舞台をまわす、舞台がまわる 山崎正和オーラルヒストリー

  • 中央公論新社 (2017年3月22日発売)
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感想 : 7
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長かった…。十数回にもわたるオーラルヒストリーの本は読むのが大変。

まず、山崎正和って誰?から始まった。
ハズレがないので、読む本をサントリー学芸賞を取ったものから選んでいたのだが、その創設に関わった人だった。知らなかった。
当たり前だが、政治や政策は政治家や官僚が動かすだけではなく、こうした知識人もファクターたりうる。
渡邉恒雄回顧録でも読んだが、政策決定にあたっては、かなり水面下のファクターが存在する。いわゆるマスメディアだけ見てると、「世論」で政治が動くべきだと思いがちだが、実際はそうではない。様々な専門家会議やら、官僚たちやその周辺企業からのコミットメントによって決まる。
だからこそ、センセーショナルな魔女狩り的報道には気を付けなければならないと最近思う。

【簡単にまとめ】
・劇作家でありながら、政治の中枢に関わってきた知識人。
・満州での少年時代→日本に戻り共産党との出会いと決別→アメリカに渡る。
・日本に戻り大学へ所属。+内閣官房など、政策決定への関わり。
・ただ、山崎正和本人は、政治へのコミットメントを諦念をもってコミットしていた。「諸子百家の意識」と例えている。中国の春秋戦国時代の思想家が自分の考えを説いて回るが、だいたい門前払い。だったらもう、意見は述べるが通らなくてももともと。何らかの形で後で効いてくれば良い。だからこそコミットメントが長く続いたと、述懐している。
・政治と文化人の関わりで、内閣官房まで関わりを持ったのは、劇作家山崎正和、建築家黒川紀章、演出家浅利慶太。

【印象に残った部分】
・森鴎外の頃は、国家は自らが守る存在だった。したがって、その下の世代のように、反国家という形で自我を形成することはできない。しかし、近代的自我という概念に触れ、自我がないことに苦悩する。ましてや一家の期待を背負う存在であったから、、家庭においても抑圧されず、夏目漱石の描くように、決められた結婚から逃げるような、抑圧からの拒否はできない。森鴎外の下の世代は、拒否によって自我を形成している。
・具体的には、海外は財産、金が全てで、それを得るために近代的自我を形成する。日本の近代的知識人は、そこに近代的自我を見出せない。しかし、結婚や恋愛で、決められた相手と縁談を進めることを拒否して東京に飛び出してくるのが近代的自我。拒否の自我である。
・どこまで分権するか?東京一極集中が進んでおり、地方分権が叫ばれている。しかし、都道府県に地方分権したら、次は市区町村、歯止めがない。教育の文献も同じ。言うは易し行うは難し。分権したら、当然開発途上国のような地域が出てきてしまうし、標準的なものを作るなら、結局東京に戻ってくる。分権にはもともと限度がある。
・気分、は感情として形成される以前の心理状態。志向対象を持たない。感情は志向対象をもち、足し算できないが、気分は違う。気が重い中で腹が立つ 溌剌としていて腹が立つ と言ったように、感情を左右できる。漱石、志賀直哉、永井荷風など「不機嫌の時代」と言う論評をしたが、不機嫌は、気分。アイデンティティが動揺している状態。主張すべき自我がないと言う自覚。だからマイナスの自我に走る。
・日本人の積極的無常感。マイナスの自我と同根。順番が回ってきたからうけた、じゃあ頑張ろう。「おつとめに参る」と言う言葉遣い。担当や立場が変わると、その組織を守るために頑張る。銀行局長になれば銀行を守るし、証券局長なら証券を守る。立場において忠実な日本人。「主義者」にはならない。世は無常だから、きょうのところはちゃんとやろう。
・阪神淡路大震災のあとの劇上映。関東大震災後、自由主義、商業主義が廃れて、これは天譴だとして、ファシズム的方向に進んだ。阪神淡路大震災の後も、同じように春の選抜高校野球自粛などなど、自粛ムードが流れた。これを憂慮して、断固として芝居をやることにした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2024年4月13日
読了日 : 2024年4月29日
本棚登録日 : 2023年11月19日

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