「すべての男は消耗品である2」の村上龍がすすめていた本で、「二十世紀末をいろどる高級娯楽小説」。
すでに絶版のため図書館で借りて読んだが、予想外の秀作で読後すぐに中古品を手配した。
同名、同作家の脚本の映画の出来とは大きく差のある良い作品である。
語録(ことば)がいい。
たぶん翻訳がいいのだろう。
ネット上でみつけた翻訳家の故・山岡洋一さんの批評を引用しよう。
「芝山幹郎はインテリやくざなのだそうだ。『カクテル』を読みなおすと痛感する。インテリだから、しっかりと 原文を読み込んで破綻なく翻訳する。やくざだから、権威を歯牙にもかけない。酔っぱらっている場面、らりっている場面、悪態をつく場面、殴り合いの 場面、セックスの場面になると、筆が一段と冴える。言い換えれば、文庫本で600ページの『カクテル』全編で、芝山の筆は冴えわたる。『カクテル』はそう いう小説なのだ。」
活字にして良いのか?と思う単語が飛び交う。だから絶版になったのかな?そんな小説を女が「良い」というのも気が引けるが、良いものは良い。
『善人はなぜみんなに相手にされないかがわかった。人を閉口させるからだ』
『男は尊敬されたくて嘘をつき、女は同情されたくて嘘をつく』
ときどき痛いが真理をつく粋な言葉がふんだんに使われている。
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
娯楽
- 感想投稿日 : 2013年7月9日
- 読了日 : 2013年7月9日
- 本棚登録日 : 2013年7月3日
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