著者は『毎日新聞』編集委員。
社会部記者時代の調査報道で、2年連続して「新聞協会賞」を受賞。2010年度の「ボーン・上田記念国際記者賞」も受賞。英オックスフォード大学ロイタージャーナリズム研究所の客員研究員も務め、ワシントン特派員やエルサレム特派員も経験……と、華々しい経歴を持つ国際派の敏腕記者だ。
その著者が2年余にわたって留学休職し、イスラエル随一の研究機関で、テロ対策や危機・トラウマ学等を研究した。
記者としてテロの最前線を取材した経験と、その後の研究生活――双方をふまえ、著者のテロについての調査と思索を結実させたのがこの本である。
日本ではテロというと、9・11同時多発テロや「IS(イスラム国)」によるテロなど、政治的動機を持つテロに限定して考えがちだ。
しかし、著者はテロをもっと広義に捉えている。
「テロリズムとは、何らかの政治的、思想的、感情的目標を成し遂げるために実行される、無辜の市民に対する意図的暴力」――これが本書で採用されるテロの定義である。
「感情的目標」という言葉があるのがミソ。たとえば「秋葉原通り魔事件」「相模原障害者施設殺傷事件」「京アニ放火殺人事件」なども、本書ではテロに含まれるのだ。
イスラム過激派等による政治テロから、いわゆる「無敵の人」による通り魔事件まで、広い意味でのテロが俎上に載る。
副題に「『普通の人』がなぜ過激化するのか」とあるとおり、著者はテロリストを異常者として捉えない。
「イスラム国」の戦闘員となる人間も、無差別殺人に走る「無敵の人」も、じつはみな「普通の人」であり、いくつかのプロセスを経て過激化していったと捉えるのだ。
その過激化は誰にでも起こり得ると、著者は言う。
本書は、「普通の人」が過激化へと突き進むプロセスを「見える化」し、そのメカニズムを解き明かそうとする。つまり、「心理学的な観点からテロリズムを探求する試み」だ。
この分野の研究は歴史が浅い。
本格的に始まったのは「9・11」以後だが、当初は被害者の心理ケアが中心であった。「普通の人」の過激化メカニズムが研究対象となったのは、「ローンウルフ(一匹狼)」型テロ(=過激派組織に属さない個人によるテロ)が拡大した2000年代中盤以降だという。
その意味で、著者の研究は新分野を切り拓く意義深いものといえる。
本書は、主要な先行研究を渉猟して書かれ、可能な限り参考文献が明記されるなど、学術論文に近い体裁が取られている。
一方で、著者がエルサレム特派員として行ってきた取材の成果も、重い臨場感をもって書き込まれている。
その中には、「イスラム国」の元戦闘員3人に対するインタビューなどという貴重な記録もある。
つまり本書は、ジャーナリストとしてテロの最前線に身を置き、被害者・加害者の双方に取材したノンフィクションでもあるのだ。
そうした成り立ちから、著者は本書を、報道的側面と学術的視座を兼備した「アカデミ・ジャーナリズム」(著者の造語)の実践と位置づけている。
本書の〝幹〟に当たる、過激化メカニズムの精緻な分析は、テロリストの心に深く分け入るような見事なものだ。
「テロリズムには無差別殺人を正当化する強い根拠が必要」だが、「根拠」となるのは「被害者意識とそれに基づく報復欲求」であり、テロ行為は「自分と同じような犠牲者を出さないための戦い」として正当化される。
テロリストの心中では、テロは「聖戦」として位置づけられる。そのような「歪んだ正義への使命感こそがテロリズムの正体」だと、著者は言う(199ページ)。
ローンウルフ型テロリストの分析にウェートが置かれているが、彼らの台頭にはネットの普及が大きく影響しているという。
かつては過激派組織が担ってきた役割の多くを、ネット上のバーチャルコミュニティが代替しているというのだ。
第6章を丸ごと割いて、日本におけるテロ事例が俎上に載り、その過激化メカニズムが分析される。
日本の近年の例で、過激派組織に担われたのはオウム事件のみ。それ以外はみなローンウルフ型テロだ。相模原事件、秋葉原事件が取り上げられている。
また、コロナ禍以後に現れた「自粛警察」の攻撃性に、著者は過激化の危険な萌芽を読み取り、警鐘を鳴らしている。
本書のテーマを知って、「テロなんて私には関係ない」と敬遠する向きもあろうが、じつは本書の内容は我々の日常と地続きなのだ。
そして、最後の第7章では、過激化を芽の段階で摘むための防止策が模索される。
「普通の人」が過激化し、無差別殺人に至るまでには、必ず「非人間化」のプロセスがあるという。ターゲットとなる人たちを「人間ではない」と認識してしまう、恐るべき「認知の歪み」のステップである。
そのプロセスを経るからこそ、無差別殺人を行うことが可能になるのだ。
ゆえに、過激化を防ぐために大切なのは、人とのあたたかいふれあいであり、人間性への共感だと、著者は結論づける。
《非人間化の現象を食い止めるには対象との距離を縮め、相手の「人間性」を目や耳で感じることが重要だということだ。「人はわずかでも他者が人間化・個人化されると残虐な行為をすることが難しくなる」と米心理学会(APA)で会長を務めたカナダ人心理学者、アルバート・バンデューラも述べている。(中略)
バンデューラは、ヒューマニズムの力が非人間化という認知を抑止すると主張する》313ページ
ジャーナリズムの大きな役割が平和の基礎づくりであるとすれば、本書はまさにジャーナリズムの王道を行く試みと言えよう。
- 感想投稿日 : 2020年9月14日
- 読了日 : 2020年9月13日
- 本棚登録日 : 2020年9月13日
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