
映画『地獄の黙示録』の原案『闇の奥』が
あまりにも有名なコンラッド(1857-1924)の短編集。
20世紀初頭に発表された6編は、いずれも
人の心の襞に潜むものを洗い出すかのようなストーリーであり、
また、後年の長編への布石とも受け取れる
設定も存在する。
【収録作】
エイミー・フォスター(Amy Foster,1901)
ガスパール・ルイス(Gaspar Ruiz,1906)
無政府主義者(An Anarchist,1906)
密告者(The Informer,1906)
伯爵(Il Conde,1908)
武人の魂(The Warrior's Soul,1917)
鋭く胸に刺さったり、
もやっとした謎が残ったりした三編について触れておく。
■エイミー・フォスター
英国の僻村、イーストベイ海岸のコールブルックに住み着いて
開業医となったケネディ医師が「私」に語った悲しい逸話。
医師が診察した子供の母であるエイミー・フォスターと、
彼女の亡夫について――なのだが、
実はこの夫ヤンコー・グーラルが主人公。
漂着したよそ者であるが故に冷遇され続け、
心を通わせたはずの妻とも真に理解し合えなかった男の
悲劇の物語だが、
妻エイミーの名がタイトルになっている点が興味深い。
定住しながら同化を拒んで異質性を保ち続けた異邦人を
最後まで受け入れなかったコミュニティの代表として、
作者は彼女の名を題名にしたのだろうか。
■ガスパール・ルイス
19世紀初頭、スペインからの独立を目指す
革命戦争下のチリにおいて、
解放者ホセ・デ=サン・マルティンが組織・指揮した
共和派軍で華々しい軍歴を築き上げたサンティエラ将軍の
若かりし中尉時代の記憶、すなわち、
王党派軍の捕虜となり、否応なく寝返らざるを得なかった
屈強な兵士ガスパール・ルイスの物語。
奇蹟的に銃殺を免れて逃亡したガスパールの戦いと愛。
没落した金満家スペイン人の娘エルミニアは、
大地震の混乱から自分を救ったガスパールを信頼し、
彼の進撃の支えとなった。
エルミニアは男装してガスパールに寄り添い、
彼に味方するインディオたちの尊崇を集め、
やがて娘を産んだ――。
*
血沸き肉躍る冒険活劇にして
ところどころご都合主義的な展開になる点は、
さながらラテンアメリカ文学か、はたまた
レオ・ペルッツの歴史小説か――といった印象。
オチも予想どおり、いかにもな締め方なのだが、
そのベタさに心を奪われた(笑)。
■伯爵
原題はイタリア語で伯爵を表すなら Il Conte のはずだが、
コンラッド本人のケアレスミスがそのままになっている。
語り手がナポリで出会った
上品で人のいい老伯爵が見舞われた災難について。
背後にある重要な事柄をわざとうやむやにしたかのような、
奥歯に物が挟まった風な叙述にモヤモヤしていたが、
少し検索してみたところ、
私と同じ感懐を持った人のレビューを発見してホッとした。
訳者の解説もアッサリしたもので、
その点には触れられていないが、
実はクィアな物語だろうと考えられる。
アンソロジー『クィア短編小説集』に収録されても
おかしくないと思うのだが……。
https://booklog.jp/users/fukagawanatsumi/archives/1/458276844X
持病を悪化させないために温暖な地域を選んで
健やかに過ごしてきたにもかかわらず、
恐怖に駆られてその地を離れねばならなかった
伯爵の身に起きたこととは一体何だったのか。
伯爵の回想を額面どおり受け取っても構わないのだが、
彼がその晩の出来事をありのまま「私」に語ったとは限らず、
選ばれた言葉は性的な事柄の暗喩だったと捉え得る。
夜の公園のベンチに座り込んだ青年に
気分が悪いのかと声をかけたら
相手は刃物を持った強盗だったというのが
伯爵の言い分なのだが、
金銭の受け渡しがあった、また、
伯爵は死よりも醜聞を怖れている――と言われれば、
なるほどと得心するしかない。
- レビュー投稿日
- 2021年1月27日
- 読了日
- 2021年1月27日
- 本棚登録日
- 2020年11月26日
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