象徴交換と死 (ちくま学芸文庫)

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レビュー : 9
制作 : Jean Baudrillard  今村 仁司  塚原 史 
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”象徴的なもののもつ根源的[=過激]な性格は、それを無力化しようとしているあらゆる科学や学問が、そのお返しに、象徴的なものによって分析され、結局象徴的なものを理解できなくなってしまう、という意味で根源的に[=過激]なのである。”(P474)

(整理前)memo:
シミュレーション、シミュラークルの環に収まり、力と尊厳を失ったかつて「人間」と呼ばれたものどもが、打破しようとするとき、論理に依拠して思考をすすめると、どうしてもシステムに絡めとられてしまう。詩的ともいえる表現でなければ、テキストにのりきらない・(試み上)のせられない、革命的一歩についてのフレーム外の真実を論じることができない。ゆえに、本書は現代を論じるうえで欠かせない書であると同時に、前衛的な芸術・文学作品のようでもある。

読みすすめるには、タイトルともなっているモース(交換贈与論)、ソシュール(アナグラム論)、ラカン、バタイユ、フロイト、ヘーゲルなどなど現代思想について、しっかり読み込み済みで批判的読解できる材料を持っているのがよいけれど、ここでは感性を研ぎ澄ませて直観的に読み進めることも必要である。(何度も言うけれども、既存のシステムから脱出するために!)
その場合、注意が必要とされる1970年代の神秘思想的な量子論や太極図もちらつく。無や無意識の領域について論をすすめる場合、SFや神秘思想、仏教的表現に近よりがちだし、象徴交換に伴うsacrificeの右翼的利用(都合よい誤用)の危うさもある。
また、著者が推奨したわけではないが、西欧的システム(資本主義と労働による人間性の疎外)の打破を試みるとき、自爆自死の日本軍による特攻や日本赤軍にはじまるテロは、本書内容の一部分的かつ歪曲された試みともいえるし、そして911による双子ビルの破壊はその最たるもの(歪みも)ともいえる。

現代を支える資本主義を中心としたシステム、価値を交換し合い、システムを強固に継続する象徴のようだったビル。童話「二人兄弟」にもあるように、2本の柱によって、片方が身代わりとなるだけでなく、死や破壊を跳ね返す結界をむすぶ。古い神社の本殿・権殿、本殿も守る狛犬や、狛犬が都を荒らしに出ていけないように縛り付ける狛犬の影にも、同じ試みをみることもできる。そして、テキストを綴ることは、呪いにも似て、エクリチュールがすぐに流浪しがちで移ろいやすい不確実な現実やすこし先の未来を縛り付ける。

『消費社会の神話と構造』よりも、内容的にも思想的にも厚みがあって読み応えがある。『シミュラークルとシミュレーション』のボリュームは、本書の一章にも足りない。
現代の魔術(呪術)である広告やマーケにおいて、従来型マーケであれば『消費社会の...』内容でカバーできていた。しかしながら、精緻なデータマーケと施策によりネイティブ化が過渡に進む今、仕掛側がブチ当たる壁であったり、ハイパーな消費社会が蔓延する社会の行き詰まりにおいて、(主体的に打破というよりは)、瓦解の兆候を目撃する日に、この『象徴交換と死』で論じられている内容は重要な支えになる。
計算処理と精度の向上による、データ分析と瞬時のフィードバックは、本書の第六部で引かれているアーサー・C・クラーク「九十億の神の名」を髣髴とさせるし、世界を無に帰するスピードの加速が止まらない。

”神の名のバラバラに散らばった音楽が詩のなかで消尽されるとき、詩もまた、世界を全面的に解体する。アナグラム的変形がなされたあとには、もう何も残りはしない。世界の循環は完了し、世界を貫いていた強烈な快楽の享受は、どこからも生じなくなるのである。”
(P485)


・・・・

(P156)
・世論調査の本質は、自分自身の姿を二重化するということ。→世論調査が大衆を代表する秘密はここにある。
・世論を生産することは不可能。誰もが世論を複製(再生産)しなければならない。
(P157)
・世論調査は決定不能領域をコントロールする。
・輪郭さえ明らかでないシミュレーションのハイパースペースへと、この現実を屈服させるのだろうか。
(P158)
・そっと目立たないやり方で、全社会の実体は完璧に複製される瞬間に、社会の機構から姿を消す。
・広告や市場調査の効果を信じているのは、ブローカーや広告業者だけ。世論調査が現代政治の機能と同じ機能をもっているから。
・現実的な戦術的価値をもち、固有のゲームルールによって政治的階級を調整するファクターとして機能している。
【世論調査とメディアのうちに庶民が見出すのは、実際には全く何も代表していない。ハイパー代表制度の支配する政治領域でくり広げられるおどけ芝居なのだ。】
(P311)
・あなたは自分の肉体に責任がある、だから肉体の価値を高め、肉体に投資しなければならない。
・大衆的モデルによって反映され、媒介された記号の指示にしたがって、社会的威信のフローチャートにしたがって
 ~デブ・不細工・ださいのは、自らをコントロールし、社会のコードに従わせる能力が低い欠陥商品であり、ぱっと見でわかるようになっている...ということ。


(P438)
"科学自体は、それが死と密接に結びついていて、死の上に死を積み重ねるがゆえにのみ、累積的なのである。"

 ~データあつめは河原の石積み。積み重ねたデータから、行動提案を繰り返していくと、そぎ落とされ、反映されなかった端数から、シュリンクしていく未来を想像せざるおえなかった。また、実際にへたな分析や提案に固執すると、だめになっていくのがよくわかった。あれは老化だったり、予定された死に向かっていて、生贄を埋めながら、王の巨大墳墓を造っていたようだった。


~感想~
・どの部も面白い。第五部「経済学と死」が本番かな、と思ったけど、第六部はよかった。第四部はパンスト、ボンテージフェチは必読の内容だったような。(あいまい。)
・第六部にいたるまでには、第六部で記されているような、記された言葉以外の膨大な情報量の時空にアクセスできるようになっている、じつは体験型SF本であったともいえるし、人間社会についての詩集(前衛的で刺激的な)だった、ともいえる。(単に慣れといえば、それまで。)記述された言葉以外のこと、あーつまりはこういうこと言いたいんだね、というのを、核心的な記述にいたる前段から、直観的にくみ取れるようになる。これを妄想だとかのなんとか蹴散らすにはもったいない。

・・・
情報量と情報伝達のネットワークが発展肥大するにつれて、現実はシミュラークルで満ちてゆく。映画や本でみた出来事が、現実に繰り広げられるとき、「これがハイパーリアルやで~」となるわけだ。

(近代がもたらした人権フォーカスでない視点より)資本主義は民衆をおのおの王様にした。お金の好きな人は成金に。出自では到底アクセスできなかったはずの文化教養にも。ただしそれらは、システムを保持するための再生産の一環であり、シミュラークルなのである。
王様は、はだかだ。
民衆は自らをすっかり王と思い込み、「もう、かん違いしたお前どもにはつきあってられない」という古代の王に「王様、そりゃ大変でしょう」と同情を寄せるまでに偉くなった。

レビュー投稿日
2016年8月19日
本棚登録日
2016年5月30日
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