寝ながら学べる構造主義 ((文春新書))

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著者 :
がんぷく王さん  未設定  読み終わった 

名著としてこの本は名高い。以前から気になっていたところ、読んでみて深い知見に感動した。この本の引用(下記参照)の多さから、新しいことをかなり多く学んだし、既知の知識も整理された。しかもその内容も著者の力が無ければ、わからないままでいたであろうことについて、わかりやすく読み進められた。次に下記の引用箇所をまとめたのと「→」の後に私見を述べた。


「知性で一番大切なことは問い。」

→問いの質に答えは強く影響を受けるという点で、このことはとても大切だ。


構造主義をひとことで説明すると、人は見るとき、感じるとき、考えるとき、社会集団の影響を強く受けて、見させられ、感じさせられ、考えさせられている。「マルクスは階級によってものの見方が異なる、と言った。」

→人は自分で能動的に行動しているつもりでも、必ず社会によって動かされているということになる。このことを知っていて注意深く意識していなければ、社会によって動かされているということには気付けない。


フロイトは、「人間は自分自身の精神生活の主人ではない」ということ、つまり、人間は自由に思考しているつもりで、実は自分が「どういうふうに」思考しているかを知らないで思考しているということを看破しました。これはフロイトの分析した「抑圧」のメカニズムです。マルクスは人間主体は、自分が何ものであるのかを、事後的に知ることしかできないという知見を語りました。フロイトは、人間主体は「自分は何かを意識化したがっていない」という事実を意識化することができないという知見を語りました。ニーチェは、私たちは自分が何ものであるかを知らない、と言い切る

→人間は自分で考えていること、自分が何ものであるのか、を事後的にしかわからないというのは、最初の方に書いてあることを含めて考えると、人間は社会に無意識に動かされながら思考や行動していて、結局社会の要請に従って人は動かされていることになり、人間の自由意志とは何なのかということになる。


すごく平たく言えば、ニーチェのそれ以後の全著作は「いかにして現代人はこんなにバカになったのか?」と総題を持つことになる。畜群の行動準則はただ一つ、「他の人と同じようにふるまう」ことです。 誰かが特殊であること、卓越していることを畜群は嫌います。この畜群の理想は「みんな同じ」です。それが「畜群道徳」となります。畜群の理想は「みんな同じ」です。それが「畜群道徳」となります。ニーチェが批判したのはこの畜群道徳なのです。(だって)、畜群は(その定義からして)主体的判断ができないものだからです。他人と同じことをすれば「善」、他人と違うことをしたら「悪」。それが畜群道徳のただ一つの基準です。「超人」とは「人間を超える何もの」かであるというよりは、畜群的存在者=「奴隷」であることを苦痛に感じ、恥じ入る感受性、その状態から抜け出そうとする意志のことのように思われます。

→畜群にはなりたくない。大多数の畜群は畜群のことについてどう思っているのか。他人と同じことをしていればよいので、畜群は主体的判断ができないのです。
  
  
「私の持論」という袋には何でも入るのですが、そこにいちばんたくさん入っているのは実は「他人の持論」です。「・・・言語の出現以前には、判然としたものは何一つないのだ。」

→持論は他人の持論。言語がないとはっきりと分別がつかない。


(人間が他者と共生するルールは、)「人間社会は同じ状態にあり続けることができない」と「私たちが欲するものは、まず他者に与えなければならない」という二つのルール

→方丈記の冒頭が思い浮かんだのととギブアンドテイクの精神。


つまり、私たちは全員が、自分の見ている世界だけが「客観的にリアルな世界」であって、他人の見ている世界は「主観的に歪められた世界」であると思って、他人を見下しているのです。

→そういう傾向があるような気がしていたので、的を射ている。

下記引用、数字はページ数

11 知性がみずからに課すいちばん大切な仕事は、実は、「答えを出すこと」ではなく、「重要な問いの下にアンダーラインを引くこと」なのです。

14 構造主義という思想がどれほど難解とはいえ、それを構築した思想家たちだって「人間はどういうふうにものを考え、感じ、行動するのか」という問いに答えようとしていることに変わりはありません。ただその問いへの踏み込み方が、常人より強く、深い、というだけのことです。

19 「私たちはつねにあるイデオロギーが『常識』として支配している、『偏見の時代』を生きている」という発想法そのものが、構造主義がもたらした、もっとも重要な「切り口」だからなのです。

25 構造主義というのは、ひとことで言ってしまえば、次のような考え方のことです。私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいはは主体的にものを見ているわけではない。むしろ私たち、ほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け容れたものだけを選択的に「見せられ」「感じさせられ」「考えさせられている」。そして自分の属する社会集団が無意識的に排除してしまったものは、そもそも私たちの視界に入ることがなく、それゆえ、私たちの感受性に触れることも、私たちの思索の主題となることもない。私たちは自分では判断や行動の「自律的な主体」であると信じているけれども、実は、その自由や自律性はかなり限定的なものである、という事実を徹底的に掘り下げたことが構造主義という方法の功績なのです。

26 意外に思われるかも知れませんが、構造主義の源流の一つは紛れなくマルクスなのです。

27 マルクスは社会集団が歴史的に変動してゆくときの重大なファクターとして、「階級」に着目しました。マルクスが指摘したのは、人間は「どの階級に属するか」によって、「ものの見え方」が変わってくる、ということです。この帰属階級によって違ってくる「ものの見え方」は「階級意識」と呼ばれます。

27 人間の個別性をかたちづくるのは、その人が「何ものであるか」ではなく、「何ごとをなすか」によって決定される、マルクスはそう考えました。

28 たいせつなのは「自分のありのままにある」に満足することではなく、「命がけの跳躍」を試みて、「自分がそうありたいと願うものなること」であるーヘーゲルの人間学

28 (国家は)人間が動物的な意味で生きてゆくためにはもとより不要のものです。人間がそのような「もの」を作り出すのは、「作られたもの」が人間に向かって、自分が「何ものであるか」を教えてくれるからです。

29 ヘーゲルによれば、「人間が人間として客観的に実現されるのは、労働によって、ただ労働によってだけ」です。

32 主体性の起源は、主体の「存在」にではなく、主体の「行動」のうちにある。これが構造主義のいちばん根本にあり、すべての構造主義に共有されている考え方
  です。

32 中枢に固定的・静止的な主体がおり、それが判断したり決定したり表現したりする、という「天動説」的な人間観から、中心を持たないネットワーク形成運動があり、そのリンクの「絡み合い」として主体は規定されるという「地動説」的な人間観への移行、それが二〇世紀の思想の根本的な趨勢である、と言ってよいだろうと思います。

33 フロイトの貢献はマルクスと深いところで通じて深いところで通じています。それは「人間は自分自身の精神生活の主人ではない」ということです。

34 フロイトは人間は自由に思考しているつもりで、実は自分が「どういうふうに」思考しているかを知らないで思考しているということを看破しました。自分がどういうふうに思考しているか思考の主体は知らない、という事実をもっとも鮮やかに示すのがフロイトの分析した「抑圧」のメカニズムです。

40 マルクスは人間主体は、自分が何ものであるのかを、生産=労働関係のネットワークの中での「ふるまい」を通じて、事後的に知ることしかできないという知見を語りました。フロイトは、人間主体は「自分は何かを意識化したがっていない」という事実を意識化することができないという知見を語りました。

41 ニーチェは、私たちは自分が何ものであるかを知らない、と言い切ります。

46 すごく平たく言えば、ニーチェのそれ以後の全著作は「いかにして現代人はこんなにバカになったのか?」と総題を持つことになるのです。

50 利己主義を徹底的に追求したら、いつしか「利他主義」に至ってしまった、というのが功利主義の道徳観です。

51 畜群の行動準則はただ一つ、「他の人と同じようにふるまう」ことです。誰かが特殊であること、卓越していることを畜群は嫌います。この畜群の理想は「みんな同じ」です。それが「畜群道徳」となります。畜群の理想は「みんな同じ」です。それが「畜群道徳」となります。ニーチェが批判したのはこの畜群道徳なのです。

52 (だって)、畜群は(その定義からして)主体的判断ができないものだからです。

53 他人と同じことをすれば「善」、他人と違うことをしたら「悪」。それが畜群道徳のただ一つの基準です。

54 「貴族」は、自分の外側にいかなる参照項も持たない自立者です。「貴族」とは何よりも無垢に、直接的に、自然発生的に、彼自身の「内部」からこみ上げてくる衝動に完全に身を任せるもののことなのです。

55 「超人」とは「人間を超える何もの」かであるというよりは、畜群的存在者=「奴隷」であることを苦痛に感じ、恥じ入る感受性、その状態から抜け出そうと
  する意志のことのように思われます。

60 「ことばとは、『ものの名前』ではない」

62 「名づけられる前からすでにものはあった」という前提

67 「・・・言語の出現以前には、判然としたものは何一つないのだ。」

72 私たちはごく自然に自分は「自分の心の中にある思い」をことばに託して「表現する」というふうな言い方をします。しかしそれはソシュールによれば、たいへん不正解な言い方なのです。「自分たちの心の中にある思い」というようなものは、実は、ことばによって「表現される」と同時に生じたのです。と言うよりむしろ、ことばを発したあとになって、私たちは自分が何を考えていたのかを知るのです。

73 まさに「ことばを語っているときに、私の中で語っているものは私ではない」という言語運用の本質を直観したものです。私がことばで語っているときにことばを語っているのは、厳密に言えば、「私」そのものではありません。それは、私が習得した言語規則であり、私が身につけ
た語彙であり、私が聞きなれた言い回しであり、私がさきほど読んだ本の一部です。「私の持論」という袋には何でも入るのですが、そこにいちばんたくさん入っているのは実は「他人の持論」です。

125 126 テクストも読者もあらかじめ自立した項として、独立に自存するわけではありません。例えば、非常にインパクトの強い本の場合、最後まで読み終えたあと、そのまま間をおかずにもう一度はじめから読み直すことがあります。そして、その二度目に、私たちは一度目には気づかずに読み飛ばしていた「意味」を発見することがあります。なぜ、最初は見落としたこの「意味」を私は発見できるようになったのでしょう。それは、その本を一度最後まで読んだせいで、私のものの見方に微妙な変化が生じたからです。つまり、その本から新しい「意味」を読み出すことのできる「読める主体」へと私を形成したのは、テクストを読む経験そのものだったのです。

129 こうなると、批評家の仕事は、読解を通じて、作者を書くことへと動機づけた「初期条件」、作者の「秘密」に手が届かなければ、批評家の「負け」というわけです。現在でも、私たちが眼にする文芸批評の過半は、「作者に書くことを動機づけた初期条件の特定」というこの近代批評の基本パターンをしっかり踏襲しています。バルトは近代批評のこの原則を退けました。テクストが生成するプロセスにはそもそも「起源=初期条件」というものが存在しないとバルトは言い始めたのです。

147 つまり、私たちは全員が、自分の見ている世界だけが「客観的にリアルな世界」であって、他人の見ている世界は「主観的に歪められた世界」であると思って、他人を見下しているのです。

148 新石器時代とほとんど変わらない生活をしている部族がまだ地上には多く残っています。彼らの社会には「歴史的状況」などというものはありませんし、「参加」も「決断」もありません。数千年前から繰り返してきたことをこの先も永遠に反復するだけです。しかし、だからといって、彼らには人間としての尊厳や理性が欠如しているといえるでしょうか。レヴィ=ストロースは「文明人」にそのような傲慢を許しません。彼らもまた自分たちの生の営みのうちに「人間の生の持ちうる意味と尊厳のすべて」が込められていると確信して、そのような生活を営んでいるのです。

159 ・親族構造は端的に「近親相姦を禁止するため」に存在するのです。
   ・近親相姦が禁止されるのは、「女のコミュニケーション」を推進するためである。

160 親族が存在するのは親族が存在し続けるためなのです。

165 (人間が他者と共生するルールは、)「人間社会は同じ状態にあり続けることができない」と「私たちが欲するものは、まず他者に与えなければならない」という二つのルールです。

166 「隣人愛」や「自己犠牲」といった行動が人間性の「余剰」ではなくて、人間性の「起源」

195 ラカンの考え方によれば、人間はその人生で二度大きな「詐術」を経験することによって「正常な大人」になります。一度目は鏡像段階において、「私でないもの」を「私」だと思い込むことによって「私」を基礎づけること。二度目はエディプスにおいて、おのれの無力と無能を「父」による威嚇的介入の結果として「説明」することです。

200 レヴィ=ストロースは要するに「みんな仲良くしようね」と言っており、ラカンは「大人になれよ」と言っており、フーコーは「私はバカが嫌いだ」と言っているのでした。

レビュー投稿日
2019年12月16日
読了日
2019年12月16日
本棚登録日
2019年12月15日
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