読書の方法: 未知を読む (講談社現代新書 633)

著者 :
  • 講談社 (1981年11月1日発売)
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感想 : 17
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 あとがきにあるように「この本では、どういう読み方が、本当の読み方と言えるものであるか」と「われわれの精神をきたえ、真に新しい知識を獲得するにはいかなる読み方をすべきか」が述べられている。真に新しい知識を得る読み方が、ベーター読み」と呼ばれるが、実は、明確な答えは、この文章の中にはない。いやあるが、それは、読書百篇、葦編三絶、ということがベーター読みの王道ということらしい。
 ただ、ここでいう百篇というのは、必ずしも全く同じ読み方を100回しなさいということではないだろう。今回のこの本に以前に線をひいた箇所を抜き書きするだけでも、書物全体の構成が、より明確になった。他にも見出しを理解するために飛ばし読みをする、一章一章、熟読をする等々、百通りではきかない数の読み方がある。読む技術について論ずることは、まさに百回読むための読み方を示すということなのかもしれない。



はじめに
序章にかえてー未知を読む
第Ⅰ部
1 わかりやすさの信仰
2 スポーツ記事
3 自己中心の「加工」
4 音読

第Ⅱ部
5 教科書の憂鬱
6 裏口読者
7 批評の文章
8 悪文の効用

第Ⅲ部
9 アルファー読み・ベーター読み
10 幼児のことば
11 二つのことば
12 切り換え
13 虚構の理解
14 素読
15 読書百遍

第Ⅳ部
16 古典と外国語
17 寺田寅彦
18 耳で読む
19 古典化
20 読みの創造
21 認知と洞察

あとがき



抜粋

・「未知を読んで既知と化する力がなくてはものを読むのは空しい」
・「戦争が終わって、しばらくすると、目にふれる文章が急にやさしくなったような気がした。」
・「それまでの日本人の間には、・・・まなじりを決してとり組み、心を込めて味読してはじめて読書と言えるのだと考えられていた。」
・「抽象がおもしろいものであることを知らない人間に哲学がわかるわけがない。」
・「実際に試合を見たか、テレビ中継を見たかしたあとで、その試合のことを書いた記事を読めば、完全にわかったような気になる。おもしろいと思う。・・・経験していない、実際はよく知らないことでも、あたかも経験し、実際を知っているように思うことは可能である。類型的経験とも言うべきものだ。」
・「普通名詞に比べて、よく用いられる固有名詞はいっそうつよい情緒的要素を内包している。」・・・だから小説は固有名詞が必要なのだ。
・「ことばは理解者のあらかじめもっているものに合わせたわかり方をする。・・・ことばは自分の既知に合わせたわかり方をする。既知がすくなければわからない。わかっていることはわかり、わからないことはわからない。」
・「よく、文章やことばをあるがままに読んだり解したりする、というけれども、客観的な理解は、頭では考えることができても、実際にはどこにも存在しないのである。」
・「声にすることができれば、それと同時に意味がわかる。音意一体、これが音読である。」
・「読み方の教育が、既知を読む典型である音読から始まるのは理にかなっている。」
・「学校の知的教育とは何か。人類がこれまで獲得、蓄積してきた文化財を次の世代に伝承する営為である。ひとつひとつ実地に伝えていては一生かかってもごく一部ですら伝えられない。文化をことばにして、濃縮し、短期間に大量の情報を教授するのが近代の教育である。」
・「教育はことばによって、未知の世界を準経験の世界と化していく作業である。体で知るべきことはことばだけを頼りに知る頭の理解では、本当にはわからないに違いない。知的理解は経験とは言いがたい。せいぜい準経験でしかない。」
・「既知を読むには文字さえわかっていればよい。ときには、その文字すら明確にとらえられていなくても、文章の見当をつけることは可能である。それに引きかえ、未知を読むのは、二重の壁がある。まず、ひとつに、ことばと文字。・・・もっと厄介なのは、もうひとつの壁だ。文字や単語はわかっているのに、なお、何のことを言っているのか五里霧中という場合である。・・・ここで、説明の手段として用いられるのがパラフレーズ(説明の言い換え)である。」
・「映画評、劇評、書評が本当におもしろくなったら、その人の読む力は一人前になったと考えてよいであろう。」
・「わるい悪文」というのは、わかりやすいことを不当にわかりにくくする文章で、苦労して読んでも得るところのすくないもの。「よい悪文」とは、必然性をもってよみにくくなっている文章で、努力して読めばかならず報いられる。」
・「既知を読むのをアルファー読みと命名したい。そしてもうひとつの未知を読むのをベーター読みと呼ぶことにする。」
・「形式的には音読を経由しているようだが、実質においては音読の読みを飛び越えて、一挙に未知を読ませるのが素読である。」
・「くりかえしくりかえし同じ状況に対して同じことばを使っていると、その状況がすこしずつ既知の性格を帯びるようになる。充分にしばしばくりかえされていると、ことばとそれがあらわすものごととの間に結びつきがあることがわかる(その関係が必然的ではない)」
・「アルファー読みからベーター読みへの切り換えは、それに比べてはるかに重大である。・・・いちばん有効なのは、文学作品、物語による転換である。」
・「国語教育が文学作品を扱うのは、すぐれた表現を読みとるためである。小説家や文芸評論家を育てるためではないはずだ。」
・「この本では、どういう読み方が、本当の読み方と言えるものであるか。われわれの精神をきたえ、真に新しい知識を獲得するにはいかなる読み方をすべきか、を追求したつもりである。」

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 読書論
感想投稿日 : 2021年8月21日
読了日 : 2019年12月27日
本棚登録日 : 2019年12月27日

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