フジテレビ開局50周年記念ドラマとして放映していたドラマの原作本である。私が山崎豊子作品を読むのは昨年の「華麗なる一族」に引き続き2作目。
元大本営参謀の壱岐正が第二次世界大戦後に軍事捕虜として旧ソ連に11年抑留された後、商社に途中入社して活躍していくというストーリー。
抑留の悲惨な描写はドラマでは冒頭に軽く触れただけだったが、原作本では第一巻の前半を占め、非常に生々しく、読んでいて苦しくなるほどである。
旧ソ連側は、壱岐達敗軍の将に対して戦後の国際裁判で有利な言質を得ようと迫るものの、国のためを思い妥協しない。その態度が悲惨な抑留生活を生むのである。戦争を知らない世代の私からすると「何故国のためにそこまで突っ張る必要があるのか」と考えてしまう。旧ソ連の意向通り適当に話を合わせれば、すぐにでも釈放されて家族のもとに帰れるのである。何度もそのチャンスがあり、時には同じ建物に妻子が訪問してきたこともあったのだが、ことごとく棒に振ってしまう。私ならそんな真似は出来ない。国のためより家族のためを思いたいものだ。私が戦中に存在していれば、軍人にはなれなかっただろうし、非国民と呼ばれていた類いかも知れない。
後半は商社編。壱岐は40代半ばにして商社のイロハを一から学んでいくのだが、活躍は次巻以降に期待である。
それよりも、登場人物の中で私が最も好きなのが近畿商事社長の大門一三。仕事に対する精力的な姿勢と豪快で気持ちの良い性格は字面で見ただけで惚れ惚れしてしまう。大本営参謀時代に培った組織力を見込んで、商社実務素人の壱岐を採用したのは大門である。
その大門の豪快な言葉を引用してみたい。
大門の娘
「お父さんって、どうしてそんなに働くの?オーナー経営者じゃないから、儲けたって自分のものになる訳じゃないし…」
大門
「わしは損することが嫌いや、商売で損することは罪悪やと思うてるから、一体、人間一人の能力でどれだけ儲けられるか、地球を駆け巡って試してみたいのや」
→まさにゲームを楽しむ少年である。
大門の妻
「あなたって人は化け物やわ、人並み以上に精力的に仕事をし、女遊びも人一倍し、家のことなど放ったらかしやのに、ちゃんと子供の気持ちを掴んで、なんて人かしら…」
大門
「なんてこともない、要は本気で仕事をし、好きな女遊びでリラックスし、家へ帰って時間があったら子供を可愛がる。至極単純で原始的なやり方をやって来ただけのことや。」
→男性ビジネスパーソンの多くがこの生き方を理想とするなのではないだろうか。と思ったが、最近はそうでもないか。そこそこに仕事をし、そこそこに人生を楽しみ、家庭を大切に考えるビジネスパーソンが増えており、現在は少数派かもしれない。実際に私もそうである。
綿糸市場の仕手戦で大惨敗し5億の穴を空けた金子綿糸部長の処遇について、壱岐に語った言葉
「人が財産という点では、軍隊も商社も本質的に似ているが、人材の値段が違うんやから、賞はともかく罰では違うてくる。軍隊は一人一銭五厘で集めて来られるから、失敗した奴は腹を切らせるか、階級剥奪してどんどん新しい兵を補充すればこと済むが、企業は限られた資金と扶養家族の手当まで上乗せした人材をフル回転して儲けんことには成り立っていかんのやから、一回や二回失敗した言うてクビにしたら、効率悪いこと夥しいし、他の社員も萎縮してしまう。一枚の辞表でことが済むと考えるのは安易過ぎる。損をしただけ、どうしたら取り返せるか、それこそ、まだまだ血の小便や、蟻地獄の苦しみやろ。けどそれをやりおおせ、次に儲けさせたら、金子の取締役は請け合いや。企業には潔い玉砕は許されんのや。」
→従業員を大切にする、まさに日本的経営の好例である。株主などのステークホルダーのため短期的に結果を求めるアメリカ型経営が、日本でも持て囃されて久しいが、失敗した者に挽回のチャンスを与えるような器の大きい大門社長の爪の垢でも煎じてみてはいかがだろうか。
おまけに、繊維担当役員の一丸常務が壱岐と初対面時に語った言葉も印象的であった。
「しかし人間、順応の動物や、商社マンいうのは仕事を覚えたら最後、止められん面白い仕事ですわ」
→自身の仕事について、こう語れるのはビジネスパーソンにとってこれ以上ない喜びではないだろうか。私もいつか、今の仕事でこう語れると良いのだが。
- 感想投稿日 : 2011年6月5日
- 読了日 : 2003年5月1日
- 本棚登録日 : 2011年6月5日
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