全体的に軽妙な語り口で書かれていて、読みやすく面白かった。挿絵もかわいい。途中、脳みそ死んでんじゃないかってくらい適当な時もあるが、、
生活史を研究している人だけあって、「ディテール」が詳述されていて、印象に残る。特に、おはぎ日記でおはぎを看取るところが、詳述すぎて辛くなる。ウィルキンソンの箱に亡骸を入れたり、それを霊園に持っていくために地下鉄に乗っているときにこっそり中を見たり、火葬の時に般若心経のCDを流すか聞かれたり、そのいちいちがありありと浮かんできて、おはぎが亡くなった岸さんの生活に出会わされてしまった感がある。もう、こんな辛い別れが待ってるなら、猫飼えませんよ。
あと、学問の世界でやりくりしてて本まで出してんのに、「何やっても中途半端やからな」なんて思うんですね、と感じてしまった。自分のことを中学40年生、なんて書いているが、やっぱり大人に見える人でも、成功してそうな人でも、メンタリティは変わってないし、満足感は得られないんだろうか。
子供ができないことへの折り合いも印象的だった。子供がいると、「暦」が生活にできる、という言い回しが印象的だった。「いまこんな、学生や院生みたいな自由な暮らしをしているからといって、子どもができなかったということの折り合いがつくわけではない」という記述も印象的だった。
ほか、印象に残った言葉
「果てしなく不寛容に、完璧主義に、一切のミスを許さない社会になるほかないのだろうか。〜
「ほかの人に対して不公平になるから」という言葉は呪いの言葉だ。もう一つ、「何かあったときにどうやって責任をとるのですか」も、きわめて大きな効力を持つ呪いだ。」
「20人に聞いた生活史をそのまま載せているだけの報告書だけど、わりと本気で、これは「世界文学」だと思う。」
「ほかの領域と「学問」を分けるのは、対象ではなく方法だ。」
「カップラーメンの3分も人生も同じで、もし生きるのがつらかったら、わざと関係ないことをして、人生から気を逸らしたらいいよ。」
「ランボー、怒りのランボー」
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みんなの民俗学 ヴァナキュラーってなんだ? (960) (平凡社新書)
- 島村恭則
- 平凡社 / 2020年11月16日発売
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新書なので非常に読みやすかった。
一番印象に残ったのが、「現代民俗学」が何なのか、ということ。
そもそも民俗学とは、「人間(人びと=<民>)について、<俗>の観点から研究する学問」なのである。
大きな特徴は、対啓蒙主義的、対覇権主義的、対普遍主義的、対主流的、対中心的志向であること。
福沢諭吉が、幼い頃稲荷神社に供えられていた石を捨てて入れ替えたのと、柳田國男が幼い頃祖母を祀った祠の中にあった珠に感動した、という対照的なエピソードに見られるように、啓蒙主義とは立場を反対にする(=啓蒙主義的な合理性では必ずしも割り切れない)のである。
そして、この「俗」にあたる部分を「ヴァナキュラー」と呼ぶのである。
なぜヴァナキュラーと呼ぶのか?
かつては、民俗学的には「フォークロア」とも呼ばれていたのだが、世の中の人たちは、「フォークロア」を「時代遅れの田舎の農民たちが伝えている、どこか奇妙で、でも懐かしいものごと」として理解してしまう。だが、フォークロアはどんな社会集団にも存在する。だからこそ、ヴァナキュラーという言葉が使われて始めたのである。
そして、この後は、その具体的なヴァナキュラーを挙げていく。
「我が家ルール」や「消防めし」、「キャンパスの七不思議」や「部活の言葉遣い」等。
このあたりの具体的なヴァナキュラーは、なるほどーって感じだった。
新書なので、非常に読みやすかったが、何となく「民俗学」って感じではなく、「調べ学習」的な感じで、まだ全然本気出してないんだろうな、という感想を抱いた。きっとこの人の他の本を読むと挫折するのだろう。でも読んでみたい。
2025年4月17日
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口の立つやつが勝つってことでいいのか
- 頭木弘樹
- 青土社 / 2024年2月14日発売
- 本 / 本
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タイトルのエッセイは最初のみ。
まあ、口の立つやつが勝つってことはよくないよね、ということが書いてある。言葉にできることが全てではないよねと。
宮古島での暮らしも書かれてるが、そりゃ、こんな寛容な心持ちになれればと思うけど、こんな社会じゃ無理だろな。読後感は穏やかな気持ちになったが違う世界線で生きてる人な気がして、共感はできなかった。
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自己啓発の時代 「自己」の文化社会学的探究
- 牧野智和
- 勁草書房 / 2012年3月7日発売
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自己啓発メディアを文化社会学の観点から分析した本。
自己啓発メディアが何を訴えて読者を惹きつける、また読者をどこへ誘おうとしているのかということを、内在的に理解する。自己啓発メディアの「世界観」あるいは教理を読み解く。とのこと。
初読者にとっては、何となく読みにくさが勝つ本だった。
結論に至るまで、言葉遣いが難解だし、様々な用語が「」つきで使われていくので、その用語には相当な言外の意味が込められているのだろうが、そこまで読み取れない自分にとっては、この結論に至るまでにそんなややこしくて回りくどい言葉遣いしないでよ…という感じだった。きっと、この人の研究過程を丁寧に追っていけば、追いつけるのかもしれないが、いかんせんそこまでいたらなかった。
自己啓発本の持つ役割を述べた後に、ベストセラー・就活の自己分析本・女性の自己啓発本・ビジネス本の分析を通して、総括する、という構成。
この本では、3つの問いを立てている
①「1990年代における内面の技術対象化は他の自己啓発メディアでも確認できるか」
②「自己啓発メディアの社会的機能とは何か」
③ 「自己を巡る機能の布置はどのようなものか」
①の答えは、確認できる。が答え。
そもそも、内面の技術対象化とは、自身の内面を技術的変えられるものと捉え、その行動を勧めること。〜術といったことに代表されるような。1980年台の自己啓発本ベストセラーは、経営者の経験や、あるべき姿だけを描いていて、それにどう近づくか、というハウツーではなかった。しかし、1990年台に入ると、自身の内面は変えられる、そしてそれをどのように変えるか、といったことに焦点を当てるようになった。これは、就活の自己分析本や女性の自己啓発本、ビジネス本でも見られる光景だった。(こうした、「内面の技術対象化」のような言い回しが続くのが苦痛だった。)
② (一つ目)人々の生をめぐる諸文脈において目指されるべき目標の設定機能。今日における女性の生き方や男性女性の働き方を個々人の内面、特にその技術的調整の問題として設定する機能。(二つ目)それぞれの文脈における諸前提を根本的には問い直すことなく再生産する機能。女らしさや仕事に没入し全身全霊を捧げるべしという男らしさ等は疑われることのないものとして置かれている。
自己啓発メディアは、純粋な自己の再帰的プロジェクトを促すものではない。自己を巡る問いを人々に突きつけ、「自己の再帰的プロジェクト」化を技術的に加速させるだけでなく、その技術的調整が行われるにあたっての基底的参照項、自分磨きの答え、とそれを提供してくれる権威を差し込み、それらを自明化していく両義的なメディア。(要するに、純粋に自分探しを助けるものではなく、いわゆる「自分のようなもの」を勝手に定義し、それに向かうための努力加速化させる装置だろうか。そして、その「自分のようなもの」は社会の価値観で固定化されているのだから、再起的にステレオタイプを、レッテルを強化する働きも持っているのだろう)
③ 「複合体」であるが、ある程度守備範囲はある。自己分析マニュアルに、会社社長や経営者、スピリチュアル系に霊能力者が多いように。(要するに、誰か特定の人が書いているとまでは言えないのだろう)
そして以上3つの結論をもとに、筆者は以下の趣旨のことを述べる。
自己啓発メディアはトラップのようなもの。自己啓発メディアが推奨するような「自己と自己との関係」へのまなざし、自己を巡るような問いは、我々を絡め取ろうとする。そして、その自己啓発に端的に現れる「自己の体制」に慣れ親しんでいくことになる。そして、その自己の実現に惹きつけられてやまないようになる。
ブルデューの言う「文化」のゲーム、自己のあり方をめぐって少なからぬ人が夢中になっているゲームから離れ...
2025年2月9日
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暇と退屈の倫理学 (新潮文庫)
- 國分功一郎
- 新潮社 / 2021年12月23日発売
- 本 / 本
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暇と退屈をベースに、思想家たちを戦わせている…。
哲学エアプだから凄く単純な疑問なんだけど、当時の思想家たちの文言を、暇と退屈の文脈から捉えて再構築し直していいんだろうか。
読みやすい。国語の現代文の問題、作りやすそう。
消費社会に関する考察は、すごく合点がいった。
筆者は、消費を、物を消費するのではなく、物に付与された観念や意味を消費することと定義した。モデルチェンジした物を求めるのではなく、モデルチェンジしたという観念を消費する。個性という観念も消費の対象。消費者が消費によって個性的になることを求められ、強迫観念を抱く。そして、消費社会とはものの過剰性ではなく、モノの希少性で特徴付けられる。モノがなさすぎる。そしてそのわずかな物を記号に仕立て上げ、消費者が消費し続けるように仕向ける社会と述べている。
個人的には、この社会、これ以上発展してどうするの?という感覚があるし、逆に、発展しなくてもいいのに、何か見えない力で「発展しているように見せなきゃいけない」という圧を凄く感じる。やっていることはちょっとしか変わらないのに、見せ方を仰々しくしてさも変わっているような感覚を味合わせないと、資本主義社会にフォローアップしきれない。例が正しいのか分からないけど、「月額会員制」を「サブスクリプションサービス」と言って新しい感じを出したり、テレビがない古い宿を買い取ってリノベーションしたんだろうけど、「テレビのない空間で非日常を」とアピールしたり(←宿はよかったんだけど、なんか、こんなことまで広告しないといけないのか…と思ったり)、アクセルとブレーキさえあればいい車が滅茶苦茶多機能になっていたり…。ここまでして消費を喚起しないといけないの…と思ってしまう。わずかなものに希少性で記号として特徴づけ、人々の消費を喚起する。そして人々はそこからしか楽しみを見いだせず、退屈してしまう。この考察は同じく、消費社会について論評した、山崎正和の本を思い出す。モノを作る企業ではなく、消費者のニーズを見つけてそれを形に作り上げていく企業。その中ではデザイナーやコンサルが重要な立ち位置を占めている。
すっごく月並みな言葉で感想を言ってしまうと、人間、本来は退屈な存在なのだから、その中でいかに楽しみを見出すか、そして、何か、自分を動物的にしてくれる物事に取りさらわれる準備をしておこうと思った。我々が理想として見出している「何かに熱中している狂信者」という物は、幻想にすぎないのだと心がけておこうと思った。
あと、また山崎正和の本と絡めてしまうが、山崎の述べる「消費する自我」が、まさに筆者が述べる、退屈の第二形式を楽しむ存在だと思う。人間には、満足を引き延ばす欲望がある=消費する自我。消費する自我は、内部に他人を含むものであって、それが現に満足している自分を確認して、そのことによって二重に満足する存在である。つまり、過程そのものを味わうことを目的としている。
(疑問)
何となく腑に落ちなかった点が2点。
①人間は遊動生活が本来の姿じゃないの?
筆者は、第七章で、人間が元来、物事を習慣化、シグナル化することで快を得る動物だとしている。
しかし、物事を習慣化、シグナル化することで快を得る動物だとするならば、第二章で言っている、遊動革命は何だったんだろうか?人間が物事を習慣化、シグナル化することが快ならば、新しい刺激が生まれる遊動生活が元来の姿と言っているのは矛盾するのではないか?
②退屈の第一形式のイメージがつかない。
筆者は、「何となく退屈だ」という声(退屈の第三形式)に動かされた人間が、退屈の第一形式に移行し、物事の奴隷になる、と述べているが、このイメージがつかない。退屈の第一形式は、「暇であり退屈である」状態=駅舎で電車を待っていて、駅舎の理想の時間と自分の過ごし...
2025年1月22日
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「うまく言葉にできない」がなくなる 言語化大全
- 山口拓朗
- ダイヤモンド社 / 2023年11月14日発売
- 本 / 電子書籍
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(心がしんどくなったので自己啓発本を読む⑪)
言語化大全
<CHAPTER1:語彙力を伸ばす>
言い換えたり、調べたりして「理解できる語彙」だけではなく、
「使用できる語彙」を増やす。
インプットして、アウトプットして、「使用できる語彙」を増やす。
<CHAPTER2:「具体化力」を鍛える>
具体的に述べたほうが、圧倒的に伝わりやすい。
①手法1 5W3Hをはっきりさせる。
When いつ Where どこで Who だれが What 何が Why なぜ
How どのように How many どのくらい How much いくら
②手法2 「ざっくり一言」→「なぜ?」→「例えば?」の順番で深堀する。
映画の感想など、ざっくり一言くらいであれば、すぐ出てくる。
そこに対して、なぜそう思うのか?の理由を考えて付け足す。
そして、そのなぜそう思うかの理由に対して、具体例の例えば?を添える。
(「この椅子を買い替えようと思うんだけど、どう思う?」
⇒「いいと思います。
椅子もぼろくなっていますし。
例えば私の椅子は座面が勝手に下がってきてしまうのですよね。)
※例えば、の4つの役割
1具体例を挙げる:果物が好きだ例えばリンゴ
2たとえる:~のようだ 彼女の立ち振る舞いは美しい例えば風のようだ
3ある場面を仮定する:仮に この施策は良くないと思う
例えば私が社長だったら
④まとめる:手っ取り早く言うと、端的に言うと
例えばエジソンのような偉人。
※例えば、を使うときに具体例に出すための思考の物差し
・メリットデメリット
忘年会の開催には賛成です。なぜなら、楽しいから。
例えば知らない人とのコミュニケーションを取れる。
・ビフォーアフター
このジムに通うことを勧めます。なぜなら、やせられるから。
例えば、このジムに通って3か月以内に5キロ減らした人が〇人いる。
・類似点相違点
このカレー屋さんはおすすめです。なぜなら、おいしいから。
例えば、他店に比べて具材は同じですがスパイスが異なります。
・誰におすすめか
この映画はおすすめです。なぜなら、教訓がたくさんあるから。
例えば、仕事で失敗して落ち込んでいる人には元気がもらえます。
・どうやって? 例えばどうやって?
商品の魅力を伝えたいです。今のままだと、伝わりにくいからです。
例えば、キャンペーンや割引を実施して、手に取る機会を増やす。
③手法3 数字・固有名詞を多く使う。
また、抽象的な言葉は使わない。(信頼を得る とかは抽象的)
<CHAPTER3:「伝達力」を磨く>
言語化のゴールは相手に伝わること。相手へのプレゼント。
1分60文字~70文字で伝える。
「伝わっていないサイン」にも敏感に。
話の組...
2025年1月17日
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仕事は「段取りとスケジュール」で9割決まる!
- 飯田剛弘
- 明日香出版社 / 2018年12月13日発売
- 本 / 電子書籍
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(心がしんどくなったので自己啓発本を読む⑩)
自分の仕事のできなさを自覚するために、読んでみた。
段取りとスケジュールということで、他の人をどう巻き込むか、みたいなことが書かれているのかな
と思ったけど意外とそうではなく、自分の仕事術の本だった。
【仕事は「段取りとスケジュール」で9割決まる!】
<第1章:なぜギリギリになってしまうのか>
・結局人は、時間があれば締め切りいっぱいまで使ってしまう生き物。
少しずつやろう、と思っても結局ギリギリになる。そもそも、後工程はお客様 なのだから、自己中心的な考えは捨てて、バッファをもって仕事をする。
・1日は480分しかない。
<第2章:アタマの切り替えを減らす>
・頭を切り替えないようにする。切り替えのコストはでかい。マルチタスクはできない。
・TODOリストも、優先度の高いものがおざなりになるので、なるべくスケジュールに落とし込む
・探し物をしないように書類は整理する。
・仕事の時間割を作り、主体的に予定をコントロールする。
Noと断るのでなく、「今優先度高い仕事をしているので〇〇時からならOKです」と言う。
<第3章:仕事のスケジュールを組むための「仕分け術」>
・他人に任せられることは他人に任せる。
自分が抱え込むことで遅れを作る「主犯格」と考える。
・5分以内に終わる仕事ならすぐやる。
締め切りがあり、15分以上かかる仕事やミーティングなら、通常のカレンダーに予定を入れる。
・タスク置き場は一元管理。
・作業の成果物は名詞で考える。(~を検討する。という書き方より、~計画書を作成)成果物を明確にする。
<第4章:「いつまでに」を癖にする「デッドライン」の守り方>
・仕事の優先度は、緊急度と重要度に加え、仕事にかかる所要時間と他の人への依存も考慮する。
・デッドラインを自分で設定することで、自分で仕事をコントロールできる。
・「合格ライン」をはっきりさせる。
・難しそうな問題や仕事は小分けにして考える。
・仕事の成果の価値=作業の質÷時間 要するに、かかった時間も評価に値する。スピードを重視する。
<第5章:振り回されないコントロール術>
・悩まない。考える。そして考えるなら時間を決める。
悩むと考えるは違う。考えるは、問題を解決するためのもの。
・上司をうまくつかう。
承認・アドバイス・自分にできない仕事をやってくれる。
・議事録は事前に書式なども準備しておき、作るのに1時間以上かけない。
<第6章:探す時間を減らす「タスク置き場」の作り方>
・タスク置き場の数を減らす。
・メモはいろんなところに置かない。
・メールは整理するのでなく「検索」するもの。メールの即レスは基本。
<第7章:時間効率を上げる「ちりつも力」>
・「自分は遅い」とまず認める。そうすると、どう早くするか、が分かる。
・ポモドーロテクニック 30分作業して5分休憩。
・退社前に復習と予習
復習 今日やったことは何か、やり残した仕事があればなぜ終わらなかったのか 今日の教訓は何か
予習 作業を仕分けて明日に備える 明日やることを明確に いつ何をするか決める タスク置き場を整理する
<第8章:仕事のやり直しを減らす「逆算思考術」>
・仕事の目標はスマートゴール
Specific具体的 Mesurable測定可能で数値になっている Achievable達成可能 Relevant関連がある Timebound期限が明確
・逆算して仕事のゴールを考える。
<第9章:時間はカネよりケチって使え!>
・時間もお金のように予算管理する。
・計画よりも実行。
【今回の学び...
2025年1月17日
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結果を出す人の「報・連・相」 (仕事の基本)
- 前川孝雄
- 日本能率協会マネジメントセンター / 2013年3月1日発売
- 本 / 本
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(心がしんどくなったので自己啓発本を読む⑨)
そもそも、自分の「仕事ができない」のって、基本たる報連相ができていないからではないか…?
ということで読んでみた本。
内容はほぼ普段仕事やっている感覚を言語化したようなものなので、30分もあれば読める。
どうでもいいけど誤字が多い。
報連相にはメリットがいっぱい。
<上手な報連相の仕方>
・報連相の際には、上司と視界をシンクロさせる。
・最初は細かく報告して、そこまでしなくてもいいと言われたら、すり合わせていけばいい。
・①全体像とこれまでの経過を伝える⇒②上司に何をしてほしいかを伝える。
※そうしないと、上司の余計な介入が入ってくる可能性が爆増する。
・CCは伝えたことにならない。
CCを入れるなら、ちゃんと名前を入れたり、メールの冒頭に入れたりするフォローをしておく。
・悪いことも報告する。
・何がしたいのか分からない相談はNG。ちゃんと自分の意見をもって~~したいです。の相談をすること。
極意は、自分の意見+柔軟な対応。
<上手な報告の仕方>
・報告は案件名+結論+補足説明(+感想)
忙しいから、案件名をまず伝えて、聞く体制を作ってもらう。
・反応が薄くても定例報告は続ける。
年齢を重ねると感情表現が乏しくなる。実は聞いている。
・時間を取って報告する。それで体制を整えてもらう。
いきなり予定も聞かず報告しないこと。
・「。」を意識してワンセンテンスで報告する。
<上手な連絡の仕方>
・連絡は、案件名+事実(今、こういうことが起こっています)+影響(事実によって、あなたにはこういう影響が及びます)+依頼(相手への依頼)+締切
依頼と納期は必ずセット。納期は伝えにくいかもしれないが、しっかり伝える。
・ちゃんと、相手にどういう影響が及ぶかをしっかり伝えること。
メールサーバが停止しています。理由は~~~だからです。では、相手の知りたい情報が伝わらない。
停止によって、何ができて何ができないのかをしっかり伝えること。
・聴く+伝える=伝わる 「伝える」だけでは不十分。相手の要望や質問を聞くこと。
・依頼を無視されないためには、相手のメリットを明確にすること。自分の伝えたいことだけ伝えていない?
・返事の催促は何かのついでのように見せる。そうすると相手も嫌な思いをしない。
<上手な相談の仕方>
・相談は、案件名+事実(今、こういうことが起こっています)+背景(なぜそれが起こっているのか)+自分の意見(これに対して私はこう思う)+相手の意見(どうおもいますか?)
ただし、上司のアドバイスもうのみにしないこと。
・事実と感情は分ける。
クレームを受けて、感情と混ぜて報告したくなるが、いったんそれは分けて報告する。(勿論言ってもいいけど、感情を言う際には、ちゃんとわかるようにする。)
・相談は相手への信頼のサイン
それが分かるように相談する。(「〇〇さんならいい意見を言ってもらえるかと思って…」)
・自己主張や提案でも相談形式で持っていくこと。
・お願い事や交渉事こそ、テクニックに溺れない。
・交渉のテクニック
①リフレインの法則 相手の言うことを繰り返す
②レンタルワードの法則 相手の言葉を借りて会話をする
③ポジティブナビゲートの法則 相手の言葉をなるべく肯定する。
④アップストリームの法則 議論が平行線になったときに、お互いが少し視点を上げて共通の目的を探り、双方が折り合いをつけながら建設的に議論する。
(上司にクレーム対応の同行をしてほしいが、他エリアの随行があり、同行してもらえない。
⇒上司との共通目的を考える。担当エリアの顧客満足度向...
2025年1月17日
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どんな病気? どうしたらいいの? マンガでわかる 適応障害
- 浅井逸郎
- 大和出版 / 2024年11月14日発売
- 本 / 本
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(心がしんどくなったので自己啓発本を読む⑧)
適応障害になったので、読んでみた。
漫画は挿絵的。ただ、分かりやすいし、実際に適応障害になった身としては、なってから復帰に向かうまでどうすればいいか分かりやすく書いてあって、参考になる。
実際のところ、心療内科医と産業医は他の患者もいるから、ここまで丁寧に取り合ってはくれないし、カウンセラーに話を聞いてもらうにも、お金がかかるのです。。
適応障害は骨折と違って、自分が主体になって直さないといけないから、こういう本を読んだうえで、自分がどうするか考えて、医者やカウンセラーをうまく使わないといけないんですよね。。
大事なのは、まず休むこと。とにかく休んで、意欲が回復したら、何が悪かったのか、問題解決療法を使って、どうストレスに対応するか、考えること。
適応障害になったのは、甘えや弱さなどではなく、ストレスコーピング=ストレスへの対処能力 が低いから。若者がストレスへの対処能力がない、と言われるのは、ストレスにさらされた経験がないから。経験がないなら、対処能力が低くても当然。対処能力をこれからつけていけばいい。
※発売されたばっかりなので、本の内容のまとめは読書メモだけにしておく。
2025年1月10日
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職場の人間関係は自己肯定感が9割
- 工藤紀子
- フォレスト出版 / 2019年11月22日発売
- 本 / 電子書籍
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(心がしんどくなったので自己啓発本を読む⑦)
これは、自己肯定感を持ちましょう。そしたら万事解決。
自分を受け入れましょう。
他人の評価ではなく自分の評価で動けば主体的になれるよという本だった。
タイトルの通りです!!
2025年1月10日
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ストレスと適応障害 つらい時期を乗り越える技術
- 岡田尊司
- 幻冬舎 / -
- 本 / 電子書籍
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(心がしんどくなったので自己啓発本を読む⑥)
適応障害になったので、読んでみた。
部分的には共感できる部分もあったが、一部読みにくいところもあった。
以下、簡単に内容のまとめ
・負荷<対処+支え
対処は、ストレス源から離れるかストレスに対処する能力をつけるか。
ただし、見切りが早いと対処能力がつかないので、ある程度は自分で力をつけるべき。
支えは多い方がいい。知人 友人 家族。
誰にも相談せず潰れる方が恥ずかしい。
・アドラーの心理学は少しポジティブ過ぎ(対応するための考え 課題に立ち向かうための考え)るかもしれない。特に新型うつ病、適応障害の人にとっては、全ての課題は人間関係の課題であるとし、立ち向かうことを迫るのは自分を否定するように思えるかもしれない。だからこそ、「共同体感覚」を持ち出した。
・偏った認知
自己否定
完璧主義
自己無力感と依存的思考
過度な一般化と過剰反応
混同思考
⇒これを正していく必要が在る。「認知行動療法」
自動思考を止める。
(ここでものすごく、幼いころに愛情を受けていないこと、虐待が原因としているが、そんなことないんだけどな・・・)
・回避性パーソナリティ
自分に自信がない
低い地位に甘んじてしまう。
甘んじないように訓練する必要が在る。
できることからできるようにする。抵抗力を少しずつ身に着ける。
・依存性パーソナリティ
自信がないから人の言うとおりにする。ただ、主体性を持つことが大事。
・セルフチェック
チェック1 ー3点 否定的認知が強い
チェック2 3項目 完璧主義や二分法的認知は強くない
チェック3 ー3点 固執性(否定的体験への囚われやすさ)は高い
チェック4 5項目 過敏性(新しい環境への適応できなさ)は強い
チェック5 0項目 共感性 向社会性は低い
チェック6 0項目 情動制御は強い (逆に強すぎるとため込みやすいが)
チェック7 7項目 安全基地はない
※低いところを改善しようといわれてるが、全部だめだった・・・
・人はプライドが傷つくのが一番つらい。
⇒プライドは、他人に認められることで満たそうとしない。自分の努力にプライドを持つ。
⇒そのためには完璧主義 ゼロ百思考に陥らない
⇒そのためには期待値を下げる。
⇒そのためにはよいところ探しをする。
思考の切り替えもしっかりする。
もっと自由に生きていい。
・見切りをつけるか踏みとどまるかは、期間を定めてみるといい。この年度いっぱい続けてみようとか。3か月とか。それでも体が拒否反応を示すなら、潔く諦めるのも手。と考えているうちに解決することもある。
(これは目からうろこかも)
・悩みには2つある
1つめ 葛藤 どっちにしようか
⇒この葛藤に対しては、他者としては、中立の立場を取っておくことが重要。どちらかを強制することは、必ず否定を伴うものだから。むしろ大事なのは、その葛藤の根底にある葛藤を引き出すこと。(会社に行きたい 行けないの葛藤の底には自分のプライドを傷つけたくないという葛藤がある。)
⇒そこから、~したい、という「言葉」を引き出す。
言葉にすると一気に強くなる。逆に言葉にしなければ、弱いままである。
⇒葛藤に対する10段階のスケーリングをすることや
その葛藤が乗り越えられた場合どうするか、の仮定の話をすることも一助になる。
2つめ 問題解決 どうやってゴールにたどりつこうか
⇒ゴールを明確にする。
どうなりたいのか?何が欲しいのか?
いまのあなたに達成可能なゴールは
そ...
2025年1月10日
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アウトプットの精度を爆発的に高める「思考の整理」全技術
- 生方正也
- かんき出版 / 2016年4月18日発売
- 本 / 電子書籍
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(心がしんどくなったので自己啓発本を読む⑤)
もう少し、自分の思考を整理する技術を学びたいなと思って読んでみた。
以下心に残ったことのまとめ。
思考の整理 全技術
テーマ1:思考のピントを合わせる
①「目的」を明確にする
【例】会議中に何が言いたいか分からなくなってしまう。 なぜ分からなくなるのか?
1途中で目的を見失ってしまう
・自分の興味関心と違うから。
【例】ネットサーフィンして本来の目的から離れてしまう。
・周囲からのアドバイスで乱される。
【例】上司や先輩から、資料の見栄えのアドバイスをもらってそれに夢中になる。
・思考を掘り下げすぎて目的とずれる。
【例】細かい作業ばかりをしてしまって本来の目的から離れる。
2そもそも目的自体がアウトプットを作り出すのに適切でない。
=目的自体がおかしい。
【例】朝会の目的は、業務共有と報告のため! ←その業務共有と報告は何のためにあるの?
では、どうやって目的を明確にするのか?
1未来志向で考える。
【例】朝会の目的は、終わった後に何が実現できているのか に立ち返る。 例えば、各メンバが取組改善のヒントを得て終わっている状態。
2目的を明確にしたい行動は何かをはっきりさせる。
【例】「この係の目的はなんですか?」という漠然とした問いでは、漠然とした答えは返ってこない。
※答えを出したいことへの「問い」を出すことが目的を明確にすることに繋がる。
そしてその「問い」は当たり前だが、答えが出る「問い」である。
【例】「教員負担を下げるためには?」という問いは空中戦になり目的も出ない。
「スキルのある職員になるには?」というという問いでは、漠然とした答え しか返ってこない。
「スキルのある職員になるために必要な経験は?」という問いの方が明確。
②全体像をとらえる
【例】部署の業務負担が大きく、上司に増員を求めたが、いい答えが返ってこない。
なぜか?
それは視野が狭いから。
業務量の増加は要因だが、予算や他部署との交渉といった観点が必要。
そのためには、「枠組み」を持つ。5W1Hのようなフレームワークのこと。
3つ~4つ程度の大きいくくりにして、俯瞰して、絵にしてみる。
そして枠組みを組むことを繰り返す。
(ただし、フレームワークにとらわれすぎるのもよくない。 「全体像をとらえるのにたまたまこのフレームワークが使えそうだ」程度で。 )
テーマ2:情報のインプット
事実からインプットしたうえで、「どう理解するか」は人によって異なる。
=バイアスがかかる ということは心得ておくこと。
【例】PC端末の残台数は事実だが、それを増設しないとやばいのかどうか、は人の判断になる。
テーマ3:情報を理解する
①切り分ける
【例】レストランの来店客が少なくなってきた。どうしよう。
こうした問いに対していきなり具体策を考えるのは愚。
まずは問いに対して情報を集めて切り分ける。(例:来店者の年代は、性別は?)
切り分ける際にはMECEや対立概念,「A or Not A」を使う。
②バラす
【例】この係はどんな仕事をしていますか?というアピール施策への対応。
ブレストのように、特性をばらして考えると分かりやすい。
ただし、単純な箇条書きではない。
何が特性か、特性を元にカテゴリに分けられないかを検討する...
2025年1月6日
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自分の仕事をつくる (ちくま文庫)
- 西村佳哲
- 筑摩書房 / 2009年2月1日発売
- 本 / 本
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「働き方」について、様々な人(主にデザイナー)へのインタビューを通して筆者の考察が書かれている。
なんというか、インタビューされている人も、筆者の文章も書き口も、雑誌に掲載されている文章のようだった。ぶっちゃけ雑誌の文章って、じっくり読むより、掲載されている写真やレイアウトをもとに、雰囲気を味わうためのもののような気がするので、目が滑ってしまった。
以下、いくつか印象に残った点
1働き方が違うから結果も違う
【八木保 デザイナー】
「完成度の高い仕事には、その働き方の随所に、物事に対する観察力を高め、解像度を上げる工夫があらかじめ含まれている。」
→省略されたインターフェイスは、モノづくりをめぐる前提条件として学習・認識されてしまう。(1995年でもそれだからね。AIで絵描いてると知ったら卒倒するんじゃないか?)
→映画のチラシや雑誌の1ページをコンピュータで完全に模倣せよ、とすると、そのデフォルトから離れたデザインの細部まで気にしなければならない。そこで観察力が上がる。
指し示す言葉の厚みはそれに対する感受性を示す。イヌイットは雪を示す言葉を100種類以上持つという。
【宮田織 デザイナー】
ファシリテート技術。相手の良さを引き出す。
作るべきものが明確でない時代になってる(インタビューは1999年 このころから試行錯誤してるんだな。)
癒しの時代と言われているが、むしろエネルギーが有り余っているのではないか。どのように燃焼させればいいのか分からないエネルギーが存在しているように思える。買い物はエネルギーの燃焼。狩猟のようなものかもしれない。
2他人事の仕事と「自分の仕事」
「大衆から支持されるもの」も、「自分」の感覚が出発点になっている。「自分」がいいと思ったものに深掘りを重ねることで他人の無意識と繋がる層に達する。(中途半端な深掘りはマスターベーションに過ぎないが)
日本の企業組織には、社内の意見は過小評価し、社外からの意見は過大評価する傾向がある。そうした目線を自分自身にもむけていないだろうか。
【甲田幹夫 パン職人】
ダブルバインド(顧客の資産を守りたいとしつつも、本当は利益を追求することが目的の証券会社など、本音と建前に矛盾が有る仕事)ではなく、自分がいいと思ったものをつくる。「いい仕事」とは嘘のない仕事を指すのかもしれない。
【ノーガンレール デザイナー】
つくるなら、永久に使えるものを作りたい。単純に、ゴミを出したくないから。ほんの数年間のために何かを作り出すなんて、考えるのも勿体無いし、そういうことに時間をかけたくない。
そのモノ自身が大事。対象への没入感。木々が一つ一つ違うように、布の素材も、一つ一つ違う。
→デザインのためのデザインでない。自分の身の回りに必要なものをつくる。いろんな仕事を、自分の仕事を、他人に委ねてはいないだろうか。食事や洗濯、旅行、クリーニングなど。自らの仕事を外に出すことは、人生を空洞化させていないだろうか。
3「ワーク・デザイン」の発見
2008年に書かれた本とのことで、10年以上前だが示唆に富んでいる。
働く場がコミュニケーションをつくる。
リモートワークは、カフェでやるには良いが、恒常的に行うと弊害がある。働く側が気を揉みすぎる。
人は意味のないことより意味のあることを選ぶ。自分が意味を見出せることがモチベーションにつながる。
我々は、時間を対価に会社から仕事を買っていないだろうか?本来は、会社に能力を売ることで対価を得るはずなのに。(ジョブ型とメンバーシップ型だろうな。)
文庫版あとがき
ここが一番的を得ている。最後まで通読してきて、モヤモヤした気持ちを言語化してくれた。
読者からの感想→綺麗なところだけ切り抜き過ぎていない?こんなもんでいいでしょ、的な記事を書く人、「駄目...
2025年1月22日
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もしかして、適応障害? 会社で“壊れそう”と思ったら
- 森下克也
- CCCメディアハウス / 2019年11月29日発売
- 本 / 電子書籍
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(心がしんどくなったので自己啓発本を読む④)
適応障害と診断され、やっと心が回復したので読んでみる。
今の自分の状況、このまんまだな…と思い、自分の状況を改めて言語化してもらったようで、学びが多かった。
以下心に残ったことのまとめ。
<適応障害への対応の大前提>
・ストレス源の外部要因は職場や産業医と解決する。
性格や考え方などの内部要因は心理カウンセラーと解決する。
休暇等の時間的要因、薬などは医者と解決する。
そして自分もセルフコントロール者として、関わらなければならない。
普通の骨折は医者に任せていればいいが、そうとも限らないのが適応障害
・適応障害は、外部要因(ストレス源)と内部要因(性格や考え方)の組合せで起こる。シーソーのようにどっちが重いかは人による。
<適応障害のパターン>
・適応障害に関しては様々なパターンがあるが、自分は「とにかく打たれ弱い回避性性格」かと思う。
とにかく傷つくことを恐れる。まっとうな注意に対しても自分の存在を否定されたようなダメージを受ける。
結果深入りすることはせず当たり障りのないポジションに甘んじる。
その結果①逃げることを容認しよりストレスの少ない方向へ進む
窓際族と評され、よく思っていなくても、改善するチャレンジはしない。
②楽なポジションに逃げていることを認めたがらない。(周囲に責任転嫁)
⇒「未熟」思考パターンが感情的で葛藤への対処能力が低い。故に現実から目を背けず、ストレスと対峙し対処能力を高める。
<職場での対処について>
・上司との心理的ゲームに終止符を打つ。威圧されて委縮することを繰り返していたらそれを繰り返すだけになる。
別の反応を示し「自分を不当に扱うと痛い目を見る」ということを示すと手を緩める。
・逆に問題同僚とは「距離を取る」。同僚は表面的な関係なので、あくまで仕事と割り切って譲るところは譲る主張するところは主張する。
<ストレス対応について>
・ストレス対応には主観型と客観型がある。
主観型:感情でしかいけない。どうしようと考えるだけ
客観型:論理的に理路整然と考える。
主観型が適応障害を起こしやすい
⇒主観型から客観型に変わるには、選択肢をいっぱい作ること。
どうしようじゃなくて、いくつもの選択肢を頭の中に浮かべておく。
・認知のゆがみと自己洗脳を修正
こんな認知のゆがみがある。
「全か無か」:少しでも失敗したら技術者として失格だ
「過度の一般化」:頑張っているのにいつもうまくいかない
「低い自己評価」:自分なんかダメだ
「自己関連付け」:別の同僚が叱られているが、上司が怒っているのは自分の成果もしれない
「マイナス思考」:褒められても「でも自分はダメだ」
これを修正するには「認知行動療法」が必要
そしてカウンセリングの場だけではなく、普段から思考の癖を直すこと。
<適応障害になったときの流れ>
・適応障害になったらやること
①ストレス状況の軽減又は回避(自宅安静や薬物療法 医者)
②症状の改善(自宅安静や薬物療法 医者)
③ストレス耐性の強化(カウンセラー)
④復職の支援(産業医)
・自宅安静の過ごし方
3か月が理想だが、数か月しか取れないのであれば、致し方ない
①だらだら期 何もしないことを積極的にする時期
仕事に対して無責任になる。仕事に関することを全てシャットアウト。復帰するためのダラダラ期。
復職のこと、転職のこと、義務に駆られた無理な活動はしなくていい。
②活動期 ダラダラ期で「すべき思考」から解放される。気力が...
2024年12月25日
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東大で25年使い続けられている「自分の意見」の方程式 最強のアウトプットの作り方
- 西岡壱誠
- KADOKAWA / 2019年9月27日発売
- 本 / 電子書籍
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(心がしんどくなったので自己啓発本を読む③)
「自分の意見がない」のがコンプレックスなので、何とか出せないか、読んでみた。
以下、簡単なまとめ。
<大前提>
意見 = 事実 + 問題 + 自分 + 提案
①事実:客観的で、意見の根拠となるデータ
②問題:何が問題だと捉えているのか、どこが解決すべきポイントなのか
③自分:意見を言う主体はどう考えているのか。どういう価値観を持っているのか
④提案:結局何をするべきなのかという結論・アドバイス
例
①タバコは発がん性物質を含んでいる
②この発がん性物質はがんになる可能性を大きく高める非常に危険なものだ
③私は、人間は健康的な生活を送って長生きすることが一番だと考えいる
④だからタバコは販売禁止にすべきだと思う。
例
①最後の膜が下りる前に主人公がヒロインとこんな会話をしていた
②あれは物語を締めくくるいいシーンだった
③私はあのシーンから脚本家の細部にわたる丁寧なこだわりを感じられた
④とてもいいものを観させてもらって感謝している。
<意見の不備について>
・穴がある意見を言ってしまう。
①の事実が不足している 事実は誰にでも否定できない。(例:日本の少子高齢化が進んでいる)
・意見を言うのが遅くなってしまう
②の問題が不足している。事実をどう切るか。どういう切り口を作るか。
(例:日本の少子高齢化が進んでいる⇒×日本の学校や教員が不足する は飛躍している。 〇日本の財政を圧迫する。)
・何を言えばいいかが分からない
③の自分が不足している。その問題に、自分の「立場」としてどう考えているか。
(この会社に対してどう思うか?⇒×社会問題を元にに考えると というと、何様という感じになる。 〇入社3年目の立場として考えると)
・結局何が言いたいのか分からない
④の提案がない。
・言わぬが花なのではないか?
言わなくてもいいけど準備はしておいた方がいい。
・全部きれいに分けなくてもいい。盛り込めてればいい。
<①事実をつくる「現状サーチ」>
誰にも否定できない事実をつくる。
客観性と具体性を持った事実をつくる。
それは以下である。
1出来事(~が起こったことは否定できない)
2数字(数字も具体性を持つ)
3感情(矛盾するかもしれないが、感情も事実。東大生が東大を楽しいと言ったら、強い事実。)
※「事実」と「問題」は分ける。
仕事でミスが多い は「事実」。
だからと言って、その人が無能 という人格否定まではできない。どう評価するか は「問題」。
<②問題をつくる「ひとりブレスト」>
問題 は 「解釈」である。
地球の気温が上がっている という事実に対して
・地球温暖化が問題である
・気候変動が問題である
・北極の氷が解けても我々の生活にかかわりはない
という解釈の異なりはたくさんある。
だからそれを定める
ひとりブレストすればいい
1悩みの分化
その事実は、「誰に」「どこで」「どんな状況」で問題足りうるか、をそれぞれ3つずつ考えてみる。
「少子高齢化」という事実に対し
「若者 高齢者 農家」「会社 都市部 農村部」「今日 半年後 5年後」とかで考えて
それぞれどのフェーズで問題が起きるか考えてみる。
例えば、高齢者が都市部で5年後、孤独死が多くなる可能性がある とか
若者が会社で半年後、定年退職の人が増えて人材不足になる とか
2価値基準
①で決めた 数字 に対して、その数字が多いのか少な...
2024年12月25日
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職場ストレスを消す知恵 (中経の文庫)
- 斎藤茂太
- 中経出版 / 2012年10月26日発売
- 本 / 本
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(心がしんどくなったので自己啓発本を読む②)
職場のストレスをどう回避するか?
以下、簡単なまとめ。
①ストレス全般について
・肌が弱い人がいるように、ストレスに弱い人もいる。
・心配と慎重は違う、心配したことは現実に起きない。根拠のない想像はしない。心配は1日1回まで。
・今できることはすぐやって、ストレスの種を減らす
・忙しいときほどダウンせず、忙しさがピークアウトするとダウンする。
・数年後の励みを持つことで壊れない。
・細かいことを言う人にどう対応するか?⇒「ハイ分かりました今後気を付けます」と言っておく。後は自分のペースで仕事すればいい。
・会社では本音の付き合いをしない。役を演じること。
・適当でいい。非真面目でいい。心を守るのが一番大事。
②上司との付き合い方について
以下の上司は要注意
1.任せすぎな上司(トラブル発生時こそ腕の見せ所なのに、任せてしまう上司)
2.言動を細かくチェックする上司(なぜこうやったのか、これじゃダメだろ。マイナスの指摘ばっかり)
3.その時の気分で命令を出す上司
「報告すべきことはしたから、あとは上司の仕事」と割り切ること。
自分にとって一番大事なのは「心の健康」を保ったまま完投すること。
職場ストレスを避ける知恵について、新たな視点を提供してもらった。
自分はストレス耐性がなく、「肌が弱い人」なんだということも分かり、ちょっと安心した。体質なんだろうなと。
そして、忙しさがピークアウトしたときこそダウンするのも身をもって体感した。でっかい仕事が終わって、緊張が一番ほぐれたタイミングで、スパッと休んでOFFにすればいいものを、無駄に緊張の糸を途切れさせず頑張ってしまったので、「無理!」って思ったタイミングでプッツリ切れてしまった。
ただ、「言うは易し、行うは難し」のように、知っていても実践は難しい部分は大いにあると思う。
心配と慎重が違うのは仰るとおりなんだけど、どこまでが心配で、どこまでが慎重なの?という線引きが難しすぎる。仕事は仕事として、あらゆるトラブルに備えて準備しないといけないのだから、慎重を期することは大事だと思う。
ただ、不安に駆られたときに、「これは心配か?慎重か?」という視点で考えることが、有効なのかもしれない。
今できることはすぐやって、ストレスの種を減らすことも、確かになんだけど、今できることが多すぎて、本当に大事な、やらなきゃいけないことが後手に回るのがよくあるんだよな。
「役を演じる」もそうなんだと思うけど、これも圧倒的に難しすぎる。
役を演じることにもエネルギーを使うし、その役がはがれたときのリスクがでかすぎると思うとどうすればいいのか分からない。
確かに自分の心を守るためには、相応のエネルギーを使わないといけないが、役を演じるエネルギーで壊れてしまいそうだな…。
適当でいい、というのも塩梅が難しいと思う。
あくまで、心にとめておきつつ、自分にできる範囲で実践するのがいいのかな。
【今回の学び】
・自分の心を守ることが最優先。自分は肌が弱いように心が弱いのだから、休むときに休む。
・不安に駆られたら、「心配?慎重?」
・できることはすぐやる、大きい仕事も細かく分割してできることからやる。
・「役を演じる」のはできる範囲でやる。
・上司の3類型は、ストレスがたまるタイプの3類型。まずは知っておいて、報告することを報告して終わり。
2024年12月25日
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なぜ私は怒れないのだろう
- 安藤俊介
- 産業編集センター / 2021年11月15日発売
- 本 / 本
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(心がしんどくなったので自己啓発本を読む①)
この本には、怒れない人に対する処方箋が書いてある。
以下、簡単なまとめ
①怒れないことへの弊害
・自分が我慢すればいいと思っている?
⇒怒れないことで大切なものを失う。
・怒っても意味ない、相手に伝わらないと思っている?
⇒それは、怒り方が下手、慣れていないだけ。慣れていこう。
・間違えたくないから怒りたくない?
⇒まずは、自己肯定感を持つことから始めよう。
②怒り方について
怒ることは、「リクエスト」である。
いつ、何を、どの程度、どうしてほしいか を具体的に伝えることが怒ることである。
③怒ることに自信が持てるようになる10の習慣
=要するに、自己肯定感を高める方法
1.マイナス感情をなかったことにしない
とにかくマイナス感情を言語化して書き留める。(見返す必要はない)
2.小さな幸せを見逃さない
1と同じ。とにかく書き留める。
3.小さな成功に気づく
1と同じ。とにかく書き留める。どんな成功も成功である。
4.ありがとうをたくさん言う 感謝されることに慣れる
5.承認する/承認されることに慣れる
結果、行動、思考、存在の順に認められるようになる
最初は小さな結果を認めることからスタートする。
6.誰かと比べない
7.大好きなモノを一つだけ見つける
8.付き合う人を選ぶ
それができれば苦労しないって。社会なんだから
9.マイナスをプラスに言い換える
無理にポジティブというよりかは、何個も見方を見つけるということ
10.今目の前のことに集中する
マインドフルネス的なこと。怒られてもやもやしたらマインドフルネス
④ケーススタディ
その場で、どう怒ればいいかが分からない
⇒その場では納得しない旨だけ伝えておこう。その後なるべく早く考えをまとめて伝える。
怒れない人に対して、怒らないことに対する弊害と、怒るとはどういうことか、怒れるようになるためにはどうすればいいかという視点を提供してくれる本だった。
個人的には、怒れなさ過ぎて=自分の主張をはっきりと通せなさ過ぎて心を壊してしまったマンなのでこうした視点を提供してくれたことはありがたい。
(「怒れよ!」と怒られることがままある、意味わからない状況に置かれている。)
今まで思っていた、「怒る」のイメージは、声を荒らげて、相手を委縮させ、自分の主張をねじ込む、ということだと思っていた。
だから、まさに自分は、そんなことできないし、そんな面倒なことをするんだったら波風立てない方がいいよな、という考えを持っていた。
ただ、「怒らないと自分の大切なものを失うことになる」という視点を知り、守るための怒りこそ大事なのだと感じた。守らなさ過ぎて、自分の心が壊れてしまったのがまさに今の状況。
そして、「怒り」というのは、「リクエスト」するという視点を知り、怒りに対するハードルが下がった。自分が、何をしてほしいか、明に伝えることで、「怒り」になるのだ、というのは、自分にない視点だった。
また、自分は「怒り」よりも先に「悲しみ」が来ることがすごく多い。というよりも、自分が悪い、と思ってしまうことがある。だとしたら、それを伝えることも方法の一つなのだろう。悲しいです、怒っていますということを伝えることである。
さらに、自分は、そもそもその場で「怒り」あるいは「悲しみ」の感情を覚えてもその場ですぐその感情や論理を言葉にすることができない、という厄介な性質を持っている。だから泣き寝入りしてばっかりである。そうした場合は、まず、「怒り」「悲しみ」が...
2024年12月25日
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働く人のための感情資本論 パワハラ・メンタルヘルス・ライフハックの社会学
- 山田陽子
- 青土社 / 2019年10月24日発売
- 本 / 本
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働く人のための感情資本論
働く中での感情管理やパワハラ、ライフハックについて、社会学的に考察した本。
全体的に、仕事の中での実感を言語化しているなと感じた。
それと同時に、私がもっと言語化したいのは、この先なんだよな、と思った。
というのも、職場では感情は資本とされ、その感情管理を行うことで、「有能」とみなされる、と言う趣旨のことがこの本では書かれている。本書の言葉を使うと、「感情資本主義社会では感情コントロールが自己感覚や能力感の中心に位置するとみなされるゆえ、自らの感情をコントロールすること、他者の感情について共感的に理解しつつ、それに巻き込まれない態度を習得することが精神的にも社会的にも強きもの、社会的優越の証とみなされる。自分の感情であろうと他者の感情であろうと、感情をきめ細やかに感じたりする一方で決してそれに没入せず、一歩引いた態度でコントロールすること、手続きに則って発話することが他者と状況を操作することにつながり、ひいては他者と状況を支配する権力になりうる。そしてこのような能力や権力を持っているか否かが出世や昇進、富や人脈の拡大、社会階層の異動に大きく影響するという意味で、感情は「資本」たりうる。」
それは実感としてわかるし、言語化された内容も、とても適切だと思う。ただ私が言語化したかったのは、感情が資本として扱われていることの、やるせなさだと思う。資本主義は、全ての物事を商品化し、それが不幸を招いている。それに加えて、感情すらも資本にしてしまうこの資本主義って、本当に幸せなの?という疑問。
「資本主義リアリズム」という本では、「ポストフォーディズムでは、コミュニケーションが仕事となり、労働と生活は不可分となる。これは人々の精神を追い詰める。家族は仕事に追われ崩壊しながらも、その精神的安寧の場としての役割はより重要なものとなり、矛盾が生じている。精神障害は資本主義リアリズムの社会の中では必然なのだ。」といった趣旨のことが書かれている、そんな状況で、感情を資本として取り扱うことって、必然的に、不幸しか招かないよなと思う。資本として割り切って扱うならいいけど、感情まで切り売りしなくちゃいけないの?という感じ。
そして、そうなった起因を、本書では心理学者が1930年代に経営に心理学の手法を持ち込んだことを発端としているが、多分それだけじゃないと思う。もっと何か、深淵的な何かがあるのではないか(うまく言語化できないけど)と感じてしまう。
その他、EAPという存在は知らなかったし、産業上のメンタルヘルスをアウトソーシングすることも、一つの経営手法ということは知らなかったし、同時にここでも、これすらも資本化されてしまうのか、という感覚。資本主義社会では、感情管理も、それに関するケアも全て商品化されていく…。
メンタルヘルスをめぐる自殺は、パワーハラスメントの有無が裁判上の問題になるのではなく、精神疾患の有無が問題となり、その論理を組み立てていく中で、遺族の自殺をめぐる語りも変わっていく。ということは、純粋に知らなかったので、興味深かった。
ライフハックをめぐる議論では、「産業社会においては、資本家や事業主が時間の管理者であったが、情報社会では、個人が時間を管理する裁量が増える。その中で現場の人々がライフハックを使うようになる。」という視点は、興味深かった。「勤勉であることは基本的前提として、時間を効率よく使うこと、段取りよく仕事をこなすこと、感情のコントロールができること、自分の機嫌は自分で取れること、仲間とうまくやること、それらによって自分を成長させること、充実感を感じることまでもが、時間管理の範囲に含まれている。」のである。
セカンド・シフト(第二の勤務)に関わる議論は、これからきっとその立場になるであろう自分にとって、冷...
2025年1月31日
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資本主義リアリズム
- マーク・フィッシャー
- 堀之内出版 / 2018年2月20日発売
- 本 / 本
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(まとめ)
資本主義リアリズムとは、ネオリベラルな資本主義が唯一の持続可能な政治経済システムであると了解し、その地平の彼方を求める、想像することさえもが不可能になってしまった、つまるところは「この道しかない」ということが謎の常識と化してしまった世界。
そして、今なされている「反資本主義運動」は、その資本主義から抜け出すことではなくなっている。資本主義の中に架空の悪役のようなもの(貧困、存在しない資本家)をつくり、それを批判することが目的となっており、その抗議運動は逆に、資本主義リアリズムを強化する。
では、その資本主義リアリズムから抜け出すためにはどうすればいいのか?それが、資本主義の機能不全を政治問題化すること。(目に見える現実の裂け目や辻褄の合わないリアルに注目する。)その機能不全は3つあり、環境問題、精神保健、官僚主義。
ただ、資本主義の非道な行いに対してモラルある行いで対抗するというリベラル共産主義(単純な環境保護活動や、ライブエイドのような貧困をなくすチャリティー)は、階級闘争を再構築するようなものであり、逆に資本主義を確固たるものとしてしまう。
精神保健について。ポストフォーディズムでは、コミュニケーションが仕事となり、労働と生活は不可分となる。これは人々の精神を追い詰める。家族は仕事に追われ崩壊しながらも、その精神的安寧の場としての役割はより重要なものとなり、矛盾が生じている。精神障害は資本主義リアリズムの社会の中では必然なのだ。
官僚主義について。ポストフォーディズム社会とは相容れないように思えるが、実は官僚主義が蔓延っている。雇用の流動性増加は、労働者の裁量の増加よりも、労働者の監視を増加させることにつながった。結果的には、お役所主義的に、仕事の公式的な目標を達成することではなく、それらしき表象を生み出して操作していくことが目的化する。「地方自治体が提供するサービスの向上よりも、それらのサービスがきちんと表象されていることの保証により多くの労力が費やされる」また、ジジェクは「大文字の他者」という概念を提唱した。あらゆる社会的分野が前提とする集団的なフィクション、または象徴的な構造のこと。大文字の他者が知らないという幻想を維持することが不可能になった場合、社会構造は崩壊する。そして、後期資本主義社会では、大文字の他者が思っていることを示す、決定的な公式見解を示す最高権威がいない。こうした曖昧さが拡大していく。そして、監査は内在化すると同時に、お役所仕事と広報活動は融合する。書類が広報的な役割を期待される。監査が簡略化したとて、監査に伴うストレスが楽になるわけではない。ストレスが発生するのは、監査そのものではなく、監査を見越してこなさなければならない余分で煩雑な書類仕事と取り繕い作業である。
そして、資本主義と記憶というものも、注目すべき観点。商品の生産と廃棄、社会的フィクションの創造が絶え間なく繰り返される社会では、記憶が保たれない、常に忘却を繰り返す社会である。こうした記憶障害的な振る舞いも資本主義の異常性を示している。
そして改めて心得ておきたいのが、こうした資本主義を「陰で操っている最高権威」のようなものは存在しないということ。何か問題が起こったときに、政府または不道徳な個人に焦点を当てることは、問題から目を逸らす行為でしかない、全体的な統治者など存在しない。政府そのものも一種の商品やサービスとして提示されているのにも関わらず、我々はあたかも市民のようにしか我々を想像できない。企業組織が万事裏で糸を操るのではない。あくまで、資本という「主体ならざる原因」を表現しているに過ぎない。
そしてメディアはいま、パターナリスティックであることを辞めてしまった。その結果何が起こっているかと言えば、同調的なものだけが集まる文化が形成さ...
2024年10月26日
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納税、のち、ヘラクレスメス のべつ考える日々
- 品田遊
- 朝日新聞出版 / 2024年9月20日発売
- 本 / 本
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オモコロで有名な、ダヴィンチ恐山のエッセイ集。
この文体、この着眼点が面白いな、と思わされた。寝る前にちまちま読むのがちょうど良い。
いくつか心に止まったエッセイを書き留める。
p20 「ハンバーグ」
休みをやり過ごすための「さわやか」。確かに、休みの日に、どこか出かけたいけどどこでもいい気分の時に、一日潰せる場所があったらいいよね。
p32「自販機」
自販機に押したボタンと違うやつが入っていること、これめっちゃある。わかる。。
p47「谷」
「お前らが悪い」と責任を押し付けるのではなく、いつか「お前ら」を出し抜いてやる、という捻くれ方。恐山さんってこんな捻くれ方が好みなんだ。意外ともっと斜に構えているもんだと思っていた。
p98「熊」
確かにこのくだり何回擦るんだよ。と思う。なんか、盾で人を殴るような炎上のやり取りって、Twitterで何回やられてるんだろうな。。だからもう見てないんだけど。辟易する。。
p108「脱毛」
この文章全体に漂う、残念感がなんか好きなんだよな。。
p117「恥」
無印良品、マジで小さい頃全く同じことを考えていました。
p127「葬儀」
このばらばらと思ったことを書き散らかす感じが好き。いちいちこの部分にこう思って、こうツッコミをいれる?という感じがいい。
p141「AI」
AIは意識を持つか、という問題に対して、そもそも意識って何?という問題。確かにそうだよなと。
p167「奇跡」
この本のタイトルどおりのエピソードだが、これも好き。文章が散らばっている感じが。
p200「努力」
AIに勝てるのは、「努力」という意外にアナログな方法。でも実際そうなんだよな、とも思う。アウトプットが同じなら、その過程が評価されてもいいんじゃないのかな。
p233「報連相」
瀉血療法的文章と言われているが、この文体もすき。ネガティブさを曝け出しながらもユーモアが顔を出している感じ。こんな感じでネガティブさを吐き出すのもいいな。
p296対談パート
以下は心に残った文章
品田「AIは結局誰にでもなれるってことが弱点なんじゃないかと思うんですよね。「こちとらこう生きるしかないんだ」という覚悟の迫力が人間にはある。そろそろ欠かさず日記を書いて2000日を超えるんですけれど、その迫力ってあると思うんですよね。」古賀「〜続けるとでてくる迫力は、誰にでも出せるきらめき。」
2024年11月10日
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裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち (atプラス叢書)
- 上間陽子
- 太田出版 / 2017年1月31日発売
- 本 / 本
- 購入する
沖縄で、家庭の問題(DVなど)で生活の問題を抱えている女性の生活史調査の本。筆者自身、そうした人々を支援する立場にあるとのことなので、研究書というよりは、ある意味ノンフィクション小説に近い感覚を抱いた。
以前、読んだ岸雅彦さんの本でこの本が挙げられていたので読んでみたが、ディティールがすごい。
ディティールとは、読者との間で理解を再現しようとする試みであるが、細かい組み立てが非常に面白く、印象に残る。
私自身、知らない世界であり、そこも含めて印象に残った。
例えば、「カバンにドレスを詰め込んで」という章では、DVを受け、障害のある子を産んだシングルマザーの話だが、生まれた当時はカバンに夜職のドレスを詰め込んで看護学校に通いながら夜職でお金を稼ぎ、今では看護師になりカバンに我が子の服を詰め込んで施設を見舞いながら、看護師としてしっかり働けているという対比。
「新しい柔軟剤 新しい家族」という章では、15歳の時に妊娠し、相手からも親からも見捨てられ1人で子供を産んだ女の子が、東京からきた彫師の男の子とであい順調な生活をはぐくみ妊娠し、新しい子を産むまで。彫師が出産日に警察に捕まるなどあったが、無事新しい家族が生まれる。今では天気によって赤ちゃんの衣服の柔軟剤を変えています、というディティールを描いている。
大文字の概念枠組みで彼女たちの人生を分析するということではなく、彼女たちの見てきた景色や時間に寄り添いながら、彼女たちの人生をできるだけまとまった「生活史」の形式で残すという目的が果たされている。
勿論、この本に書かれている事例は、「綺麗にまとめられすぎている」という批判もあるかもしれない。(事例は勿論悲惨なのだが、文章的にというか、このディティール自体が綺麗に見えすぎるのかもしれない。)事実私もそう思った部分はあった。ただ、この本の目的は、岸さんの言葉を借りるとすると、「私たちが、沖縄の少女に出会わされてしまう」、ことが目的なのだと考える。意識的に関わろうとしなければ関わらない世界に対して、こうしたディティールをとおすことで、確かにその世界が存在するといった印象を強く残された時点で、この本の目的は達成されていると思う。
2024年12月25日
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脱成長 (文庫クセジュ)
- セルジュ・ラトゥーシュ
- 白水社 / 2020年11月9日発売
- 本 / 本
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脱成長とは、何らかの選択肢を示しているのではない。「支配的な生産力至上主義に変わる様々なオルタナティブの母胎」である。
ということらしいが、それでもこの本を通読しても、資本主義の終わりを想像する方が容易い、と感じてしまった。少なくとも、私にはそのオルタナティブ足り得る考え方なのだろうか、と思ってしまった。なんとなく、ここに書かれていることが、綺麗事のように感じてしまい、一層この生産力至上主義社会への絶望が増した気がする。(この本を、本当に理解できていないだけなのかもしれないが)
おそらく筆者は、「脱成長」という言葉が一人歩きして歪んだ解釈をされているのを正したいのだと思うし、この生産力至上主義社会の矛盾を露わにしたいのだと思う。
脱成長は、決して「マイナス成長」を意図しているわけではないし、なんらかの権力を握ろうとする運動でもない(政党を組んで政権を取ろうとするものではない)、文明の後退を意図しているわけではないし、人口減少を意図しているものでもない、雇用の減少を意図するものでもない。まず、我々の想念を「脱植民地化」するものである。つまり、成長至上主義という宗教から脱することが、まず「脱成長」の目的なのだと思う。そして筆者は、その「脱成長」に基づいた、地域のことは地域で行う、ボトムアップ型のような、「再ローカリゼーション」に期待を寄せている。そこまではいいが、筆者は、「脱成長は人間の創意工夫に賭けてもいる。人間の創意工夫は、しかるべき時が来たならば、必ずや解決策を発見するだろう。」とまで述べている。この発言は、あまりにも希望がないし、あまりにも無責任だと感じてしまった。結局のところ、私たちは、この生産至上主義社会の中で、「脱成長」という「宗教」を抱えて生きるしかないのだろうか。
生産至上主義社会の矛盾は、嫌というほど分かる。生産にの伴うコストは、自然破壊はもちろんだし、「現代的生活(労働条件、交通、環境など)が引き起こすストレスの増加に耐えるために、市民は薬を必要とし、それによって経済はさらに成長する。」「持続可能な開発」と言う言葉も欺瞞に過ぎない。そもそも地球資源は有限であり、持続可能たりえない。それは分かる。この本を通読したが、資本主義の欺瞞に対する言及が多く、肝心の「脱成長」を理解しきれなかったのかもしれない。
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マンゴーと手榴弾 生活史の理論
- 岸政彦
- 勁草書房 / 2018年10月30日発売
- 本 / 本
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社会学における「質的調査」についての論考集。
筆者は生活史調査を専門にしている。生活史調査とは、個人の語りに立脚した、総合的な社会調査。
こうした質的調査が、どうあるべきか、どう正しさを保証すべきか、何のためにあるのか。
ポイントは以下
・質的調査はその場限りのものではないということ。
→「語り」が始まるのは、語るための関係構築からの段階かもしれないし、インタビューのアポイントを取るときからかもしれない、あるいは語る人がその体験をしたときからかもしれない。
・「語り」の鉤括弧を外すこと。
→「語り」には誤りがあることもある。そうした誤りに対してどう対応するか?ある研究者は「鉤括弧を外さない」ことを提唱している。つまり、「何を語ったか」ではなくて、「いかに語ったか」を重視する、一般化して語ることを禁じている。しかし筆者はそれとは反対の立場である。事実へと至る回路を閉ざしてはいけない、と主張している。そもそも事実というものも、社会的に構築されるものなのであるから。
・質的調査のディティールは、読者との間で「理解」を再現しようとする試みである。
→ ホームレスが寄る「ブックオフ」、部落差別を受け、結婚相手の親に食べてもらえなかったプリン、DVの彼氏の家に行く時に父親から渡されたクワガタ、こうしたディティールがあることで、言葉には表せない理解が再現される。
・量的調査と質的調査は同じくらい正しい
→質的調査は、「興味深いが曖昧」とみなされてしまう。一方で量的調査は「つまらないけど確か」とみなされる。しかし実際は、質的調査も常に公共空間における相互作用に晒され「介入」され、常に何らかの修正がかかる。逆に量的調査は、データを収集する段階で、どこから回答を集めるか、回答の取り扱いをどうするか、という点で「ブラックボックス」がある。それを考えると、量的調査と質的調査は同じくらい正しいのである。
・「人間に関する理論」について
→ 「人間に関する理論」とは何か。それは、そのような状況であればそのような行為をおこなうことも無理はない。ということの「理解」の集まりである。あるいは、そのような状況でなされたそのような行為にどれほどの責任があるだろうか、ということを考え直させるような「理解」の集まり。そしてその理解を作り上げる作業に終わりはない。常にそうした理解を積み上げ続けるのである。(タバコのエピソード→沖縄戦の中、逃げ延びながらタバコを自作する。過酷な状況でもひとは喜びや楽しみを見つける
ココアのエピソード→不良の中学生のグループにいた少女が、半ば強制的に犯されたされた不良仲間にシャワーと温かいココアを提供する。)
感想としては、興味深かった。研究者ではないので、この本から得られた知識をどう活かせばいいのかはわからないが。
質的調査と量的調査の違いについては、目から鱗の感じ。確かに質的調査、本当に正しいの?と思っていたが、量的調査にもブラックボックスはある。データを示されて、統計的にこう言えるから、正しい、と言われると、確かにそうだな、と思ってしまう。しかし、データの取り方一つとっても、そこには人間の意思が介在する。特に、筆者が部落へのアンケート調査をした際に、もらった回答をどう扱うか(例えば、なぜこの部落に来たか、と言うアンケートに対して、いくつか選択肢を示していたが、そこに当てはまらない回答をどう扱うか)と言う議論を、研究期間の間し続けていた、と言う話を読み、タフだな…と思ったし、まあでも確かに、社会学におけるデータって、必ずしも定量的に取れる物でもないのだよな、と改めて実感した。そしてそのうえで、量的調査が正しくないというわけではない、と言うことも心に留めておきたい。
あとは、この筆者の「自己責任論」に対する立場も心に留めておきたい。悪...
2024年10月26日