戦争の世界史(上) (中公文庫 マ 10-5)

  • 中央公論新社 (2014年1月23日発売)
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名著『偶然の科学』において、歴史は物語としてしか語り得ないと結論づけられた。
だが、だからといって原因と結果の探求に意味がないわけではない。

いや、社会への益としては無意味であったとしても、過去の原因と結果を調べ、並び替え、関連付け、その結果の未来である今の存在を考えてみるというのは、ただそれだけで面白いものだ。

本書は個々の戦場や戦術をつまびらかに見るのではなく、当時の戦争という手段が、世界とどう関与してきたのかを語る。



古代から現代に至るまで、戦争の上限とはすなわち投入可能な経済資源の限界であった。
生産と調達、輸送と補給、人と食料。
その差がイコール戦力の差となることが常だが、古代においてそれを覆すほどの力となり得たのは、馬の使い方であった。
戦車、馬上弓、輸送車両、高速機動。
馬を有効に活用するための戦術は遊牧部族民から多数生まれたが、それでも希少な馬を用いて可能な戦略は一時的な略奪に限られており、継続支配可能なほどの戦力差を有するには、定着農耕民が十分に蓄え、備えるのを待つ必要があった。
そしてそれを西欧より先んじて超大な規模で成し得たのが、中国だった。

より広い農地と多くの人民は、富と権力を集中し、分業と交易を発達させる。
さらに知識が集積すれば、短期的な課税よりも市場の拡大の便益が認識され、繁栄を可能とする。
だが、同時に発生する暴力の発達とも無関係にはいられない。

武に優れた集団が政権を握り、他者の力、すなわち軍力を持ち得る富の集中を制約する。
例えば明王朝時代には西欧の大航海時代を先駆けた大艦隊は朽ちるまま、内地の防御と交易にまわされることとなった。

市場主義、造船業、海外貿易、鉄鋼生産と全てにおいて西欧の進化過程を先取っていた中国は、かように政治権力が定めた限界に突き当たり、その統治が及ぶ範囲外で力を蓄えた勢力にその地位を脅かされることの繰り返しであった。

一方その頃西欧は、フルプレート甲冑の騎士と荘園の時代であり、細かな領域に分割された結果の多数の関税の壁とギルドの保護主義が商人の勢力拡大を阻んでいた領主社会であった。

しかし、東から到着した十進法とそろばんが、農地の代わりに水路を持っていた北イタリアに到着したことにより、商人の集積地としての都市の力は外洋にまで拡大する。
そこに当然のように差し向けられる近隣領主からの暴力に対して発展したのが、都市から弾き出されたならずものの集まり、傭兵だ。

税金で雇った傭兵による都市での消費行動、専業としての軍人による長槍と騎馬とクロスボウの連携、船と航海術の進化、全てが歯車となって噛み合った時、騎士と農民の時代である中世が終わり、都市と商人の時代である近世が始まる。

市場と貿易がもたらすものが繁栄だけでなく、暴力の威力だということはここでも同じ。近隣同士の殴り合いで済んでいた今までの戦場は、火薬と羅針盤により地球の裏側まで到達する威力を得る。

過去の馬がそうであったように、未来の核がそうであるように、技術の発展が戦場を変えた時、次の制約となるのはその調達である。
火砲の運搬が簡便な海軍は商人が支配する領域となり、火砲を調達しえない新世界は経済を支配される。
十分な鉄量が産出可能な鉱山を持った地域に莫大な投資がつぎ込まれ、欧州内の格差が加速する。
そして改良の余地が大きい火砲は技術革新競争の果て、携帯可能な小銃を誕生させた。

こうしてプロフェッショナル傭兵の数の時代であった都市の時代は短く、その後は"大砲と小銃の数=経済力"を有した国家の時代へと移りゆく。

小火器が一兵卒にまで行き渡ったところで戦場の常となる銃撃戦において、その対策として土塁と塹壕が必要となり、専門のシャベル工兵が活躍する姿はローマ時代を思い出させるが、何よりも共通していたのは、軍隊の統制だろう。

初期の銃火器は狙って撃てばいいというものではなく、火縄を挟み、火皿を吹き、玉を押し込むという習熟が必要な所作を組織だって行うため、何よりも反復練習が必要であった。
日々繰り返しのつらい訓練は、兵士同士の結束を固くし、個の意志よりも全体を優先する意識をうえ、極限状態にあっても命令に従うことを強制する。
このためのマニュアルが"教練"として普及することによって、国と軍隊は、間に騎士、都市、商人、市民の何者をも挟むことなく、強烈に直結することとなる。

個の勇気と筋肉による武勇ではなく、全体の統率と制圧力により戦う『軍隊』
重火器による一時的な制圧にとどまらず、小火器による長期的な支配を可能とする『軍隊』
規律よく、絶対的に命令に従うために遠方の統制を任せられる『軍隊』

このとき誕生した軍隊の哲学は、国が持つ暴力の形というものを定義し、それは今日まで引き継がれている。
ここに残された発展の余地とは、指揮技術、補給技術、武器技術に組織運営といった線形に予測可能な限界のみであった。

そして、これらの限界のほとんどは経済力により裏付けされるものであり、『戦争』と『国』と『経済』は深く紐帯する。
火砲と軍船の調達に失敗したフランス海軍はイギリス・オランダに破れ、新大陸の支配に莫大な戦費を浪費したイギリスはアメリカに独立を許す。
前例のない規模で増大する戦費を扱う当時においては、支出を上回る収益が見込めない戦争に手を出さないという計算をすることはもちろんできず、ただ戦争に国と経済が振り回される。

その結実とも言えるものが、近世と近代の境目、戦争が特権階級のものでなく、全国民のものとなるフランス革命だろう。

軍隊の治安維持によりなされた安定な生活の成果とも言える人口増加というボーナスは、次世代への基盤を用意できなければ職の不足による社会不安という負債になる。
革命という社会不安の行き着く先でフランスの向かった果ては、自国の負債を他国へ押し付ける戦争であった。

職、住処、食料、資源。不足しているものは他国でまかない、有り余る人口を他国へ追いやる。
国家規模の貧困が産んだ民衆の戦争は、全近隣諸国を敵に回し、容易には立ち直れないほどの人口減を味わうまで停止することは出来なかった。

さて、過去の武器がそうであったように、未来の兵器がそうであるように。
戦争の技術とは常に真似され、瞬時に広がるものであったが、軍事体制だけはその範疇に収まらない。
国民が国民のために戦ったフランス国民軍に対し、近隣諸国はむしろ旧態依然の貴族体制と職業軍人の維持を強化する。
暴発の危険性のある銃火器は、どんなに威力があろうとも、いや、その威力があるほどに危険なものとして扱われるのも当然だろう。

だが、産業の発展の速度は全ての世界を巻き込んで加速していく。
軍隊は、そして戦争の"仕組み"はどこまで変容するのか。
次巻に続く。



さて、以上に述べた自分が記したまとめは、まったくもって正しくない。
歴史という複雑系を、物語として記すために要約した本書から、さらに自分なりに語りやすく抽出した、世界史の切れ端でしかない。
だが、要素を理解するためには流れを把握する必要があり、けれども最初から歴史の全容を掴むことなど不可能で。
なれば例え間違っていようとも、まずは自分が納得できる範囲で流れを作ることは間違いではないはずだ。

ここまでで得たものを如何に壊し、如何に修正していくか。初心を忘れずとはそういうものだろう。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2017年6月24日
読了日 : 2017年6月24日
本棚登録日 : 2017年6月24日

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