筆者は、明日から世界中の牛が喋りだしたら全人類に食べるのをやめろと言える人だろう。そのために一体どれだけの人類が死ぬのかを数える前に。
本書は、特にトウモロコシに代表される工業的な食物生産サイクルにより犠牲にされる自然資源の枯渇を訴えるルポルタージュ。研究書ではないため表やグラフなどの統計もなく、ただ少なく稀な体験を頼りに、如何に現代の工業的農業生産が悪で、自然に任せた太陽光サイクルが正義であるのかを情に訴えかけてくる。
もちろん問題提起に意味がないとは言わないが、誰だって動物が苦しむ姿を見るのは嫌だし、石油資源の枯渇を心配し、食料の安全に気を配っている。
それを陰惨さを強調して情感たっぷりに脅されても、具体的な策も行動も誰かに丸投げでは、素人の遠吠えにしか聞こえない。
本書で絶賛される自然を循環させた理想的な太陽光システムとして紹介されるのは、子供を学校に行かせずに家庭で育てるような一例のみ。エサも廃棄物も自然に任せる構造で、一度間違えた場所に放牧しただけで崩壊するようなあやういシステムだ。
さらには自身の意見に固執するあまり、工業システムのメリットも自然システムのデメリットもまったく比較されない。
現代の工業的農業生産システムが史上最高の到達点でないのは間違いない。そのために声を上げるのも正しい行いだろう。
家畜の生活環境について、配慮しないよりしたほうが良い。農家への過剰な税金の援助はない方が良い。石油資源は節約できたほうが良い。凶作で安定しない生活はない方が良い。
どれも一足飛びには解決できない超大な問題であるが、別に世の中の全ての課題に一個人が答えを持たなくても良いではないか。
「考えさられた」なんて中身のない格好だけの言葉を吐くぐらいなら、堂々と「答えを持たない」と言い切ったうえで、新しい解決案が産まれることを願う。
- 感想投稿日 : 2019年3月10日
- 読了日 : 2019年3月10日
- 本棚登録日 : 2019年3月10日
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