――少年という言葉が似合う谷川先生が、老いを感じる瞬間を切り取った本。そこに在るものは美しさあるいは真っ白な灰、あるいは死への準備と許容と深み。
上記は、つい先刻私が「読書メーター」さんのほうに投稿したコメントだ。私は「読書メーター」に読んだ本すべてを記録し、コメント機能は備忘録のようにして活用している。
こちらに登録する本は、その中でも感銘を受けた本だ。少し判断は甘くしている。けれども、少しでも感銘を受けたら、その時の興奮を残しておきたいと考えて。
『私』は間違いなく、たくさんの感銘を受けた本である。本を見た瞬間にほれた。私は一目ぼれをしたことがないのだが、少なくとも本ではありえる。今回は多分、表紙や背表紙にたくさん文字が書かれていたからほれたのだと思う。図書館で谷川俊太郎のあたりをうろうろしていたら、まず『私』という簡潔な題名が目に飛びこんできた。少し手にとってみたら、表紙に印刷されている、「書き継ぐ」の一節を目が勝手に追った。
意味よりも深い至福をもとめ
私は詩を書き継ぐしかない
それに心を射抜かれた。
時は移る。
読み終えてから、溜め息と共に本を閉じた。すると今度は背表紙に印刷された一節が目に焼きついた。
一語の深度を辞書は計れない
知性の浅瀬に語彙が散らばっている
すぐさま本を再度開き、それを探してみた。見つけた。「二×十」私は既にその詩を書き写していた。それなのに取りこぼしていた一節があった。
一度の深度を辞書は計れない
知性の浅瀬に語彙が散らばっている
- 感想投稿日 : 2009年12月15日
- 読了日 : 2009年12月20日
- 本棚登録日 : 2009年12月20日
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