以前から読みたくてならなかった本。
この度文庫での再版となり、めでたく入手。
今年の読み終わりがこの本でよかった。
さて、本書は、日本の近代に、漢文的なるものが果たした役割を明晰に描き出している。
そのアウトラインを、ここで再現してみようか。
それほど明晰に図式が描けるのだ。
漢詩漢文に対して、朱子学の官学化に伴い、漢文訓読文が広がる素地が準備される。
規範的な訓読法が全国の学習者に広まっていくからだ。
この訓読文は、やがて明治新政府の法律や政治のことば、西洋から入ってくる新しい学問を翻訳することばとなる。
訓読文が公的なもの、実利性と結びつくようになった反動で、漢詩文が閑雅や感傷の器として、文人的な価値観を帯びたものになる。
鴎外の「舞姫」が、漢文訓読体でなく、雅文体で書かれたのは、こうした運動と軌を一にする、という説明に深く納得。
漢文訓読体は脱漢文脈、言文一致体は反漢文。
荷風や漱石は西洋を梃子に、漢文脈の外へ出て、それと格闘した作家。一方、一世代後の谷崎にとっては、漢文脈は素材として断片化できるものになっていた―このあたりは本当に世代論のようには語れないところなので、もやっとした感じが残る。
漢文脈から日本近代文学を見るとどうなるのか、もっと本格的に語ってほしい。
読書状況:読み終わった
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- 感想投稿日 : 2016年12月30日
- 読了日 : 2016年12月30日
- 本棚登録日 : 2016年12月30日
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