説家の「業」というものを感じて、恐ろしくも呆れてしまう。

2022年9月26日

読書状況 読み終わった [2022年9月26日]
カテゴリ 小説

関口夏央と谷口ジローの共同作品である。豊かな想像と表現力で、歴史とコミックに新たな世界を開いたと言われている。
かなり昔に読んで以来、数回以上繰り返し繰り返し読むのだが、そのたびに新鮮な思いに囚われる。漱石、鷗外、啄木を軸に明治の群像とそれらの交流が、虚実を織り交ぜて、巧みな構成で描かれている。

残念なことに谷口は2017年に亡くなった。没後『歩く人』『犬を飼う』ルイ・ヴィトンの『ヴェニス』などを見たのだが、本当に才能が豊かな人だったことがわかる。彼が真の意味で大人のためのコミックを開拓したと言えるのではないだろうか。2021年に開催された『描く人 谷口ジロー展』〈世田谷文学館)で一通りの作品群を見てその感を一層強くした。

四谷から見る外堀沿いの省線図が1巻と5巻に出てくるのはご愛嬌だし、長谷川伸をもじった一本梶棒土俵入りなど、かっての名人落語家〈浪曲師)並みの「高尚な」笑いにも誘われた。

2022年9月23日

読書状況 読み終わった [2022年9月23日]

江戸時代随一の才女、井関隆子の天保11年から15年までの日記。天保11年は西暦1840年すでに幕末である。
天保時代の出来事には、7年大飢饉発生、8年大塩平八郎の乱・モリソン号事件、10年蛮社の獄、12年天保の改革、また老中の水野忠邦は14年に罷免されるなど幕府の威信が大きく揺れ始めた頃である。

8年に大御所第十一代将軍家斉が死去、あとを家慶が嗣ぐ。12年には6歳の家定が京都の—光格天皇の娘とも言われる—公家の娘と結婚する。この御台所のあとに篤姫が嫁ぐことになるが、それは日記には出てこない。
15年には大奥からの出火で江戸城本丸が全焼し、多くの女性が犠牲者となる。

こういう社会情勢の中、九段に住んでいた旗本の妻で、すでに夫をなくしていた井関隆子には、息子や孫が幕府中枢の要職—秘書室長のようなもの—についており、彼らから上記の事件についても政権内部の話を聞き取り、事細かに日記に認めている。

もともとかなりの読書家であり、紫式部を思わせる才女でもあったので、その批評眼も時代を超えて本質を衝いており、また幕府の公式記録である『徳川実紀』とは異なる真実を現代に伝えている。

批評の一端を書き留めると、
「全て世の中のものは、時の流行によって、それほどでないものも、必要以上にもてはやされ、価値のあるものでも、流行に合わなければ、ないに等しい扱いを受けるのは、昔も今も変わらない」 200年も前の文章とは思えない。

この本は、隆子の日記からエッセンスを集めて解説したものでとても読みやすいが、同一著者は隆子の日記全文を翻刻、『井関隆子日記』として上中下の3巻を前世紀に刊行している。

2022年9月14日

読書状況 読み終わった [2022年9月14日]
カテゴリ 歴史

中の一篇「土佐源氏」が圧倒的にいい。並の短編小説など比べ物にならない。
橋の下に住む乞食の語りという形式であるが、「チャタレー夫人の恋人」と「富島松五郎伝」を一つにしたようなドラマが掌編の中に淡々と、しかしドラマチックに書かれている。江戸から続く明治の一断面とそこに生きた人間が活写されている名品。
柳沢白蓮と伊藤伝右衛門との関係・時代背景にも似ている。

2022年9月13日

読書状況 読み終わった [2022年9月13日]

「モクチン」と聞いて分かる人は昭和30〜40年代年代に東京に住んだことのある人だけだろう。
僕はトキワ荘のあった——当時は知らなかったが——椎名町に中学から高校時代——前の東京オリンピックがあった前後の数年間——住んでいたし、僕自身もモクチンに住んだことがある。今から考えると、住宅史の中でも貴重な——しかし僅かな期間の——時代を自ら経験したことになる。

漫画で言えば、『男おいどん』や『同棲時代』前夜、まだ『おそ松くん』など幼い漫画で楽しんでいた時代である。政治で言えば、60年安保の再来を狙った70年安保に向かって社会・共産が手を打っていたが、結局全学連過激派に主役を奪われる流れになっていった時代とも言える。

住宅史をこのようなダイナミックな視点で取り上げてくれれば、もっと面白い読み物になっただろうが、それでも無難に昭和20年代から50年代にかけての住宅事情が、景気、ライフスタイルと共に記録してあり、貴重な証言となっている。また、各年の主な物価もまとめられている。83年時点での出版ではあるが、最後にリースマンションのマルコーを持ち上げて、未来の住宅供給システムとまで言い切ったのは、後から考えるまでもなく不覚というに尽きる。

2022年9月9日

読書状況 読み終わった [2022年9月9日]
カテゴリ 歴史

この本は日本人の「正義」である「反原発」をアナドル極めてアクシツな言論である。
曰く「原子力をやめて化石燃料を使うと大気汚染で多くの人が死ぬ上、温暖化防止に寄与しない。しかも燃料費だけで年間4兆円余計にコスト負担が生じる。」
曰く「閾値なしモデルを使ったとしても、年間100ミリシーベルトの放射線を浴びると0.5%死亡率が上がることになるが、原爆で被爆しなくても日本人の半数は癌になり、日本人の3分の1は癌で死亡するので、統計上は検出が困難。従って100ミリシーベルト以下の被爆による人体への被害は無視できる。」
曰く「原発1基の電力を生み出すための太陽光発電には山手線の内側の面積が必要で、風力発電ではその3.7倍の面積が必要。それも天気まかせであり、安定供給のためには火力発電とセットでなければ使い物にならない。」
曰く「電気自動車はCO2を出さない原発とセットで考えるクリーンなシステムであり、化石燃料で作った電気を使うとなると、電気を作るためのロス、送電中のロスを考えたら自動車が直接ガソリンを燃やした方が効率がいい。」
等々と極めてケシカラヌ「真実」を例示しているので、マスコミが折角煽ってくれている「反原発」の風潮が崩れそうな勢いである。なんとかムシできぬものか。

2022年9月5日

読書状況 読み終わった [2022年9月5日]
カテゴリ 主張

自転車、コロナ、テレワーク。この三題噺を2020年から21年にかけて、仙台周辺を舞台に小説にしたものがこの本の内容と言ってよい。

小さな印刷会社企画部門の室長である主人公は健康のために、部下の女性のすすめに従い70万円もするロードバイクを購入、その娘に手ほどきを受けながら、泉ヶ岳への挑戦や、泉NTから亘理往復という100kmライドを達成していく。この間の初心者の苦労や半年でひと月に1000kmのトレーニングを乗りこなすまでの喜びが、軽快な文章で書かれていて一気呵成に読み終えてしまう。

一方、テレワークの必要性から会社としてサーバーの構築をしなければならなくなるが、当該部下にはとんでもないハッカー能力があることがわかる。しかし、コロナ不況となった会社からその娘の解雇通告を命令され、合点がいかない主人公も会社をやめてしまう。

この続きまで書くとネタバレになるのでやめておく。著者の出身地でもある仙台に土地勘のある人間には、一層興味が惹かれるようにできているが、ご当地小説というだけでなく、しっかりとした筋立てで読んでいてグイグイ引き込まれる。

理系の著者らしい一面もあって、世代間のITリテラシーギャップや、逆にIT能力だけでDXが進められない一面もさりげなく書かれていて、広く読者の共感を呼ぶことだろう。

この小説は地元の新聞『河北新報』に連載されたようだが、どういうわけか、1970年代に『週刊ダイヤモンド』で連載された、三浦朱門『十三秒半』(文藝春秋 1979)を思い出してしまった。

2022年9月5日

読書状況 読み終わった [2022年9月5日]
カテゴリ 小説

「当時、ベルリンにいた三十四歳の女性ジャーナリストが、戦後、匿名で出版したいわくつきの日記だ。なぜ、いわくつきかというと、ベルリンで起こったことが、あまりにも克明に描かれていたからだ。つまり、当時のベルリンでは、克明に描いてはならないことが、たくさん起こっていたということになる。

予期していたこととはいえ、この後始まったロシア人たちの狼藉は凄まじかった。その様子が、この本に詳しい。短期の間に百万以上の軍隊がベルリンに滞在したか、通過したのである。家宅侵入、略奪、そして、レイプが、考えられないほどの規模で起こった。

この著者の凄いところは、「その勇気によって、その驚くべき知的誠実さによって、その類を見ない観察と知覚の力によって」、起こった事象だけでなく、人々と自分の心境、しかも、状況に応じて刻々と変化していく心境を、克明に記していることだ。自分の心情や置かれた状況を、ここまで辛辣に見つめ、また明確に分析することは、普通の人間にはできない。真実を追求するジャーナリストの悲しい性癖といえるのかもしれない。

いずれにしても、人間が、究極の状況で自分を守るため、何を考え、どういう行動をとるかということが、この本の中から、著者の働哭のように伝わってくる。そして、さらに私が驚嘆したのは、どんな状況になっても、著者が絶対に正気を失わないことである。この時期のベルリンでは、レイプはおぞましいことではあったが、しかし、抵抗することのできない現実でもあったということが、この本を読むとよくわかる。著者も繰り返し襲われるが、彼女のロシア兵に対する感情は、諦念と軽蔑に支配されている。そのうち、不特定多数のロシア兵たちに毎夜輪姦されないための試行錯誤も始まる。
たとえば、なるべく位の高い兵士と一対一の関係を結んで、保護してもらうのも一案だった。」

以上は、この本を紹介してくれた川口・マーン,エミ『ベルリン物語』都市の記憶をたどる』(平凡社, 2010)からの引用(一部修正)である。

先に当ブロクで紹介した、富永孝子『大連・空白の六百日―戦後、そこで何が起ったか』(新評論 1999)を併せてよむと、ウクライナがなぜ降伏してはならないかの理由がわかるだろう。スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』 (岩波書店 2016)も読む価値のある本だ。両者は戦争と女性及び男性について反対の立場・思想から書かれている。つまり人間には二面性があるということで、男女を超えてどちらも本物だ。

読書状況 いま読んでる

著者はドイツ思想が専攻の社会学教授。小生より一世代下で、まさか年端もいかぬころから歌謡曲を聴いていたわけではあるまいが、よく60年代の音楽シーンを捉えている。
それほど音楽好きというわけではないが、70年代までのポップスやシンガーについては、時々の社会情勢と共に記憶が甦る。さすがに80年代を超えると親しみが薄くなって、90年代以降はもうついていけない。
戦後日本の歌謡曲やポップスの歴史をこのような形で読んでみると、何気なく聴いていた音楽が歴史や社会を形作ってきたこと、あるいは歴史や社会から生まれたものであることがよく分かって面白い。

2022年9月2日

読書状況 読み終わった [2022年9月2日]
カテゴリ 趣味

神保町一の古書店店主による、神保町の歴史を綴った貴重な本である。
日本が目の前の人参めがけて一目散に走り抜けようとしていた昭和40年代の始まりから終わりまでを、高校・浪人、そして地方の大学生活として過ごした。その頃神保町の古本屋街にはだいたい1週間に1回は来ていたと思う。本を買う金などは持ってなかったので、壮大な図書館のように眺めては作家の名前を覚え、どんな本が高いのか安いのか、めづらしい本を見てはため息を付いているばかりだった。

ご多分に漏れずミーハー的な性格で、三島由紀夫の初版本、だれそれの初版本など、初版本を手に取るだけで満足していたようなところがある。だから、どの本屋にはどのような傾向の本があって、某作家の本は相場がどれくらい、と古書店の店員が少しは務まりそうな知識もあった。

三島由紀夫は「本の価値は古本の値段に比例する」といっていたが、本当にそうだ。山本夏彦翁は「読者はシラミのようなもので、死んだら作家から離れていく」と言っている。つまり作家の人気は生きているうちの話で、死んだら途端に人気がなくなるという意味だ。ここ10年で死んだ作家を思い浮かべれば、その真理具合がよく分かるだろう。

また、鹿島茂『神田神保町書肆街考:世界遺産的“本の街”の誕生から現在まで』(筑摩書房, 2017)も同街の歴史を扱っていて、こちらは流石に博捜家としての著者の面目躍如である。併せて読むと相互に不足分が補われて一層興味を引き立てられる。

2022年8月28日

読書状況 読み終わった [2022年8月28日]
カテゴリ 歴史

月刊『ちくま』に2017年12月から20年6月まで連載された小説である。母と別れた後亡くなった父親が、転々と住所を変えており、それがいつも坂の近くだったので、娘に送っていたはがきを頼りに、父が住んでいた町と近くの坂を父の面影を求めて訪ね歩く単なるエッセイだと——ほぼ毎月読みながら——思っていた。
それにしては、坂のある街の地図をイラストレーターがきれいに描いているのは、街歩きのすすめと絡めた面白い企画なのかな・・・と漠然と感じていた所、なんと、この方はれっきとした小説家で、夫は思想家の東浩紀、父親も健在であると知って、すっかりこの小説に騙されていたことに気がついた。
それくらいうまい。これがネタバレと言われなければいいのだが。

2022年8月23日

読書状況 読み終わった [2022年8月23日]
カテゴリ 小説

留守居について書かれたノンフィクションあるいは歴史書に足る本としては、江戸時代を通じて留守居がどのような役割を果たしたかを整理した、山本博文氏の『江戸お留守居役の日記』 (講談社学術文庫) や、——メインのテーマではないが——留守居の役目を仰せつかって、仙台藩から幕末の京都に派遣された大槻磐渓の様子を描いた、高田宏氏の『言葉の海へ 』(新潮文庫)が捨てがたい。

本書は風雲急を告げる幕末動乱期の盤渓と同時期に江戸・京都に派遣された佐倉堀田藩留守居役「依田学海」の評伝を扱ったものである。
詳しく述べる余裕はないが、例えば、禁門の変、長州征伐から蛤御門の変、大政奉還、鳥羽伏見の戦へと目まぐるしく政局が変わる中、学海は京都の政情を逐一本国(佐倉)に報告し、その指示を仰いでは次の行動を執るのだが、飛脚の足でも京・佐倉間は三日がかり、評議の結果が京都に届くのは早くても一週間・十日後である。その間に情勢は変化して、指示は何の役にも立たない。
今の即時連絡が可能な通信事情と、当時が異なることにはなかなか気づかない事だ。この点において、京都周辺の大名たちと江戸・東国の大名たちの行動に齟齬があったことが頷ける。

依田学海はもともと漢学の学者であったが、幕末に自藩反対派から処分を受けた盤渓と異なり、維新後も生き延びて、漢学者としての業績を残している。また、鷗外が師と仰ぐ人物でもある。本書は学海の『学海日録』から丹念に幕末の彼の行動を追ったもので、幕末・維新に興味のある読者には必読の書と言えよう。

2022年8月22日

読書状況 読み終わった [2022年8月22日]
カテゴリ 歴史

ベルリンを舞台にした、19世紀からのドイツ地方の歴史が、各時代の登場人物の伝記を追うように書かれていて、現在のドイツのみならず、フランス・イギリス・オーストリア・ロシアとの関係——お互いの猜疑と離合集散——がよく分かる。今、一枚岩と——日本人だけが——思い込んでいる「西ヨーロッパ」にしても危うい綱渡り真っ最中であり、誠に「欧州情勢は複雑怪奇」なのである。
目次から単語を拾うと、「ビスマルク、ドイツ帝国、ワイマール共和国、ナチスヒットラー、ポツダム宣言、ベルリンの壁、壁崩壊と統一ドイツ」など。わずか100年ほどの間にこれだけの変化が起こっていることを考えると、同じ敗戦を経験した日本の変化など「どこ吹く風」と思えてくる。
ベルリンを舞台にしたドイツ100年の歴史を、小さな新書にまとめ上げた手際は素晴らしい。この著者によるドイツ・ヨーロッパからの報告となる他の著書を併せて読むと、今回のウクライナ戦争・天然ガス打ち切り・脱炭素礼賛などの慌てふためきぶりや——これを泥縄という——、日本人ソックりな幼児的天真爛漫ぶりと、強い協調性などの国民性が如何に重大な危機を招くか、高みの見物のようにわかりやすい。

読書状況 いま読んでる
カテゴリ 歴史

昭和55年に日本建築学会作品賞を受賞した三宅島にあった木造建築物の壮絶な建設記録である。
建設したのは全共闘「生き残り」の連中で、彼らは自らを「敗残兵」と位置づけている。全共闘運動が終了した後の「闘士」たちのその後をみると、「転向」を図れずに赤軍などに身を投じたものもいるが、99%の若者は「反体制」というレジャーを楽しんだ後は、企業にうまく入り込んで、自己嫌悪することもなく無恥な生活を謳歌した。
しかし、三宅島の若者たちは(筆者も同世代だが)、自らを偽ることができず、闘争のやり直しを行った。向かった先が「この建物を造る」ことだった。建築の素人だった彼らが、示唆を受けて、当時国鉄が廃棄しつつあった6000本以上の枕木を集めそれを積み木のように組み立てることにした。
誰もがやったことのない「壮大な」試みであったし違反建築でもあった。建設が困難で時間ばかり過ぎる間に、もともと少ない仲間たちの結束も乱れ、離反・半目・脱落が相次いだが、「思いが強ければ、必ずできる」という地元の棟梁に励まされ、ついに完成に至る。読了後は深い感慨を催さずにはいられない。
建築学会の作品賞は、規則によって設計者に与えられたが、この連中にとっての設計者(人生の指導者)は棟梁にほかならないという思いが強い。
(未確認ながら)記憶が確かなら、その後この建物は劇的な結末を迎える。昭和58年の三宅島噴火でこの建物が焼失したのだ。

2022年8月18日

読書状況 読み終わった [2022年8月18日]
カテゴリ エッセイ

未知の著者の本であったが、これは日本と世界の主に経済・雇用・社会状況を的確に分析した本である。裏付けとなる統計グラフや、論文の出どころが明記してあり、独りよがりのエッセイ(独断または自己宣伝)でないところも気持ちがいい。
すでに言われていることではあるが、日本社会(企業)の成功体験としての終身雇用・年功序列・労使協調などの「美点」が、現代ではことごとく逆回転していることが改めて説明されており、40代以下の若者が真剣に考えなければならないことが多い。
すでに老境に達した身としては時代の転換が「遅かった」と悔やまれるが、まあ、逃げ延びたという見方もできるだろう。
ただ、この本で触れられていない「逆打ち」として、芸術・伝統技術など自己の興味・能力に恃む自信のある人間は却っていい世界を生き延びられるだろう。

2022年8月17日

読書状況 読み終わった [2022年8月17日]
カテゴリ 主張

古い本だが、ざっくりと読み返してみた。
これは宇宙船地球号を模擬したカプセルに丸一日入って生活したレポーターの報告である。
完全に閉ざされた室内で、外界とモノの出入り——すなわち、水、食料、空気、エネルギー——を完全に計測して、自分のカラダが何をどれだけ消費し排泄したかを数量的に明らかにしている。厳密な科学測定ではないが、傾向はよく分かる。
体重の増減がなければ、体に入ったものと出たものは、重量的には同じである。
水は分解されないから、摂取した水はすべて排泄ないし蒸発している。(これは誤り。水も分解される)
食べ物はどうか、実は取り入れた食料の重さのほうが、排泄した固形物の重量よりも重い。では、残りはどこに行った?
エネルギーに消えた?エネルギーには重さがないからこれは間違いであるが、正しくもある。

人は空気を吸って、空気を吐いている。当たり前だ。しかし成分が違う。このときの実験では、酸素消費596リットル、二酸化炭素産出量500リットルだった。それが?
つまり、空気中になかった炭素分だけカラダから抜けている。炭素の原子自体は極々僅かな重さだが、一日の排出量(重さ)を計算すると、なんと930グラムにもなる。これは24時間で約1kgの炭素がカラダから抜けているということ。大したものだ。では、その炭素はどこから来た?
それこそ、食品の中に含まれるタンパク質などの燃えカスだ。エネルギーの源泉である。
ここから、人間が地球に与える影響と、その負荷を補う植物や自然環境の問題へと、話は広がる。小学生にもわかりやすい。科学教育にはこのような実践と体験が必要なのだ。

2022年8月14日

読書状況 読み終わった [2022年8月14日]
カテゴリ 科学・工学

敗戦後ソ連、次いで中共の支配下に入った大連で12歳の少女が経験した記録である。20年以上前に読んで現在手元にないので、印象に残ったことを書いてみる。
戦争につきものとはいえ、無法者ばかりのソ連兵のならず者が暴虐の限りを尽くしており、完全ではないとしても旧日本軍や戦後のアメリカ軍の規律に比べると、目を覆うばかりである。流石に書きにくいことも多いだろうから、全てがありのままに書かれているわけではない。
あれから80年も経とうと言うのに、未だにウクライナで同じことが行われるのは民族的な欠陥というほかない。今後中露に対し、日本が不戦で降伏しても国民の生命・財産は保証されないだろう。
本書に戻ると、敗戦直後には日本人と支那人ばかりが住んでいたわけではなく、欧米人も住んでいた。金髪の女の子が叫び声を上げながらソ連兵から逃げ惑うところを著者は家の窓から見ている。同じ窓からは、別の日に隊列を組んだコサック兵の見事な合唱も聞いている。音楽的なDNAは浪花節の世界とは全く違うようだ。
日本兵が民間人を置いて逃げていった後、自治会が組織されてそのリーダーがソ連軍と折衝している。何とか民間人の婦女子を暴行から守るために、慰安婦にお願いしてソ連兵の相手をしてもらったりしているが、プロの女性たちも相手の精力には音をあげている。
大連には大連神社があったが、その御神体の日本への還御を行う際、現地の司令官が御神体を見せろと凄んだ話もある。
ともかく、貴重な経験談だ。ぜひご一読を。

2022年8月9日

読書状況 読み終わった [2022年8月9日]
カテゴリ 歴史

佐々木邦が昭和2年から2年間『少年倶楽部』に連載したユーモア小説かつ名著である。
地方に住む旧藩士の息子(中学生)が学業優秀であるとして、維新後東京に住んで伯爵となった藩主のぼんくら子息の同級生兼家庭教師として東京に呼び寄せられ、一緒に生活する物語である。
伯爵の屋敷は広大で、例えて言えば国立競技場より広そうだ。鬱蒼と木が茂っているところもあれば、見事な回遊式庭園もある。家来とも言える使用人も100人近くいそうな生活をしているが、旧幕・新政府の高官の屋敷と生活は震災前だったらさもありなんと思わせる設定である。
学友扱いの同級生とは言いながら、世が世なら主人公の父の位では藩主にお目通りも簡単ではない下級武士である。当時の伯爵の権勢は今の政治家や大金持ちも及ばない。
このような中、上品なユーモアをふんだんに展開させた著者は、その後に続くユーモア作家、例えば筒井康隆や星新一などを遥かに凌駕する。三浦朱門が絶賛する所以である。
今は無料で青空文庫でも読むことができるので、再評価を期待したい。

2022年8月8日

読書状況 読み終わった [2022年8月8日]
カテゴリ 小説(故人)

サブタイトルが『「連れ込み宿」から「ラブホ」まで』とあったら、誰でもニヤッとしそうだが、期待に反して学術的で真面目な内容である。
10年前の出版だが、卒論や修論を書く学生にはきちんとした文献調査と、フィールドワークなどのまとめ方などを見習う教材としてよくできているおり、実際テーマの面白さから勉強になると思う。
佐野眞一の『東電OL殺人事件』が自信を持って書いていた、渋谷の円山町の成立過程を、見事実証的に覆した例や、鶯谷のラブホテル街の成り立ちに意外な原因があったということなど、興味の尽きない話題が多い。

2013年5月22日

読書状況 読み終わった [2013年5月22日]
カテゴリ 趣味

江戸の地理・地形に詳しい一言居士、鈴木理生氏のビジュアルな集大成だ。残念ながら氏は2015年に世を去られた。氏は豊富な知見を駆使した立派な業績がありながら、閉鎖的な学者の世界からは受け容れられることの少なかった、いわば在野の学者である。
事大主義に取り憑かれている出版界からの無形の圧力をモノトモセズ、多くの著書が世に出てきていることは、後進の趣味人にとって頼もしい人であった。
ともかく、一貫して江戸の成り立ち、地形、河川とその歴史についての見方は、異論も多いのは事実であるが、それだけに多様な見解と相互批判の重要さを一般読者のレベルで教えてくれたといえよう。
歴史、特に江戸の歴史に興味を持つ、アカデミーとは無縁の読者を育てて、この分野の出版ブームを巻き起こしたと言ってもいいと思う。

読書状況 いま読んでる
カテゴリ 歴史

昆虫採集に無我夢中になったことのある世代といえば、おそらく地方に住んでいた団塊の世代までだろう。著者は団塊の世代の少し後だが、首都圏の外れでまだ自然が残っていた場所で少年時代を過ごしたという。
昆虫の面白さに目覚めるのは少年——といっても小学生——が限界だろう。無心で野山を駆け巡り、昆虫の楽しさに触れない限り、素直な気持ちで昆虫たちと向き合うことはできない。本書はそういった昆虫との付き合いの始まりを、少年時代から回想している。
ファーブルの『昆虫記』との出会いも重要だ。『昆虫記』は戦前に山田吉彦が翻訳してくれたおかげで日本中の少年たちが、昆虫の神秘に出会うきっかけを与えてくれた。
山田の著作には『ファーブル記』(岩波新書)もあり、自由人ファーブルの素晴らしい伝記となっている。
山田吉彦は本名だが、のちに「きだみのる」というペンネームで、ファーブルさながらの自由人として、いくつかの著作を残したことまで気がつく人は少ないかもしれない。
筆者の関心はいつしか『昆虫記』から翻訳者であるきだみのるの全著作を渉猟するようになってしまったが、どこかで「昆虫愛」とも通じるところがある。夏になると、桜の木に止まっている100匹を超えるニイニイゼミに捕虫網で挑みかかったり、最近の東京でクマゼミの鳴き声を発見して、かって聞いた長崎の坂道で耳をふさいだ凄まじい鳴き方とつい比べてしまったりしてしまうくらいだ。

読書状況 いま読んでる
カテゴリ エッセイ

いまやNHKの歴史の先生として売れっ子の磯田道史さんの著書である。だからといって易しい読み物ではない。平成14年に慶應大学に提出した博士論文が収められているレッキとした学術書である。どれくらいレッキとしているかというと、多くの研究者が数多く引用しているくらい重要かつ新しい知見が盛り沢山なのである。
中身を一言で(は言えないが)いうと、江戸時代の侍は大体三階級に分かれるらしい。各藩で呼び名は異なるが、概ね「平士」「組士」「足軽」となる。「侍」といえるのは、「平士」「組士」までで、足軽以下は侍とはみなされていなかった、というのである。
侍の世界は、仲間内で厳密な身分制度が敷かれていて、上下がはっきりしており、商人・百姓などの町民と比べたらとても大変な社会だったのだ。
余談だが、時代劇をよりよく理解する上でとても役に立つが、これをもとに時代劇のアラを探したらピンからキリまで数多くあって、とてもストーリーどころではなくなる。あれはファンタジーの世界を描いたと思ってみなければだめなのである。

2022年7月27日

読書状況 読み終わった [2022年7月27日]
カテゴリ 歴史
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