アリストテレス 心とは何か (講談社学術文庫)

  • 講談社 (1999年2月10日発売)
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 このところ、いくつかの新刊書でアリストテレスの名前を目にすることがなぜか続く。昨年「アリストテレス・生物学の創造(アルマン・マリー・ルノワ著、みすず書房刊)」を読んだのがアリストテレスに接する最初の経験だったのだが、その後立て続けに偶然手に取った書籍で彼への言及を見るにつけ、これは一度は原典に当たりたいと思い手に取ったのが本書。訳者によれば本書を単独で理解するのは至難の技だというが、事前の「アリストテレス入門(山口義久著、ちくま書房刊)」での予習と、極めて簡明な訳者の解説のお陰で読了することができた。

 しかしそうは言っても、読み進めるのに相当に困難を感じたことは告白しないわけにはいかない。本書は、先人や同時代人の知見や学説を概観する第1巻、生命の原因としての「心」と諸感覚の機能について論じる第2巻、理性や思惟、心的表象などを扱う第3巻からなるが、まず第1巻がとんでもなく読みづらい。デモクリトスやエンペドクレス、タレスなど比較的有名どころはともかく、列挙される当時の学説や主張が今日の常識とかけ離れてすぎており、ほとんど戯言としか読めないのだ。訳者はアリストテレスが「研究の対象」と「研究の方法論」を同時に論じることが難解さの原因だとしているが、このことを頭に入れても困難を感じた。また第3巻のアリストテレスの語用も相当に独特であり、巻末の訳者解説を読まねば到底理解できない代物だった。

 しかし、おそらくは本論と言っても良い第2巻は比較的スムーズに読み進めることができた。生命の実体を、質料と形相という不可分ながら全く異なるアスペクトに分離し、生物の感覚(機能)が「心」=形相の第一現実態を原因として生ずること、すなわち心が生命活動(生殖や個体維持)の目的であり原因となる一種の「能力」であることを、自ら観察した経験的事実をもとに喝破したアリストテレスの慧眼。遺伝子やDNAなど想像すらできない時代に、「情報」という概念の萌芽すら感じられる「形相」を生命の実体から分離して扱うという着想にも驚かされる。触覚や視覚のメカニズムの記述も現代の知識に照らしても違和感が少なく、陸(ろく)な観察器具もない2,400年前という時代を考えるとほとんど奇蹟だ。

 訳者は、可能態と現実態(注:本書では別の用語が割り当てられている)の術語化こそがアリストテレスの科学に対する功績だとしている。この概念の導入により「心」だけでなく「理性(思惟すべき対象を思惟する能力)」の説明が容易となるのだが、「可能態」という、原因や能力のポテンシャルを秘めた仮想的なアイディアに、観念的な概念分析ではなく実地のフィールドワークにより辿り着いたという明晰さが、今日的にも色あせることないアリストテレスの凄さだと思う。

 現代の科学哲学や脳科学は「心」の現れを脳に求めることを半ば定式化している。物理的に測定可能な脳は、心の座として定立させやすい対象なのだ。一方、アリストテレスの時代には無論身体のシグナルを測定する信頼に足る手段はなく、そもそも脳は思考の場とはとらえられていなかった。だからこそ、心は先験的に措定すべき対象ではなく、多種にわたる生物の多様な機能の説明変数として経験的に探求すべき対象だったのだろう。アリストテレスのこの現在からみた逆方向性は、これからも歩を緩めることはないだろう科学的方法論に対する牽制として、これからも見直されていくのではないだろうか。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2020年4月12日
読了日 : 2020年4月12日
本棚登録日 : 2020年4月12日

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