「ブッダ最後の旅--大パリニッバーナ経」(岩波文庫、中村元訳)という本がある。80歳のブッダが、ラージャグリハ(王舎城)を出発してクシナガラで入滅(死去)するまでの旅路を描いた経典の口語訳だ。
本書「仏教への旅 インド編」上下は、著者の五木寛之がブッダと同じ行程を旅しながら思いを書きつづった作品で、「ブッダ最後の旅」からの引用がたびたび登場する。そこに描かれているのは、物静かで達観したような「教えを垂れる聖者」ではなく、痛みや苦しみ、人としての心の温かさを感じられる人間ブッダだ。
ブッダや弟子たちが、教えを求める人物から食事に招かれた場面。ブッダは、食卓に出されたキノコを弟子には食べさせずに1人で全部食べ、その後、こっそりお腹の激痛に耐えたという。食べたらお腹を壊す毒キノコであることを知りながら、食事に招いてくれた人や弟子への気遣いで、そうしたのだ。
また、カーストの最下層に属する娼婦から、やはり教えを請われて約束した後、位の高い人たちからも同じ日に招かれたが、ブッダは「先に約束があるから」と断ったという。入滅の際には、号泣する弟子たちを「泣くな、悲しむな」と励ました。
こうしたエピソードの中には、現代的な感覚からは今ひとつピンとこない部分もあるが、人を思いやり、約束を守るという当たり前の感覚を大切にする姿は十分に読みとれる。
著者が書いているように、ブッダは死後に神格化され、かえって人間的な側面が消されてしまっているのかもしれない。本書を通じ、実際にブッダが歩いた道をたどることで、経典の中の聖者ではなく、歴史上の人物としての一面に触れることが出来る。
一方、現代のインドの仏教再興運動について書かれている部分も興味深い。
インド独立運動で有名なガンジーは、堅固な身分差別であるカースト制度を強く支持する人物だった。それに反発したカースト最下層のアンベードカル博士は、数十万人の支持者とともに仏教に改宗し、再興運動を始めた。博士は若くして死去し、社会的・政治的な活動を嫌う仏教者からは異端視されるなど、運動は必ずしも活発ではないが、インド国籍を取得した日本人僧侶の佐々井秀嶺師が博士の後を継ぎ、尽力しているのだそうだ。
カースト制度の差別の激しさには、改めて驚かされた。国際社会への仲間入りを果たすためでもあったのだろう、インドは法律的にはカースト制度による差別はなくなった。博士も大臣にまでなった。だが、差別の根は深い。博士が死去した際は、カーストの最下層であることを理由に、火葬場から遺体を下層することを拒否されたという。
生まれながらの身分差別を奨励するヒンドゥー教なんかやめて、平等を説く仏教にみんな改宗すればいいのに。。。。。ついそう考えてしまうが、そんなに単純に解決するはずもない。とはいっても、カースト制度を「信教の自由」という観点から肯定するのは、どうしても抵抗がある。
本書では触れられていないが、インドは隣国パキスタンと争う核保有国という側面もある。先日は、インドの多くの子供たちが、親たちから性的虐待を受けているという調査結果の報道もあった。
脳天気に「エキゾチックなアジア」と呼ぶには、あまりにも多くの深刻な問題を抱えている国だ。
宗教としての仏教の再興とまではいかなくても、不殺生や平等というインドが生んだ尊い教えを取り戻すべきじゃないかと思う。
(2007年4月12日読了)
- 感想投稿日 : 2013年11月9日
- 読了日 : 2007年4月12日
- 本棚登録日 : 2007年4月12日
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