失敗を認め、失敗を責めず、失敗から学べば進歩できるとする『失敗の科学』に間違いはない。ただ、失敗を正しく定義し、誰のせいにもしないことは、現代社会においても難しい。
本書に記されている通り、航空業界はその先鞭となり、医療業界も変わりつつある。しかし、司法、立法、行政においては未だ失敗を認められるような構造にはなっていない。失敗を定義するには大きすぎ、時間と人が関わりすぎているからだ。「今年の冤罪は10件でした」「今までの政策で年間100人亡くなっていたことがわかりました」という発表に、責任を取らせず、すなわち罰を与えずに済ませられるだろうか?
また、失敗が定義できたとしても、有効な対策がとれるとは限らない。例えば多数の交通事故を起こす自動車社会。数多の殺人事件に利用される包丁。個別の事象を失敗と定義して逐一ルールを改善しても発生件数をゼロにはできず、そもそもの導入が失敗であったと定義しても全面禁止するには社会的損失が大きすぎる。
事故も事件も社会構造の失敗により発生するとしても、システムの是正は遅々として進まず、刑罰だけが粛々と下され続けている。
これからの未来。テクノロジーにより飲酒状態では車が発進できないように出来るかもしれない。しかし、
年間数件の飲酒検知エラーにより死亡事故が発生した場合、被害者は加害者もシステム作成者も罰せずにいられるだろうか?
いつか人類は非難や責任の追求といった快楽を手放せる時が来るのだろうか。
テクノロジーとともに、人の意識もバージョンアップする必要がある。
2025年8月29日
- 音楽嗜好症(ミュージコフィリア) (ハヤカワ文庫NF)
- オリヴァー・サックス
- 早川書房 / 2010年7月25日発売
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音楽に対する人間の異常な身体的・精神的な反応について「神経作用との生理学的な相関があるはずだ」として、筆者が見聞きした症例をまとめたもの。
本書は臨床記述であり、症例が科学的・統計的に分析されているとは言い難く、そもそもが"相関があるはずだ"という結論ありきで始まっているため、バイアスが考慮されているとは思えない。
あくまで研究ではなく考察であり、科学論ではなく逸話集として受け入れるのが良いだろう。
しかし、筆者としては脳と神経への音楽の作用を科学の面から語っているのに、訳者あとがきの最後が『やはり最終的に「音楽は神の恵みであり、恩寵である」と感じる部分が残るのではないかと思えてくる。』で締められるのはいくらなんでも最悪すぎる。
稀に存在する、訳者によって本題が台無しにされる一冊。
2025年8月29日
- オルクセン王国史~野蛮なオークの国は、如何にして平和なエルフの国を焼き払うに至ったか~(サーガフォレスト)1
- 樽見京一郎
- 一二三書房 / 2023年12月15日発売
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皇国の守護者というよりもA君の戦争を思い出す、個人の"なろう系"ではなく、国家版のなろう系ライトノベル。
主人公は超技術で発展した新興国家への驚き役でありつつ、その国家に属する人間が主人公だけが持つ特殊能力への驚き役にもなる二重構造が上手く機能している。
それでもなろう系はなろう系なので、ところどころ気恥ずかしさを感じてしまうところもなくはないが、あからさまな三下やられ役がいまのところは存在しなかったり、レベルアップや能力説明ばかり読まされたりするわけではないので、このまま戦史の方に焦点を当てていってほしい。
2025年8月29日
- 三体3 死神永生 下 (ハヤカワ文庫SF)
- 劉慈欣
- 早川書房 / 2024年6月19日発売
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ただ生きてるだけでみんなが助けてくれる主人公力、二択を間違え続けるが一切の反省がない登場人物たち、唐突すぎるポッと出のカップリングなどなど。気になる点は多々あるが、昨今投げっぱなしで終わる準名作が多い中、物語として、いやSFとしては正しく畳まれたと思う。
しかし、どうしても許せない点がひとつだけ。
多数の子供達よりも自分達の命を優先して見殺しにするというだけでも結構なことであるが、緊急時にその子供の中から知能クイズで選別して数人だけ助けるというひどい一幕。
これが悲劇として描かれているならまだしも、登場人物の誰も反省も後悔も評価もせず、物語として伏線として回収されることもなく、なんの意味もなかった出来事として終わるのは、さすがに理解し難い。
というわけで、本書を主人公の物語としたら嫌いな部類になるが、SFとしては、外敵が見つかったらまず石を投げる代わりに銀河ごと破壊し尽くしにかかる宇宙原始時代という概念が、崩壊の果ての再生とマッチして上手く畳まれるので嫌いではない。
2025年8月29日
- 三体3 死神永生 上 (ハヤカワ文庫SF)
- 劉慈欣
- 早川書房 / 2024年6月19日発売
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SFとして読むと、また新たな局面に入ったこともあり、新要素満載で楽しめる要素は間違いなくあるのだが、超重要な全人類を代表する決定権をなんの冗長性もなくただ一人に握らせたり、敵性宇宙人がいつのまにか戦隊ヒーローの悪役のような世界支配しぐさを発揮したり、邂逅シーンのコントみたいな舞台装置だったりと、どうしても気になってしまう点が結構ある。
相変わらず登場人物の誰にも感情移入しにくいのは、確固たる自信と確信をもって突き進む人ばかりだからかと思っていたが、悩み迷う主人公となってもやはり感覚の違いを感じてしまう。
劇中で誰が死んでも何万人死んでも悲壮感がないのは、キャラクターに興味が持てないからだけでなく、本書のテーマが光年レベルの極大なスケールであり、人としての物語を排除しているからなのかもしれない。
拡大し続ける宇宙の果てには何が待つのか。最後まで見届ける価値はある。
2025年8月29日
- 興亡の世界史 ロシア・ロマノフ王朝の大地 (講談社学術文庫)
- 土肥恒之
- 講談社 / 2016年9月9日発売
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『支配民族の被害者意識』『帝国を維持するために犠牲を強いられてきた、遅れた周辺諸民族に恩恵を与えすぎたという感情』『近代ロシアの構造的な特質とされる「強大なツァーリ権力」と「脆弱な社会」』
まさに今のロシアを表す言葉であるが、これはロマノフ王朝の300年について語られたもの。本書は1462年にモスクワ大公となるリューリク朝イヴァン3世からロマノフ朝最後の皇帝ニコライ2世が1918年に没するまでのロシア史。
間接的だが240年におよぶモンゴルの支配下にあって、弱く分割された分領ロシアが徐々に協力し、訓練された一枚岩の専制として1480年に開放されるところから"ロシア"は出発する。モスクワ・ロシアの諸制度、法規範、そして心理はチンギスハンの遺産であり、その文化・価値観はビザンツと西洋から切り離され、ヨーロッパ世界から相対的な孤立を強めた。
この頃のヨーロッパからの評価は「ツァーリの政治的専制、道徳的な下品さ、文化的なものへの無関心」「ツァーリ自身を除いて、すべて奴隷である」などと惨憺たるものであった。
当時から、地の利に恵まれ、絶え間ない侵略にさらされることがなかったモスクワだけが大都市であり、地方の都市と農村は経済的に貧しく、行政的な組織も十分ではなかった。
1687年、ピョートル大帝の下にロシア拡大のための征服に乗り出し、クリミア遠征を開始。しかしオスマンやスウェーデンとの戦いも続いており、ウクライナの独立反乱を鎮圧したりと、ロシアの周辺国家との戦いの日々の始まりと言える。
1762年のエカテリーナ二世の即位においてようやく地方改革により公共が整えられたが、領土的な野心の時代は続き、ポーランドや現ウクライナ(クリミア半島、セヴァストポリ、アゾフ海、オデッサ、キエフ、ドニエプル川)の範囲を手中に収める。
この頃はプロイセン、オーストリアなど各国が覇権を争う激動の時代であり、1812年にナポレオンと決着がつくまで対外戦争の時代は続いたが、1825年、ニコライ1世の即位時の革命騒ぎから、ついに専制皇帝権力に揺らぎが見え始める。
その反発としてニコライ1世は治安強化、検閲法、秘密警察による国民各層の監視を開始し、1848年のフランス、次いでドイツの革命に影響され、この姿勢はさらに強化される一方であった。
1856年に即位した新帝アレクサンドル2世の最初の仕事はクリミア戦争の敗戦処理。国家存続の危機を契機に、ついに『ロシアは自由に呼吸しはじめた』。革命政治犯の恩赦、農奴解放、検閲制度の緩和、情報公開、教育改革、司法改革、軍政改革。永久凍土に思われた国民の束縛にも雪解けが垣間見えた。
しかし、こうした改革が肝心の民衆に理解されることはなく。1866年、信じていた民衆からの暗殺未遂により改革は終わり、停滞と反動の14年が開始される。
2年間で7回の暗殺未遂を乗り越えた末の1881年。ロシア史上初めて、宮廷ではなく一般人により暗殺された。
最後の皇帝となるニコライ2世は1894年に就任。ロシア経済は好調であったが、日露戦争と一次大戦で続けて敗北した傷は大きく、革命の契機を許しあっけなく終焉を迎える。
一体ロシアはどこからが間違いだったのか。これは本書のテーマではないが、苛烈で保守的な専政も、領土拡張の時代も、対外戦争での膨大な死者数も、他国でも見られた光景だ。
しかし、プーチンのロシアだけが、当時のロマノフ王朝と同じ専制を続けられているように見える。
過去の教訓に学んだせいか、暗殺・革命どころかデモの芽すら徹底的に摘まれている現在のロシアが、独裁から抜け出せる日を見ることができるのだろうか。
2025年8月29日
- マイクロ法人を設立したら読む税金・手続の本: 200人以上と面談した税理士の著者が迷いやすいポイントを解説
- 鈴木康寛
- -
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マイクロ法人というマイナーな生き方の、さらに税金と手続きについてのみの本ということで、かなり読者対象を絞っており、このような出版が成立する世の中に感謝したくなる。
論点を限定したおかげで本当に具体的に書かれており、タイトル通りの内容を求める人にはちょうど良い塩梅となっている。
章立てとしては、マイクロ法人に必要な手続き、1年間の税務関連スケジュール、節税戦略、役員報酬の決め方、税理士について、具体的な節税の範囲など。
知らない人には絶対必要な知識かつ、知っていても後から参照が必要となりそうな情報が要領よくまとめられている。
特に節税については、限界ギリギリまで目指すのではなく、できる範囲に手を付けて70点を目指すという方針は、特に本書を手に取るような初学者には有用となるだろう。
マイクロ法人と関係ない人には全く必要ないが、マイクロ法人と関わるならまず初めに読んでおくべき一冊。
2025年2月26日
- マイクロ法人の経営・会計・税金のポイント: 令和7年度版
- 橋本広明
- TAXダイレクト出版 / -
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第1章の経営のポイントとして経営理念・事業計画・仕組みづくりから始まるが、本当に会社をゼロから創るにしては説明が足りないし、すでに持っている人に対しては不要な内容。
第2章の会計、第3章の税金についても同様。特に比較のない弥生会計推し。決算書の作り方ではなく、見方の説明。全体像なく、節税のポイントのみ述べられる税金の説明。
大抵の人にはあまり機会がない減資手続きや自己株式の取得についてページ数が割かれたりするのも気になるが、これは個人的事情から参考になったのでなんとも言い難い。
表紙に書いてあるとおり「スッと読めます!」に偽りはないので、内容はさておきスッと読みたい人は読んでみても良いかもしれない。
2025年2月26日
- 普通の人が資産運用で99点をとる方法とその考え方
- Hayato Ito
- 日経BP / 2024年9月13日発売
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はてブで話題を集めた資産運用術の書籍版。WEBサイトの方の内容で必要十分に解決しており、そちらで納得できているのならば改めて購入するほどの追加要素はない。
個人的な興味としては、時価総額加重平均のインデックスファンドであっても特有のブラックスワンのような未発見リスクが存在する可能性もあるわけで、2番手としてそれ以外の資産運用について検討する余地があるのか改めて確認するために購入。
結論として、少なくとも本書においてはそのようなものはなかった。
本書の要旨としては、リスク資産と安定資産はインデックス投資信託と現金預金との間でバランスをとるという一点のみ。
リスク資産の中でより安定を取るなら国債となるが、利息はあってないようなもの。よりリスクを取るなら個別株他多数の商品が選択肢となるが、どれでもインデックス投資信託以上のリターンを得るのは、よっぽどでないと難しい。
では格付けの高い社債や債権インデックス、物価連動国債などはリスク分散となりうるのか、リスク要素を増やすだけなのか。どうあれ余計な心配事を抱え込むことになるのは間違いない。
というわけでとりあえずの当面の結論としては、eMAXIS slimの全世界平均ということになる。これから中途半端に勉強すると別の選択肢に目がくらんで失敗しそうな気もするので、結論を急がず、固執もせず、気を付けて学んでいきたい。
2025年2月26日
- 図解 首都高速の科学 建設技術から渋滞判定のしくみまで (ブルーバックス)
- 川辺謙一
- 講談社 / 2013年11月20日発売
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都心環状線と中央環状線を中心に、それと接続する各線の歴史と構造について。
それ以上でも以下でもなく。
ブルーバックス新書の中でも平易で読みやすく、一度目を通しておくといざ利用する際にちょっとした楽しみにできる。
都心環状線で唯一片側一車線となる江戸橋ジャンクションからの銀座方面。
最も短い0.1kmの8号線、無料区間のKK線、外回りだけトンネルになる一ノ橋ジャンクションなどなど。用地確保が難しいならではの仕様が随所に見られる。
驚きはないが、楽しむための一冊として。
2025年2月26日
- 三体2 黒暗森林 下 (ハヤカワ文庫SF)
- 劉慈欣
- 早川書房 / 2024年4月23日発売
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最終的な大きな課題を明確に提示しつつ、それに至るまでの枝葉で多数の展開を用意する、今風のお手本のような作劇を堪能できる。
ただだからこそ展開も読みやすく、「こうなったらあの伏線も回収できて構造としてキレイになるな」と思った方向に進む。
しかしながらあっさりとした結末は昔ながらのSFを思い起こさせる。
最後まで読まさせる力はあるが、どうにも評価できないのはキャラクターの薄さか。
物語をドライブさせるための人員配置であり、魅力に欠ける。
いったん区切りよく終わるため、第3幕では新たな課題の創出が必要となる。
それを楽しみにしたい。
2025年2月26日
- 三体2 黒暗森林 上 (ハヤカワ文庫SF)
- 劉慈欣
- 早川書房 / 2024年4月23日発売
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前評判の高さとかSFという諸々を脇においてみれば、王道少年漫画的展開。
しかし相変わらず登場人物の誰にも感情移入できず、魅力も感じられず。
敵側も味方側も、高尚な科学設定と相反して際立つ幼稚さには微笑ましさを感じてしまう。
読みやすいしわかりやすいし、引きもあるし展開の面白さもある。
ただ敵の姿を明確にすればするほどに陳腐になってしまうが、これは上巻であるがゆえのフリであると信じられる下地はある。
下巻に期待しないように期待して読んでみよう。
2025年2月26日
- ローマ人の物語 最後の努力 上 (35) (新潮文庫)
- 塩野七生
- 新潮社 / 2009年8月28日発売
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帝政ではあってもローマ市民と元老院、そして軍隊の顔色を伺う必要があった元首政から、ついに皇帝という名前から想像される権力を持つ絶対君主制に移行する紀元後293年。
ディオクレティアヌスが帝国を東西に分け、それぞれに正帝と副帝を置いて統治する四頭制を導入したことからローマ分裂の契機は始まる。しかしそれは各地で活発となる侵略行為から身を守る必要性に迫られてのことであった。
防衛のためとはいえ攻勢に出なければ継続的な安全は確保し得ず、攻勢のためにはさらなる兵力が必要となる。勝ったとしても領土を拡張可能なほどの余力はなく、ただただ負担のみが重く積み重なる。
もはや広く浅く安定していた税制ではまかないきれず、増税開始。絶対君主制は軍拡と増税で荒れる世論を制するためのものでもあった。
ローマ最後となる凱旋式も、勝利と征服の証ではなく、この防御線の堅持を祝うために開催された。
必要性のために崩壊しつつあるローマとはいえ、ローマ史上最大の三千人が収容可能な大浴場と付属する体育館、図書館、映画館、音楽会場を建設できるほどの経済力・技術力・組織力は健在であった。
それすら持たない蛮族に襲撃されるまで、あと100年。
2025年2月26日
- ゼロからつくる科学文明 タイムトラベラーのためのサバイバルガイド
- ライアン・ノース
- 早川書房 / 2020年9月17日発売
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いざタイムスリップしたときに持っていったとして、暇つぶし以上のものになりうるか。
読み物としては面白さに欠け、実用書としては情報が不足している。
サブタイトルには"サバイバルガイド"とあるが、前提が人類滅亡後でも有史以前でもなく、"タイムスリップした先"ということで、必要とされる知識・能力は現地時代の科学文明水準に依存するため、衣食住・生活基盤の確保よりも転移時代の特定に文量が割かれる。
さらには『転移先は石器時代』みたいにタイムスリップ先を特定しないため、内容はぼんやりとしたものにならざるをえない。
例えば飲み水の確保について、「炭で濾過できる」と述べられ、もちろん炭の作り方も語られるのだが、普通そんな悠長に炭を確保している間に死ぬだろう。
鉱業よりも農具について先に語られるし。紹介される採掘方法はどれもとても一人ではできないし、そもそも鉱脈をどう発見するというのか。
似たような発想の本は他にもあるが、いざ混迷の時代に陥ったとしても、本書を確保しに走る必要性は薄そうだ。
2025年2月26日
- ファスト&スロー (下)
- ダニエル・カーネマン
- 早川書房 / 2012年11月22日発売
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行動経済学の本を読むと、人間は統計を理解できるように造られていないことがわかるが、本書を読むと、人間は確率を理解できないだけでなく、時間さえも理解できないことがわかる。
その原因が、熟慮する思考であるシステム2と瞬時の判断を司るシステム1の感度の違いによるものであることは上巻で述べられるが、下巻ではより具体的な経済的不合理性に焦点があてられる。
・利益よりも損失に強く反応してしまう
・一度手に入れたものは失いたくなくなる
・比較しないとわからない
・車の運転のような簡単にできることは人並み以上にできるという思い込み
・初対面の人との会話のような難しいことは人並み以下だという思い込み
・10%の事象は体感では18%だし、90%の出来事は70%ぐらいだと見積もってしまう
・アンケート回答前にキャンディを渡すだけで好意的な意見を集められる
・アンケート前に最近の不幸を思い出させるだけで否定的な意見を集められる
・過程が良くても結末が悲惨だと全てが無駄だと思ってしまう
手品には意識をそらされて騙されるものだとわかっている人でも、自身の思想すら操作されうることには無自覚でいる。
そして人間には論理的に正確で合理的な判断など出来ないと思い知らされた後に、ピークエンドの法則が解説される。
これは、例えば1時間の痛い施術の最後の10分のみ痛みを半分にすることで、30分の同じ痛みの施術を受けるよりもマシだとして前者を再選択してしまうという、経験と記憶の乖離を示す。
しかし、経験でなく記憶をもとに選択することは、間違いと言えるだろうか?1時間+10分の痛みを再選択したとて、やはりその方が30分の痛みを受けるよりもマシであったと記憶されるならば、次もそちらを選ぶべきなのだろうか?2時間の苦痛の後に最高のエンディングを迎える映画があったとして、それよりも1時間楽しいだけの映画の方が有益だからと視聴を選択すべきだろうか?
人間は持続時間を考慮できないし、比較しないと物事を判断できない。だから気にせず生きるか、それとも常に考えて生きるか。どちらでもそれは、本書を読まずには得られなかった新たな選択となるだろう。
2024年5月20日
- Q&A 食べる魚の全疑問 魚屋さんもビックリその正体 (ブルーバックス)
- 高橋素子
- 講談社 / 2003年4月20日発売
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"全疑問"とはさすがに大きくでたが、当然この世の全ての疑問ではなく、著者が抱いた疑問のうちの全部ということ。
もちろん発生や進化、育成や住環境に関する疑問は一つもなく、釣り、魚屋、料理などの一般家庭において生じる疑問に対してのQ&A。つまるところの雑学本。
見せ方やページ、編集について特筆すべき工夫がないのはまぁ良いとして、せめて目次から各章にリンクを貼るか、ページ数を載せるぐらいの気遣いはあっても良かったのではないだろうか…。
2024年5月20日
- 三体 (ハヤカワ文庫SF)
- 劉慈欣
- 早川書房 / 2024年2月21日発売
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あまりの前評判の高さに期待しすぎたせいか、一巻読んだだけでは稀代の傑作とまでは思えず。
本書はコンタクト部分までであるが、『星を継ぐもの』の限界まで削ぎ落とされた必要最低限の物語と比すると、続刊への伏線のためか、それとも展開が大きくて多い現代的な構造のためか、やや過剰で冗長に感じる。
良く言えば正しく現代に作られたSFエンターテインメントと言えるのだが、そう見ると今度はキャラクターの引きの弱さが気になってくる。
敵の正体と、思ったよりも俗な内情もあっさりと明かされてしまった後では、続刊への期待感は薄れるが、それぐらいの心持ちで臨んだほうがちょうど良いのかもしれない。
2024年5月20日
- だれもわかってくれない 傷つかないための心理学 (ハヤカワ文庫NF)
- ハイディ・グラント・ハルヴァーソン
- 早川書房 / 2020年2月6日発売
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『傷つかないための心理学』は邦題のみで付けられているだけで、誇大広告。
ニュアンスとしては、人を見るとき・見られる時に働く認知バイアスについて。
著者は本書を「自分の本当の意図を相手に正確に伝える方法」について書かれているというが、"自分の本当の意図"とは何なのかというところまでは踏み込まず、表面的な印象の解決の話で終わる。
もちろん、誰もが印象によって判断が操作されているということは真実であり、表面的なテクニックとしては役立つところもあるのだが、安易に性格をパターン化して原因と一直線に結びつけすぎている。
例えば
「あの人は革新的でリスク追求型だから、得られるメリットをアピールしよう」
「あの人は保守的でリスク回避型だから、デメリットの解消をアピールしよう」
というのはまだしも、
「あの人はネグレクトの影響で不安型だから、あれぐらいのことであんなに騒いでいるんだろう」
「あの人はネグレクトの影響で回避型だから、自分の誘いを拒絶するんだろう」
というのはさすがに本質から目を背けすぎている。
"印象"とは偏見と同意であり、双方向性であり、要素の一つでしかないということは、本書では教えてくれない。
2024年5月20日
- ユーゴスラヴィア現代史 (岩波新書 新赤版445)
- 柴宜弘
- 岩波書店 / 1996年5月20日発売
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1918年の第一のユーゴ誕生から、95年のボスニア内戦終結まで。
7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家。
内戦とともに終結したこの統合国家の何が間違いで、何が正解だったのだろうか。
本書ではその発端を、各国における混迷の時期から物語る。
西と東の境目として、キリスト教とイスラム教、東方正教会とローマ・カトリック、ハプスブルク帝国とオスマン帝国など、衝突の歴史の地であったバルカン半島において、第一次世界大戦の契機となるサラエヴォ事件がこの地で起こったのも歴史の必然と言えるのかもしれない。
大戦後すぐに第一のユーゴと呼ばれるユーゴスラヴィア王国が成立するのだが、これは連帯の成果でも征服による統合でもなく、大戦後の混乱からの崩壊を免れるための統合であり、歴史的経験や宗教、言語等のすべてがバラバラ。さらにはセルビアが無理矢理中心に立つという、大きな危険をはらんだものであった。
二次大戦が始まり、一瞬でドイツに飲み込まれた時でさえ国としては団結できなかったが、唯一民族性を持たない団体である共産党だけが指導者チトーのもと、対枢軸国パルチザンとして活発に動き、時に連合国、時にソ連の協力をとりつけた結果、戦後、共産党を中心とする第2のユーゴスラヴィアが誕生する。
しかし、それでも民族問題は棚上げしただけで根本解決には至らず。1980年、連邦の要であったチトーの死と、石油危機に端を発する世界不況は、抑えつけられた民族感情と絡み合い、連邦瓦解から内戦までを一直線に結ぶ。
特にボスニアにおいては長きにわたり住み分けができない程にムスリム人、セルビア人、クロアチア人が混在しており、過去宗教・民族の違いによる相互の殺し合いなどなかったのだが、武器の密輸、徴兵制、ソ連に対する防衛体制の準備が災いし、経済的不満、国際社会の不理解もあいまってユーゴスラヴィア崩壊を代表する内戦に至る。
果たしてこれは防ぎ得た崩壊だったのだろうか。
本書が発行された1996年にあっては、長い年月をかけて地域による共同体意識が民族の分断を上回ればという思いが語られるが、2023年現在、技術の発達により地域性は薄れる一方であり、特にインターネットによるエコーチェンバー現象は、次々に特異な集団を産み続けている。
これが新たな紛争の火種となるのか、または民族問題解決の糸口となるのか。
現代は、未だ国家や民族が消えてなくなるほど情報化されてはいない。
2024年5月20日
- 進化の謎を数学で解く
- アンドレアス・ワグナー
- 文藝春秋 / 2015年3月27日発売
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表題のわりに数式の一つも出てこないと思ったら、原題は[Arrival of the fittest. Solving Evolution's Greatest Puzzle.]直訳すれば『最適者の到来。進化の最大の謎を解く』。
"進化"のよくある説明として、キリンの首は目的を持って伸びたわけではなく、首が短いキリンが自然淘汰により絶滅しただけだと語られる。
では、なぜキリンの首は伸び始めたのか。自然淘汰は最適者の"生存"を説明できるかもしれないが、最適者の"到来"を説明することはできない。
その答えを一言でいってしまえば"偶然"なのであるが、その"偶然"とは、遺伝子の中立的な変異、エラーを許容する冗長構成、天文学的な組み合わせから正解にたどり着く近傍探索。といった十数億年かけてたどり着いた機構に支えられている。
その機構を解き明かすシステム生物学が本書の主題。
進化論は未だ多くの信仰で否定される事があるが、乱暴に言ってしまえば、神を信じるか、偶然を信じるかの違いでしかない。
この偶然がどのような機構によって支えられているのか、読書のみでその理解を深めようとすることは、反対派から見れば別の信仰心を高める行為にすぎないのかもしれないが、"仕組み"の理解はいつかどこかでその類似系を役立てる時が来るだろう。
2023年8月26日
- 隠れていた宇宙 上 (ハヤカワ文庫NF 数理を愉しむ)
- ブライアン・グリーン
- 早川書房 / 2013年7月10日発売
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『私たちが今も、これから先もおそらくずっと、行くことも、見ることも、検証することも、支配することもできない一連の並行宇宙(中略)これは科学なのだろうか?』
科学者でなくとも、この世に100%なんてものは存在しないと理解している人は多い。
しかし、そんな人でも日常生活で落とした物をした時に、量子世界の狭間に落ちたかもしれないなんてことは考えもしない。
では、その僅かな可能性であり、検証すらできない0.0000001%以下の世界を想像して仮説を構築することに、なんの意味があるのだろうか?
無限の遠くにある無限遠宇宙、次々と宇宙が誕生するインフレーション多宇宙、高次元に並列的に存在するブレーン多宇宙、ブレーンワールドが衝突と離散を繰り返し、空間でなく時間のなかで並行するサイクリック多宇宙。おびただしい数の形と大きさを備えた余剰の空間次元にもとづくランドスケープ多宇宙。
本書で語られる並行世界論は、どのバージョンにおいても自然界で実現することを立証した実験も観測もない。
そのせいか、ビッグバン、相対性理論、宇宙背景放射、ひも理論、量子ゆらぎなど、それほど難しい単語は出て来ないのに、読み進めるほどにわからなくなっていく。
そんなわからなさがピークに達する上巻の最後で、冒頭の問題提起がなされる。
並行宇宙論とは、わからないものを増やしつつけるだけの不毛な追求なのだろうか。下巻に続く。
2023年8月26日
- 高い城の男
- フィリップ・K・ディック
- 早川書房 / 1984年7月31日発売
- Amazon.co.jp / 電子書籍
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第二次世界大戦の勝敗が逆転した世界の代名詞として使われることもある作品であるが、その設定自体は本作以前から存在するようで。だとすると本書の独創性はどこにあるのか。
確かに物語の中で登場人物たちがさらにその逆の世界(つまりは正史)を描いた小説を読み耽るという二重構造にフックはあったのだが、その設定が十全に活かされていたとは思えず。
そもそも本書は『結末のある物語』とは言い難く、あくまでそういう世界に生きる人達の一場面の切り取りでしかない。しかも状況をコントロールする側でなく、翻弄される側の人たちが『如何に困らされているか』を示すのみで爽快感はない。
さらには延々と続く人種差別思想描写には辟易するし、全ての判断を卜占に頼りすぎで感情移入するのも難しい。
本作が自分に合わなかったのは、時代性によるものだろうか。別の著作も試してみたい。
2023年8月26日
- 戦闘技術の歴史 近世編 AD1500-AD1763 (3)
- クリステルヨルゲンセン
- 創元社 / 2010年10月25日発売
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AD1500-AD1763の戦場の解説。
章立ては歩兵、騎兵、指揮と統率、攻囲戦、海戦と大雑把に分けた上で、代表的な戦場の概略を図解する。
基本的には前作までと同じ構成であるのだが、AD1500-AD1763は国家間戦争が本格化した時代であり、目まぐるしい状況の変化と合わせて技術的進歩の速さも実感できる。
歩兵:常備軍・小火器の登場による『槍と銃』戦術、その代表とも言えるスイス人傭兵部隊、ハプスブルクのランツクネヒト、スペインのテルシオ。
騎兵:銃火器による装甲騎兵の衰退。短銃騎兵の誕生。グスタフ・アドルフの三兵科連携、フリードリヒ大王の軽騎兵運用。
指揮と統率:ヴァレンシュタインと傭兵。傭兵軍から常備軍への移行。協調的な銃火器の利用を可能とするための階級規律と軍事教練を行う、マウリッツによる軍制改革。
攻囲戦:大砲による城壁の破壊と、その対抗としての星形要塞。
海戦:接近戦から遠距離戦へ。漕走軍船から帆走軍艦へ。
戦争技術の進化のみに焦点を当てるのであれば、他にもっと良い本があると言えてしまうのではあるが、戦場の用兵例を知りたいのであれば、読んで損することはないだろう。
2023年8月26日
- 愚行の世界史 下 (中公文庫)
- 大社淑子
- 中央公論新社 / 2009年12月22日発売
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なぜ国は間違いを認められないのか。
失政によって職を追われることはあっても生命が奪われるわけではない民主政であってすら、国家が誤謬を認めることは容易ではない。
国の間違いはあまりにも簡単に人の命を奪うが、その直視に耐えられる人間がいないせいか。
ベトナム戦争のように、現代の民主制国家において自国民の命が消費されている状況ですら、その撤回は困難だった。
この戦争の開戦前から、政策立案者は危険や障害、否定的な成り行きに気づいていないときはなかった。
秘密情報部は有能であったし、学識ある観察報告は着実に戦場から首都へ送られ、特別調査団が何度も派遣され、独自のルポルタージュも欠けていなかった。
統治者はそれらを知らなかったわけではないのに、ただただ政治的な慣性の法則に従い、証拠から結論を下すことを拒み、信じたい事のみを信じ、大穴に賭けて当然のように失敗する。
本書で語られる『愚行』は下巻のベトナム戦争に加え、上巻のカトリックの没落と大英帝国から見たアメリカ独立戦争の3篇であり、網羅的な研究とは言い難い。
しかし、本書で語られた愚行の本質は、2022年現在においても国を問わず発生している。
『反対の証拠を無視するのは、愚行の特徴となる自己欺瞞のもとである。現実を隠すことで、必要な努力の度合いを過小評価するからだ』
『ひとたび政策が決定され、実施されると、あとに続くすべての行為はそれを正当化する努力と化すのである。』
『武力は、合理的に計算された根拠にもとづき、「戦争を終らせる利点のほうが継続する利点より大き」くなるところまで、敵の意志と能力を変えるために用いられる。』
人類は歴史から学ぶことが出来ないのか。
それとも歴史から学んだ結果、未だ人類は滅亡していないのか。
愚行と歴史。地球上から消えるのはどちらが先だろうか。
2022年12月31日






