初の自伝的エッセイ。幼少期の思い出から映画監督としての歩みまでがコンパクトにまとめられている。正味170ページ程度の薄い本なのですぐに読み終わるが、強烈な印象を残す本だ。
タイトルの「非道に生きる」とは、世間が敷いたレールの上を歩くような生き方をしないことの謂である。
なるほど、本書を読むと、著者の半生は常識への挑戦の連続だ。小学生時代、「なんで服を着て学校に行かなきゃいけないんだろう」と思い、フルチンになって教室に入るなどし、通知表に「性的異常が見られます」と書かれたというエピソードを筆頭に……。
高校生のときの詩人デビュー、22歳での映画監督デビュー以降の、表現者としての歩みもしかり。型破りなことこのうえない。
「もしも映画に文法があるのなら、そんなものぶっ壊してしまえ。もしもまだわずかに『映画的』なるものが自分に潜んでいるとすれば、それもぶっ壊してしまえ」という思いで映画を撮りつづけてきたという園子温は、「映画の外道、映画の非道を生き抜きたい」と「はじめに」で宣言する。
そのような姿勢にもかかわらず、難解な前衛作品にはならず、大いに楽しめるエンタテインメントでもあるところが、『愛のむきだし』以降の彼の作品のユニークなところだ。
園子温の生き方と本書に込められたメッセージは、岡本太郎とその著作を彷彿とさせる。たとえば、次のような一節が――。
《他の人と同じ考え方をするために生きるのなら、生まれなくてもよかったとさえ思います。少しでも面白くないと自分が思うことは一切やらない。それを他人が「非道」と呼ぼうが、知ったこっちゃない。》
《ピカソのように、フォームをぶち壊したところで遊ぶのが表現者にとっては一番面白いはずです。「小津っぽいね」「ウォーホルっぽいね」と言われて喜ぶとしたら、その人は真のアーティストではないと思います。》
《表現者は自分で時代を作るくらいの気持ちでいればいいのです。具体的には「量より質」ではなく「質より量」で勝負することです。自分の作品が認められない、と時代を嘆くのではなく、自分の作品を無視することができないくらいに量産して時代に認めさせればいいのです。》
映画監督を目指す者のみならず、表現に携わって生きたいと願っている者にとっては、勇気を与え、背中を押してくれる一冊だろう。岡本太郎の著作がそうであるように……。
これまでの代表的作品の舞台裏も明かされているから、園子温作品のファンも必読だ。
- 感想投稿日 : 2018年10月20日
- 読了日 : 2013年2月3日
- 本棚登録日 : 2018年10月20日
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