コムパクトに世界史を概観しませうといふ書物は数多くあります。学生時代にあまり熱心に勉強しなかつた人(わたくしのことです)が読むのでせうか。ここでは、故・西村貞二氏の『教養としての世界史』を登場させます。この方、オスカー・ワイルドの個人全訳を成し遂げた西村孝次氏のお兄さんなのですね。無学なわたくしは知りませんでした。
さて、このタイトルですが、ちよつと厭らしいですね。「教養としての」なんて。中には「いや、俺は『もういちど読む山川世界史』で十分だぜ」と主張する向きもゐらつしやるかも知れません。
まあまあ。山川出版社の本も良いけれど、アレは基本的に「教科書」であります。西村氏の著書は、単に、各国の歴史を編年体で述べたものではありません。著者も語るやうに、しよせん新書一冊で世界史を俯瞰するのは無理といふもの。
そこで、西村氏の言葉を借りれば、本書では「世界史の肖像画をえがく」ことを眼目としたらしい。
「肖像画は、個人の風貌をたんにリアルにえがくのでなくて、時に思いきったデフォルメをするとき、かえって特色がにじみ出るのではないでしょうか」(「まえがき」より)
なるほど、写真みたいな写実的な肖像画は、記録的な意味はあつても、それ以上でも以下でもない。しかしデフォルメは、その人のもつとも特徴的な要素を強調するので、より印象に残るのであります。
例へばフランス革命。「数巻の書をもってしても委曲をつくせません」(著者)といふことで、時系列の解説を廃し、その代りに「三つの視点」(①革命の性質について②革命の上げ潮と引き潮について③外国との関係について)を挙げることで、その全体像や歴史的意義を浮き彫りにしてゐます。
つまり、お手軽に入門書を一冊読んで、何となく分かつた気分にさせてくれるといふものではなく、本書を読んだ後では、それぞれの事件・出来事についてより深く突込んで知りたくなるのでした。この辺りが「教養としての」などと豪語する原因ですかな。
では今夜はこんなところで、ご無礼します。
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- 感想投稿日 : 2016年6月9日
- 読了日 : 2016年6月9日
- 本棚登録日 : 2016年6月9日
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