説教シリーズやモンスターシリーズなど、企画がなければこの世に生まれたなかったはずの悪感情を発現させることに定評がある水曜日のダウンタウン。
筆者が関わる番組は、素人出演者へのツッコミが辛辣だったり、演者への追い込みが厳しすぎたりして、正直見ていられないことも多いのだが、そこでしか見られない、新しい知見を得られることも多い。
そのエッセンスの秘訣がわずかでも汲み取れるのかと期待して本書を手にとったが、そんなことはなかった。
期待してた対談もボリューム不足。作者の過去作品の回顧と確認を楽しむ分には楽しんで読めるが、そうでもない一般人にはオススメできない一冊。

2020年1月14日

読書状況 読み終わった [2020年1月14日]

"分析"と言うには一手足りないが、"感想"と言うほどには属人的でない、プロからの漫才評。
なんとなく視ているだけでも楽しめる"直観"の世界において、なぜ面白いのか、なにが面白いのかについて、改めて納得できる"論理"が示されることで、新しい視点をもって漫才を楽しめるようになれるだろう。
ちゃんと構成すれば優れた分析・解説本になっていただろうに、雑な編集のせいで『面白い本』止まりになってしまっているのだけが残念。

2020年1月14日

読書状況 読み終わった [2020年1月14日]

本書を手にとるような人は、タイトルの意味を正しく理解しているだろうし、事故を減らすことは出来てもゼロにはできないことも知っているだろう。
しかしそのような人でさえ、自身が事故の被害者になってしまった場合は「何故こうなってしまったのか」「どうして避けることが出来なかったのか」と困惑し、犯人と責任の追求に奔走してしまう。
救助ヘリに吊られる際に「1万人に1人は何らかのミスにより死ぬ可能性があります」と言われて平静でいられるだろうか?

人類には偶然を認識するのは難しく、避けようがない事故と避けられたかもしれない事件の区別はできない。
ましてや重大事故は副次産物として保身、非難、責任回避、現実逃避などの避けようがない多くの感情を生みだす。
このような状況下では事実が歪めて語られることは避けがたく、例え第三者による検証であっても当事者から正確な報告を得ることは難しいのだが、保証や賠償のために多くの時間が費やされてしまうことは避けがたい。
だからこそ未来の事故を未然に防ぐ手立てを検討する場合には、このような1件の重大事故の原因追求に心血を注ぐのではなく、100件のインシデントを分析することを心がける必要がある。

学生の頃に思い描いていた"社会"とは、論理と理性が支配する大人の世界であったが、長く生きるほどに人間社会とは感情が主導する領域だということを思い知るようになった。
バグのないプログラム、エラーのないシステムが存在しないのと同様に、誤認しない警察、失敗しない病院、間違いない裁判も存在しない。
科学が無知を認めることで進歩してきたとしたら、システムは間違いを認めることでさらに進歩していけるだろう。

2020年1月14日

読書状況 読み終わった [2020年1月14日]

1人を救うために5人殺すのかを問うトロッコ問題はあくまで仮定のストーリーであるが、
100匹を救うための1000匹、1万匹の殺処分は現実に行われている。

『すべての命は大切にしなくてはならない』という言葉に嘘はないが、命の価値に優先順位がないと言っているわけではない。
アリを無為に踏み潰したら非難されるが、蚊を叩いても怒られない。
屠殺に対する抗議運動はあっても、ネズミやゴキブリの駆除が反対されることはない。
命の価値は、人への影響度合いで決められている。
では、その影響が遠い環境ではどうだろうか?

人里離れた離島において、ありふれた外来種により、固有の在来種が脅かされている。
せめて苦しめずに駆除すべきだろうか?その方法を探している間に絶滅してしまう可能性があるとしても?
在来種に価値があると信じる人々は保護のために駆除を進め、在来種に特別な価値を見いださない人々はそれに反対する。

固有種の希少性に十分に寄り添って書かれた本書を読めば、そのための害獣駆除を認めざるを得ないだろう。
例えその対象がネコやイヌであったとしても。

2020年1月14日

読書状況 読み終わった [2020年1月14日]

Wikipediaのおかげで、動植物の分類はとても身近なものになった。
例えばカバを検索してみると、『動物界:脊索動物門:脊椎動物亜門:哺乳綱:鯨偶蹄目:カバ科:カバ属:カバ種』と表示される。
しかし、これを見て「カバはネコよりもクジラに近い生物なんだ」や「これが進化の順番なんだ」と考えるのは早計だ。
では、これは一体何に基づく分類なのか。科と属の違いとは何なのか、クジラとカバとネコの違いとは何なのか、分類学とは何なのか。
本書がそれを教えてくれる。

動物分類について学び始めたときに、誰もが抱く大きな疑問が3つある。
・分子生物学で遺伝子情報を調べれば、進化の順序は完全に明らかになるのでは?
・それを使って分岐図を書けば分類に悩むことなどないのでは?
・種が生殖可能単位と定義されているならば亜種の定義とは?
どれも検索では探しにくい問題だが、回答を得る前にそもそも"比較"とは難しいということを知る必要がある。

例えば文章の類似度を比較する場合。片方では全く同じパラグラフが2回現れた場合、それを1つの違いとしてカウントするか?それともパラグラフに含まれる文字数分の違いとして数えるか?パラグラフの挿入場所が違う場合は?文字列の順序のみ違う場合は?
例え文章の見かけの類似度を比較する定義ができたとして、そこから生じる意味の違いはどのように比較するのか?
全然違うアミノ酸から同じタンパク質が生成される場合と、ほぼ同じアミノ酸から違うタンパク質が生成される場合は、どちらが近縁と言えるだろうか?

そして"分類"についても"比較"と同じぐらい難しい。
例えば鳥類とは爬虫類から大きく変化した種族であるが、進化の歴史という"答え"に従って分岐分類図を作ると、"爬虫鳥類"となり、"爬虫類"という区分は消失してしまう。
長い間進化していないシーラカンスや肺魚は"魚類"ではなく、カバも含まれる陸生脊椎動物"四足鰭上類"の一員となる。
そもそも"分類"ということは指標を一つに定めるということであり、"進化の順番"一点のみに従った分岐分類においては、程度の違いや時間間隔の違い、すなわち"進化"を説明するものとは違うものとなってしまう。

最後に"種"について。
"種"という分類のみ、生殖により子孫が残せるかどうかという定義があるが、これもそう単純ではない。
例えばイリオモテヤマネコとユキヒョウとチーターが生殖可能かどうか、無数の環境下で無数の組み合わせを試すまで分類は不可能ということで良いのだろうか?
試験管内で生殖可能であれば同じ種とすると定義したとして、未だに無数の新種が発見され続けている南国の昆虫や深海の甲殻類の精子と卵子を採取しなければならないとしたら、分類学は永遠に停滞するだろう。

クジラとイルカの分類上の違いは、大体のサイズの違いのみで決められるという話を聞いたことがある人もいるだろう。
理系から見たら曖昧さを感じてしまう事例だが、そもそもが曖昧な人の認識と、正確であろうとする論理科学にどう折り合いをつけるのかという問題は、生物分類以外であっても避けることは出来ない。
であれば本書から分類にあたって生じる普遍的な課題を学ぶことは、如何なる分野においても役立てることができるだろう。

2019年12月25日

読書状況 読み終わった [2019年12月25日]

すべての崩壊はわずかな綻びから始まるが、わずかな綻びのすべてが崩壊をもたらすわけではない。
綻びが重なり連なったとき、即ち皇帝の引き継ぎ失敗の連鎖こそがローマ崩壊の原因だとすれば、これはその始まりだろう。

100年の平和の後の外的襲来に、戦争に不慣れな皇帝があたったとしても挽回可能であった。
しかし、先帝が有能であればあるほど、その跡継ぎに対する忠誠は盲従となる。
今までは、幸か不幸か皇帝は実子に恵まれず、有能な後継者を養子にすることで体制を保ってきたが、
今回に限ってはそうでなく、能力でなく血筋で選ばれ、しかもそれは失敗した。

コモドゥスは暴君に生まれついたわけではないが、不運な家庭環境がそうしてしまった。
人間は、欲しい物が与えられなくとも自暴自棄にはなれないが、持っていたものを奪われるときはそうではない。
"怒り"よりも"恐れ"こそが、多くのものを破壊する暴力の源泉となる。
まずこの病にかかったのは、皇后の地位を奪われんとした姉であり、その姉による暗殺計画により、コモドゥスは猜疑心の塊となってしまった。

家族だけでなく、有能な部下や元老院議員までもが次々と処刑され、残るのは実利のみを求める追従者のみ。
能力がない追従者は権力を持っても金と権限をばらまくことしかできず、腐敗は加速する一方となる。
皇帝権力のチェック機関であったはずの元老院は、明確な"敵"や反対意見、思想の違いにはこれまで対抗できてきたが、
敵でも味方でもない、何の思想も持たない皇帝の側近が独断で行っていた買収により形骸化されてしまっていた。

確たる原因も明らかにされないままなんとなく皇帝は暗殺され、残されたものは混乱以外何もなかった。
ローマが過去の危機を何度も乗り越えられたのは"中興の祖"たる実力者があってのことであったが、
今のローマにそれを可能とする体制は残されていただろうか。次巻に続く。

2019年12月25日

読書状況 読み終わった [2019年12月25日]

トラクターなしに現代農業を語れはしないだろうに、それを主題にした本を見つけるのは難しい。
農業革命というと肥料や品種改良ばかりが注目され、失敗というと政策や気候についてのみ語られるが、
農機具の進化が如何な役割を果たしたのかが語られないのは何故だろうか。

本書はその調査対象を各国の農業史や歴史書、企業広告等は当然として、ポーランドの歴史小説からベトナムの短編小説、戦時中のソ連映画、19世紀のドイツの風刺雑誌、1937年公開のナチスと日本の合作映画など、トラクターが作った轍をすべて辿りつくすかのような徹底ぶりを見せる。
この本を抜きにしてトラクターを語ることは出来ないだろう。

19世紀末にアメリカで発明されて以来、ときに激動の歴史の渦に巻き込まれ、ときに新しい時代を後押しし、人々の生活と関わってきた。

多額のローンを組んだのに故障の多さに泣く独立自営農民。
家畜の有意さを信じて疑わない古い農民。
新しい農業共同体を信じる共産政治家。
労働力不足解消のためにトラクターを大量輸入する政府。
慣れない操作に戸惑い事故で死ぬ共同労働者。
生産力向上による農作物価格の下落。
銀行と金融による土地の集積と大規模化と零細農の放逐。
農業集団化のシンボルとしてプロパガンダに用いる共産主義国家。
日本の水田に適合した小型トラクターを開発する発明家。

ほとんどの進歩というものがそうであるように、多くの混乱の果てに必需品となったトラクター。
もはや昨今の自然主義者であろうとも、トラクターを手放せとは言わないだろう。
今の世界人口は完全にトラクターありきの生産力に支えられている。
予想される進化の先には完全無人化があるが、それを超えるようなイノベーションは起こるのだろうか。
まだまだ積み重なるこれからのトラクターの世界史に期待したい。

2019年12月25日

読書状況 読み終わった [2019年12月25日]

単体の動物学はどうもジャーナリストによるエッセイ化の餌食になりやすい。
生物を深く掘り下げるのではなく、筆者がどこでどういう研究者や漁師に出会い、何を見聞きしたのかを語る構成は、
読みやすくはあるのだが印象でしか語られないため確実性・正確性に欠ける。
「タコは心臓が3つあるらしい」とか「脳以外の部分も使って触腕を正確に動かすらしい」とか「交尾・産卵後はすぐに死ぬらしい」ぐらいの曖昧でなんとなくの知識ならば得られるので、そういうものとわりきって諦めて読むならば、時間つぶしに出来ないほどひどい本ではないだろう。

2019年11月30日

読書状況 読み終わった [2019年11月30日]

カニ研究者、というよりは人よりちょっとだけカニに詳しい人による雑学集ですらないエッセイ集。
わからないものをわからないと言えるのは研究者として正しい姿ではあるのだが、本書ではその探求姿勢どころか仮説思考すら失っているようにさえ見える。

サワガニの色の違いが遺伝によるものなのかは、"実験が大変なので"わからない。
カニの甲面の多様性は"不思議としかいいようがない"。
オウギガニの指の馬蹄形がどの程度役に立っているかは"イマイチはっきりしない"。
左右のはさみの大きさが違うオウギガニ類やケブカガニ類は"経験からいえば"右のはさみが大きいカニが"多いような気がする"。
カクベンケイガニの聴毛は、いわくありげな構造であるが、本当の機能はよくわかっていない。
ヒメシオマネキの再生したはさみには歯がなくなるが、"今もって謎のままである"。

筆者も専門分野においてならばその研究内容を真摯に語れるのかもしれないが、本書としては、わかっていないことがわかるということ以上に得られるものは少ない。
国立科学博物館の研究者とはいえ、面白い本が書けるとは限らない。

2019年11月30日

読書状況 読み終わった [2019年11月30日]

食糧危機への警告本というジャンルもいい加減マンネリ化してきたせいか、さすがに大手企業だけに責任を帰すような暴論にはなっていないが、それでも恐怖を煽るだけの本であるところは変わらない。
それにしても本書は分量が多いせいもあってか、章が変わるだけで主張がブレるのには驚きだ。

「大量生産のせいで穀物価格が安くなりすぎてヤバい!」といった次の章で「牛肉の消費急増で穀物が足りなくなってヤバい!」と言ってみたり。
「後進国では他国から安価な食料が侵入してきて自国の生産業がヤバい!」といった次の章では「人口急増で食料が足りなくなる!」と言ってみたり。

グラフや表どころか数値もほとんど用いられないのは、そうした章間での不整合に気づかれないようにするためか。
「可能性がある」「可能性は否定できない」「最悪の事態が生じても不思議ではない」という言葉が多用されるが、それがどんな突飛であろうが確率が示されないのであれば、「豆腐の角で頭をぶつけて死ぬ可能性がある」とだって言えてしまう。

また、数値で語れないので、意見は基本的に感情のみを重視したものとなる。
家庭での食事が減って外食が増えることについては、女性の社会進出や分業による余暇時間の創出などのメリットを無視して『私たちの身の上に何か極めてよからぬことが起きるような気がしてならないのだ』と感情だけで危機感を煽る。
『牛の運搬用トラックについては、ほぼ十台に一台の割合で病原性大腸菌が見つかった』などと食肉の不安を煽るが、筆者はすべての肉は生で食べられるようにするべきだとでも言うつもりだろうか?

2008年に書かれた本書によれば、政府や巨大な食料組織に対抗するため『彼らの不満を爆発寸前の状態までふくらませた』二百万もの"組織"が『主催者もメディアも未確認だが、おそらく、人類史上最大の社会運動』に参加しており、『この大規模な動きがそのうち、ある種の臨界点に達し、頑強に抵抗する政治家や産業界のロビイストでさえ阻止できないほど、大きなうねりとなって、改革への原動力となることは十分に考えられる。』とのことだ。

良書というのが何年も、時には何百年もの批評に耐えうるものだとすれば、そうでない本は数年でその正体が暴かれる。
時事問題の理解のためには、新刊に飛びつくよりも、数年前の本と現時点での状態を比較すると、新しい側面で語れるようになるかもしれない。

2019年11月30日

読書状況 読み終わった [2019年11月30日]

筆者の後著『内蔵の進化』が名著すぎたせいか、同じ感動は得られず。
そもそも外から見える感覚器は、それぞれの種族の役割に応じて大きく形を変えているが、中身としては感覚細胞で得られた微細反応が神経線維を通して脳に伝えられるという構造は変わらない。
内蔵のときに感じた、段階的に機能とともに形状が進化していく過程感はなく、結果としてのそれぞれの種族の違いを語られているように感じてしまい"進化"の醍醐味は薄い。

とはいえもちろん、その他の雑学本とは一線を画して面白いのは間違いない。
視覚器一つとっても、
・脳からつくられる眼と、皮膚からつくられる眼
・かつて祖先にあった頭頂眼が退化し体内時計を司ることとなった松果体
・魚眼レンズ、瞬膜、退化した眼球に残る痕跡
などなど、進化の過程で得たもの、失われたものがわかりやすく学べる。

なぜモグラの視覚は失われ、なぜフクロウの耳は左右の位置が違うのか。
形態の理由は研究者でなくとも想像することはできるが、
どのように進化し、どのように退化してきたのかはわからない。
今、見えないもの、失われたものを考えるという感覚は、おそらく人間にしか備わっていないものだろう。
ただ、これを使うか使わないかは、それぞれの人間次第とも言える。
普段使わない器官が衰えているならば、本書で活性化させることができるだろう。

2019年11月30日

読書状況 読み終わった [2019年11月30日]

ローマ五賢帝最後の一人、マルクス・アウレリウス。
この皇帝が、前シリーズ「五賢帝の世紀」に含まれず、本巻から「衰亡史」となっているのは、
「賢帝」による治世と国家の「衰亡」が同時進行したからに他ならない。

そもそもマルクス・アウレリウスが賢帝とされるのは「哲人皇帝」の名が記す通り、政治力よりもその内省と思索が評価されてのこと。
平穏無事な時代であれば、その哲人ぶりを発揮して文化の興隆に寄与したことだろうが、それは環境が許さなかった。

パルティア戦役、ゲルマニア戦役と立て続けに起こる辺境の大規模動乱に端を発する防衛線の崩壊。
ペスト、飢餓、洪水といったどうにもならない環境の激変。
そして義弟でもある共同皇帝の突然の死。

長い平和が続けば、体制はその平和に合わせたものになる。
そして危機が訪れた時にはもう、今までと同じ対処では間に合わない。
皇帝が大きな失政を犯したわけではなくとも、大きな環境の激変に場当たり的に対応するだけでは衰退は免れない。

「法は、誰にとっても平等に執行され、個人の権利も言論の自由も保証される。この目標の達成にこそ、臣下全員の自由の保証を常に心がけることを基盤にしての、帝政の存在理由がある。」
1600年後の現代にさえ通じる思索を持っていた皇帝でさえ、ローマを崩壊から救うことはできないのか。
次巻に続く。

2019年11月30日

読書状況 読み終わった [2019年11月30日]

『人類』について考えるには、一体どれだけの知識が必要となるだろう。
その半分を占める宇宙と地球については上巻で語られたので、下巻では生命の誕生から。

はじまりの極限世界、空と海と大地の歴史、原始タンパク質誕生の奇跡。
ミトコンドリアとの共生、シアノバクテリア、ストロマトライト。
細菌の貢献、進化と絶滅、DNA。
氷河時代、二足歩行、原始人類。

歴史、化学、数学、地理、生物、宇宙、統計、さらには分類学までも!
ただ自分自身を知りたいという誰もが一度は考える欲求の解決には、人類がこれまで学んできたおおよそ全ての知識が必要とされる。
その全てが文庫上下巻2冊で網羅できるはずもないが、専門的になりすぎた各領域から一旦距離をおき、全景を眺める振り返りは、今後何度も必要となるだろう。

物理的に決して知りえないはずの『過去の出来事』は、残滓の調査と推測の研鑽だけでここまで明らかになった。
これから先、研究が線形に進むわけもなく、大きなどんでん返しや飛躍的な展開は何度もあるだろう。
結果だけでなく、過程すらも楽しめる旅路の先は、まだまだ遠い。

2019年9月16日

読書状況 読み終わった [2019年9月16日]

理論書としても歴史書としても中途半端。
一次大戦以降のドイツとソ連の戦車が主題で、それ以外は紹介に留まる。
戦史と平行して戦車の開発史、著名な将校とその戦略について語られ、
なんとなく眺める分には楽しめるが、では実際にどういう状況にはどういう布陣でどういう戦術が有利だったのかは全く不明。
戦略レベルにしても、総戦力や兵站、経済力や政治状況については語られないので、
何が起きたのかは理解できるが、どうすべきだったのかは考える材料すら提示されない。
世界の機甲史を西暦で散々書いた後に日本の章で和暦のみを使うあたり、実用ではなく印象を優先しているのだろう。
機甲戦の渦中に異世界転生したとしても、持っていく必要はないであろう一冊。

2019年9月16日

読書状況 読み終わった [2019年9月16日]

徴兵制なんて今どきありえない?それでは労働需要・供給曲線で予算費用と資本集約度を比較してみよう。
自爆テロなんて不合理?それではゲーム理論と費用便益分析でテロ犯の合理性を検討してみよう。
戦争って儲かるの?それでは計算してみよう。

ファンタジーを現実的に計算することを試みる空想科学読本というシリーズがあるが、本書は現代日本においてはもはやファンタジーと言っても過言ではない戦争について計算する。
それは戦争という抽象的で超大で影響範囲が計り知れないものを、なんとか人が理解できる範疇に収めようとする努力であり、例えば心理的影響は株式市場の成績や消費支出、民間投資から間接的に推し量る。
そう、本書で試みるのは素人でも理解可能な経済学を駆使した説明であり、本来であれば変数が多すぎて手に負えないであろう戦争を、専門外の人間が読んでわかる範囲に上手く落とし込んでいる。

戦争の経済効果の他には、軍隊の経済学(防衛支出と経済、志願と徴兵、民間軍事会社)、安全保障の経済面(内戦・テロの経済的影響)、大量破壊兵器の経済性について。
本書が教えてくれるのはその手法であり、だからどうなのか、これからどうすべきなのか、明確な結論が示されるわけではない。
そもそも現代において戦争を語るときはどうしても、恣意的または無意識的な操作が入り込む余地が多すぎるが、本書ほどその気配を薄くできた本は他に知らない。
これをベースに個人が戦争についてのリテラシーを身につけるのは当然の使い方として、
それ以外においても。物事を考えるときにどのように経済効果を考えるか、という思考の構築に役立てるだろう。

2019年9月16日

読書状況 読み終わった [2019年9月16日]

石と肉に続き、鉄と火を主題に戦争を語る。
前巻と同様に、歴史的ストーリーをお題目にからめて紹介するのだが、やはり学問として整理されているとは言い難く。
ジャレド・ダイアモンドやウィリアム・H・マクニールを参照し、細かいデータとエピソードが豊富で歴史好きなら楽しんで読めるには違いないが、回りくどい筆者の述懐に追いつくのに必死で知識として吸収しにくい。
だが逆に言えば、図解して整理する余地があるので、自分でノートにまとめるという楽しさもあるかもしれない。

「ギリシャ時代の密集方陣は左手に盾を構えるので、隊列はどんどん右側に流れていった」という逸話は紹介されるが、それに指揮官がどう対処したのかは記されない。
これを知識の書ではなく、物語の書として楽しめる人にはオススメできる一冊。

2019年9月16日

読書状況 読み終わった [2019年9月16日]

言語が虚構を産み、虚構が神話を産み、神話が共同生活を産み、共同生活が書物を産み、書物が帝国を産み、帝国が貨幣を産む。
人類進化の著作は多々あれど、物理的な変化や文化の痕跡を語るにとどまるものがほとんどだが、
本書は過去、何が起こりどう変わったのか。具体的事例を豊富に人類史を物語として語る。

例えば『農耕生活より狩猟生活の方が楽な生活であった』というのは昨今よく聞く話だが、
本書は具体的に農耕が100人の豊かな生活から全てを奪い、気づいたときには1000人を苦しめる生活に至る論理を語る。

そうして人が集まるところに神話がうまれ、もしくは神話があるところに人が集まり。
人の集まりは備えと蓄えを必要とし、もしくは備えと蓄えが可能なところに人が集まり。
備えと蓄えは過去と未来に強く依存するという必要性から、書記体系がうまれる。
もしくは書記体系が存在するからこそ、効率的に備え蓄えることができるようになる。
かように原因と結果が相互に影響しあい、サピエンスの発達は猛スピードでなされてきた。

今や国家の威光は隅々まで届き、貨幣が存在しない地域は数える程度しかない。
合わせて進化した数々の制度は、もはやメリットとデメリットを比較するまでもなく、変えることはできても引き返すことはできない。
人類史は始まったときから全て、贅沢品を必需品にして新たな苦楽を生じさせるということを繰り返しているにすぎない。
だが、積み重なっているものはある。
科学と市場経済は、この螺旋に終着点を見出すことができるのか。
下巻に続く。

2019年9月16日

読書状況 読み終わった [2019年9月16日]

まるで近未来SFの序章のようなタイトルだが、副題の通り、中高生向けの脳科学紹介が主題。
脳構造の進化や脳内物質の化学的機能を細かに語るのではなく、意識や視覚、記憶の実態など、機能を中心に講義形式でわかりやすく解説される。
なかでも特筆されるのは、肉体とのつながりについて。
肉体を支配する司令塔と思われている脳が、いかに肉体に支配され、肉体とともに成長するのか。
なぜ脳のサイズが等しいイルカは人間ほどの知能を持たないのか、なぜイカやタコは小さい脳で多数の手足を動かせるのか。
『人間の脳は3%しか使われていない』みたいな都市伝説は最近では下火になったが、例えば脳波で動かす義手を子供の頃から装着した場合、脳構造は大きく変化する余地を残しているかもしれない。

しばし脳力とは記憶力と同一視して語られることがあるが、記憶は正確でないからこそ、特徴を抽出し、意味を見出し、状況を理解することを可能とする。
どの脳力が優れているか、どう役立つかは時代によって変わる。人には得意・不得意、向き・不向きがあることはどうしようもないが、せめてこの本を楽しんで読めるという奇跡は忘れないでいたい。

2019年6月30日

読書状況 読み終わった [2019年6月30日]

各家庭が利用可能な上下水道、公的資金により安価で利用可能な公衆浴場、自由市場として他国民にまで広く開かれた医療・教育制度。
なぜ初めてといってもよい帝国づくりで、このような数百年も継続可能な基盤を作ることができたのか。
本書はローマのインフラまとめの後編として、そのシステムの詳細を語る本ではあるのだが、その理由については考察されない。
既刊を振り返れば、もちろんローマとて常に成功しかなかったわけではなく、多くの内戦やクーデター、自然災害に侵略など、数多くの崩壊の危機を乗り越えてきた結果だということが思い起こせる。
だが、世の中に改善と進化しかないならば、ローマ帝国は滅亡しないし、インフラシステムは後世に引き継がれていたはずだ。

五賢帝により盤石となったパクス・ロマーナは、なぜ継続することができなかったのか。
強大な外敵、突然の自然災害、さらには劣悪な指導者にさえ打ち勝つシステムが備わっていたローマは、いかにして衰退するのか。
続刊に続く。

2019年6月30日

読書状況 読み終わった [2019年6月30日]

生物の細胞核の起源がウイルスにあるとする主説は、門外漢の自分にとってはさほど違和感なく受け入れられた。
『巨大ウイルスとは何か』から初学者向けに語られる細胞学も、わかりにくい部分もなくはないが、主説に至るまでの必要事項として受け入れられる程度には学べる。
ただ、筆者独特の軽口がどうしようもなく自分に合わないのと、最低限必要な部分以外への言及が薄く、筆者の自著以外へと広がる余地が少ないように思える。
細胞学の基礎を多数学んだ後ならば、箸休めとして使えるかもしれない。

2019年6月30日

読書状況 読み終わった [2019年6月30日]

宝くじで一等当選する確率と、地球が滅亡する確率はどちらが高いだろう。
両方ともに遭遇せずに死ぬ確率の方がよっぽど高いことは間違いない。
氷河期、地軸反転、火山爆発、彗星衝突。過去46億年の中で、人類が滅亡するほどの自然現象に何度も見舞われてきたのが地球だが、偶然にもここ1万年ほどは安定しているようだ。
本書は地球滅亡陰謀論でもディザスター・ムービーの原著でもないが、どれも人が明らかにしてきた地球の歴史を語る上で無視できない事象だ。

宇宙創生、宇宙の大きさ、星の寿命、地球の大きさ、地球の年齢、恐竜の発見、元素の発見、大陸移動、彗星衝突、地軸反転、超巨大火山爆発。
語られるのは科学的詳細というよりはそれらの発見と人の物語であり、知ってる人から見れば新しい話でもないし、知らない人が読むには、話題の多さからか丁寧さに欠ける。
しかし、本書の全てを知っているような人も稀だろう。
"人類知識"の外観を眺めることで、次に読むべき一冊を見つけられるようになるかもしれない。

2019年6月30日

読書状況 読み終わった [2019年6月30日]

もっと具体的に『プランクは腹横筋にはまったく効かない!』ぐらいの情報を期待したが、訂正されるのはフォームの乱れぐらい。
自重からマシン、フリーまでトレーニングのフォームを幅広く写真で解説する、特筆すべき点のない普通の筋トレ本。
読み物というよりは説明書であるので、ちゃんと説明書を一から読み込むような人間は、買ってもいいだろう。

2019年6月30日

読書状況 読み終わった [2019年6月30日]

小学生の頃、どこで買ったかも覚えてないが、色もついていないゴジラの指人形でよく遊んでいたことを思い出す。
ゴジラ、メカゴジラ、ガイガン、キングギドラ。
ろくにストーリーも知らないのに、ただカッコいい怪獣たちを戦わせるだけで満足していた。

しかし中学生になると、気恥ずかしさからか以降のシリーズには入れ込めず。
FINAL WARSの頃にはおふざけを逆に楽しめぐらいの大人にはなったが、ゴジラの思い出なんてすっかり忘れてしまっていた。

そして社会人として見たシン・ゴジラは、自分の知らない新しいゴジラだった。
街を破壊するということの恐ろしさを、それに誰がどう立ち向かわければならないのかを思い知らされる作品であり、
心残りなんて一切なく、想像を超える素晴らしい作品を堪能したという思いしかなかったはずだ。

なのになぜ、今作を見るまで怪獣の美しさに気づくことが出来なかったのだろう。
空、海、火山、氷上、そして破壊された街を背景に、佇み、轟き、羽ばたき、戦うその異形の美しさを。
美しい景色、美しい建物、美しい絵画は数あれど、最高のBGM付きで激しく動く美しい場面を次々に見られるのは、美しい怪獣映画だけだ。
これこそ小学生の頃、憧れ、夢見た、僕の頭の中にだけあった怪獣たちの戦いだったのだと、ようやく思い出すことが出来た。

ついに現実世界は、僕の妄想に追いついた。
本作で怪獣の美しさを知ってしまった子供たちは、どういう大人になり、どういう作品を作るようになってしまうのだろうか。
次のシリーズだけでなく、以降の全ての作品すらも楽しみになってしまうのが、ゴジラ キング・オブ・モンスターズの出来栄えだ。

2019年6月2日

読書状況 観終わった [2019年6月2日]

進化や生物について詳しく知りたいという漠然とした思いから本を探し続ける人は、どうやって読むべき本にたどり着けるだろう。
知識や嗜好が違う万人に勧められる学術本というのは難しく、自分が読めそうな本を片っ端から読んでみるしかなかったが、それを続けることでようやく本当に読みたかった本に出会うことが出来た。

本書は、生きていれば誰もが抱く単純な疑問『人間と他の動物ってどうしてこんなに違うの?』に対し、原始的な脊椎動物から順に魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類とどのように内蔵器官が進化してきたのかをわかりやすく図解で解説する。

例えば両生類が主に皮膚で呼吸していること、魚の浮袋は陸で生活したときに得た肺を再利用したものであること、鳥類の片側の卵巣が退化すること、毛細血管ではなく毛細器官でガス交換する昆虫と体サイズの関係など、雑学としても興味深い内容を体構造の進化と合わせて学べるなんて、なんと贅沢なことか。

もちろん本書一冊ですべてが網羅されているわけではなく、詳細が気になるまま語られない部分は多くあるが、他に読むべき本を増やしてくれるのも良書ならでは。

"生物"はもちろん"理科"が楽しかった思い出が少しでもあるならば、絶対に手元に置いてほしい一冊。

2019年5月26日

読書状況 読み終わった [2019年5月26日]
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