「自殺社会」から「生き心地の良い社会」へ (講談社文庫)

  • 講談社 (2010年3月12日発売)
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今週おすすめする一冊は、『「自殺社会」から「生き心地の良い社会」へ』。文化人類学者の上田紀行氏と、NPO法人自殺対策支援センター「ライフリンク」の代表・清水康之氏が自殺について語り合った対話の記録です。

日本では、1997年の金融危機の直後に自殺者が急増し、初めて年間3万人を超えました。以来12年間、毎年3万人以上の方が自ら命を断っています。一日に直せば80人以上。数字だけではなかなか実感がわきませんが、東京マラソンの出場者数がちょうど3万人と言われると、その数字がとたんに重みをもって迫ってきます。

でも、自殺について大っぴらに語られることはありません。自殺は忌むべきものであり、語られることのはばかられるものだからです。

自殺は、多くの場合、自殺者個人の問題として語られがちです。そして、多くの場合、それはその人の「弱さ」や「敗北」という文脈で語られてしまう。しかし、それがどれだけ自殺者の遺族達を傷つけることになるのか。身近な人の自殺を防げなかったことに対する罪悪感に加え、「自殺するような弱い人」「自殺者を出すような呪われた家族」という周囲の蔑視が遺族達を苛み続けるのです。自殺は決して終りではなく、遺族にとっては終りのない悲劇の始まりなのだということ。私達はそのことにあまりに無自覚です。

自殺を「弱さ」や「敗北」として見てしまうのは、結局、人を実績やパフォーマンス、つまり、何ができるか《doing》でしか見ていないからでしょう。しかし、《doing》で見ている限り、人は取り替え可能です。極端な話、ロボットやコンピュータでもいい。そこに人としての「かけがえのなさ」は発生しようがないのです。

どこまで行っても自らの「かけがえのなさ」を実感できることのない社会。それは、誰もがいつ自殺してもおかしくない過酷な社会です。日本は既にそういう「生きにくい」社会になってしまっている。それをもっと「生き心地の良い社会」にするには、自らの「かけがえのなさ」を実感でき、相手にも実感させてあげられるような関係、つまり《doing》の前に、その人の存在それ自体《being》を認め合えるような関係とそれを支える社会の仕組みを築くことが大事だと著者達は述べます。

著者の一人・清水氏は、自殺の番組を作ったことをきっかけにNHKを辞め、自殺対策支援のためのNPOを立ち上げた方です。この人の想いの強さと実践のあり方が素晴らしい。まだ30代ですが、どうすれば自殺に追い込む前に救うことができるかを考え抜き、効果的な打ち手のネットワークを張り巡らせていく。その周到さに、実践するとはこういうことなのかと目を見開かされる思いがしました。

自殺はもはや他人事ではありません。そして、自殺について考えることは自らのあり方をふり返るいいきっかけを与えてくれます。だからこそ、できるだけ多くの方に読んで頂きたい一冊です。

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▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)

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自殺は、「悲劇の終り」であって、その人の人生の結末として自殺がある。でも、一方では、「自殺から始まる苦しみや悲しみ」もあって、その場合の苦しみや悲しみを背負うのは、遺された家族なんです(清水)

「自殺というのは弱い人間がすることだ」
「人生から逃げたんだ」
そういうマイナスイメージでもって遺族に接してくる。子どもたちは敏感に感じるんですよね。親戚や近所や学校や、社会全体の眼差しを(清水)

自殺問題を考えることは、今生きている僕たちにとっても、まさに他人事ではないリアルな問題であって、僕たち自身が生きていて「心地よい」と感じる社会を、今後築いていくための作業でもあると思っています(清水)

「この社会全体が、いつかは底上げされて豊かになっていくんだ」という大きな流れすらも感じることができない中で、それでもすべては「自己責任だ」というふうに言われて個的な戦いを永遠に続けさせられていく。普通の人間にとってはちょっとありえないような負荷のかかりようです(上田)

今、起きているのは、適応できない人たちが追い込まれて命まで奪われて不幸になっていくのはもとより、一見適応しているように見える人たちまでもが、実はどこまで幸せを実感できているのかわからないということです。だとしたら、いったいこの社会の中で誰が得をしているんだと、大声で聞きたくなるわけです(清水)

社会から「誰でもいい」と扱われてきた結果、「誰でもいい」から殺したかった、となる。つまりそれは、現代日本のシステム化された社会の中で、それぞれの「かけがえのなさ」を実感できていないということですよね(清水)

「なぜ自殺者がこれだけ増えてしまったのか」という方向へ、見方を転換しなければならないんだと思います。
それがきっと、真の意味での「責任を背負う」ということであり、未来を作るために必要な第一歩なのだと思います。
今ある社会に対して、自分には「責任がない」と思っている限り、それは「これから先の選択をも放棄する」ということと同じですから(清水)

アメリカでの高校生活を終えて日本に帰って来ると、日本の高校を中退したときには「あの子どうしちゃったの」みたいに言ってた人たちが、今度は「アメリカの学校を出てすごいわねー」と褒めてくれるようになりました(笑)。
とにかく、周囲の評価は本人に関わりなくコロコロ変わるんだということを悟った高校時代でした(清水)

家族が、親戚が、友人が、そして自分自身も、「まさか自殺するとは思わなかった」人が、いつ自殺に追い込まれるかわからない社会に僕らは生きている。
我々は、景気が悪化したくらいで、人々が死に追いやられるような脆弱な社会基盤の上に生きているということの恐ろしさを、そろそろ身にしみて痛感したほうがいいと思うんです(清水)

僕たちは、亡くなられた方の命を取り戻すことはできないけれど、遺された「声」を社会づくりに反映させることで、その存在を生かすことはできると思います。というか、生かさなければならない。
(…)徹底的に彼らの「声」から学ぶことが、僕は「生き心地の良い社会」をつくるためには欠かせない作業だと思うんです(清水)

たしかに夜中に店が開いていれば便利なこともあるかもしれません。だけど、果して二十四時間ぶっ続けで店が開いている必要性がどれほどあるのか。二十四時間営業しているということは、裏を返せば、誰かの大切な人が夜中の二時、三時に働いているということですよね。でも、そうまでしてコンビニに二十四時間営業していてほしいかと言えば、僕だったら、自分の大切な人を働かせてまでコンビニに二十四時間開いていてほしいとは、とうてい思えません(清水)

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●[2]編集後記

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車の中でペットボトルの水を大量にこぼしてしまい、そばにあった携帯電話が水没してしまいました。ドライヤーで乾かしてみたりと悪戦苦闘したのですが、結局、機能は回復せず。修理もできないとのことで、買い替えるほかなくなってしまいました。無念です。

考えてみると、今年は、既に同様のことを二度ほど経験しています。二度とも水没させたのは腕時計ですが、ちょっとした不注意によって浸水させ、致命的なダメージを与えてしまったという意味では、状況が似ています。今回が三度目の正直ですね。

モノの場合、いつかは壊れるものだと諦めているし、たいていのものは修理できますから、全くもって取り返しがつかないということはそれほどありません。でも、事故が起きた時には、「取り返しがつかないことをしてしまった」という気分になります。それをここ三ヶ月くらいでもう三回も繰り返している。

これはやっぱり何らかの警告だと思い直しました。「このままでは取り返しがつかないことが起きるよ」という意味での警告。

今年は数え42の本厄ですが、どうもこれまでは物が身代わりになってくれていた気がしてしょうがないです。大きな災厄がおきないうちに、警告の内容を読み解き、早めに対処したいものです。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 社会
感想投稿日 : 2010年10月4日
読了日 : 2010年10月4日
本棚登録日 : 2010年10月4日

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