アラビア哲学: 回教哲学

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  • 慶應義塾大学出版会 (2011年2月1日発売)
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 歴史学的にいえば、チャールズ・H・ハスキンズの『12世紀ルネサンス』に始まる一連の研究によって、我々はスペインやシチリアのイスラーム社会(と、ビザンツ帝国)を通じて西洋文明にもたらされた知が、その後の文化・学問の発達に際してどれだけ大きな役割を担ったかを知っている。その後、アンリ・ピレンヌが小論文『マホメットとシャルルマーニュ』によって「西洋世界」誕生におけるイスラーム勢力の能動的な影響を提起したことから、イスラームと西洋社会の間に存在したただならぬ関係は、大きな歴史学的テーマとなった。こうして20世紀中頃から、西洋世界の歴史をその内部だけで完結させて語ることへの問題意識が大きく巻き起こり、今世紀に至るまでこの潮流は途切れることなく続いてきたのである。

 だが、西洋的産物である古典世界の知が、オリエンタルチックなイスラーム世界を介して西洋社会に逆輸入された、という我々を引きつけるこのパラドックスに際して、主体として認識されているのはやはり西洋社会であった、ということは疑う余地がない。現在の一般的歴史認識からすれば、イスラーム社会とは野蛮で途切れることない混乱が続いた西洋に代わり古代の英知を保存してくれた「ぬか床」くらいのもので、時が来れば上手い具合にこなれてきた古典の知を西洋に分け与えてくれるありがたい存在でしかなかった。そこではこの古典世界の哲学・文学が、「保存先」であるイスラーム世界の思想本体にどのような影響を与えていたのかについては、多くは語られることはなかったのではないだろうか。

 本書は日本のイスラーム思想研究の巨人として知られる井筒俊彦氏が、ギリシア哲学の影響を強く受けたアラビア哲学の系譜とその歴史について扱ったものである。執筆から半世紀以上たっているだけに、専門研究上は新しい発見が多くなされていると思われるが、単なる一好事家でしかない私にはそれを指摘する知見は備わっていない。だが、なるべく原典史料に当たっただろう井筒氏の指摘は、先年受講したイスラーム思想の新鋭教授による授業と比べてもそれほど的外れなものではないように思う。

 イスラームでは「神」の絶対性が宗教の根幹にあるが故に、哲学、特に形而上学的な議論の多くは神を中心に据えて展開された。この点について、そもそもが比較的素朴な信仰だったイスラームを知識人の思弁に耐えるものとするために、ギリシア哲学との融合は有効だったと筆者は指摘している。また新プラトン主義的な流出論の要素が、厳しい修行によって高次の神への接近と愛を求めるスーフィニズムの理論的根底をなしたというから面白い。「哲学」と「神学」の統合は西洋においてもスコラ哲学を中心に盛んに議論された問題であり、時には勝手に異端としてその混血児が登場することもあった。場所を移してもその点は変わらなかったのだなぁと、しみじみ思わされる。

 また、付録では『東印度における回教法制概説』と題された小論文が載せられている。戦前にオランダ領東印度諸島占領を円滑に進めるため国策として書かれたものであるが、イスラーム法の4大学派から始まり基本的なイスラーム法の要素はしっかり網羅されている。現代においても教科書として使えそうなできだ。大戦中は国内のイスラーム教徒も東印度諸島支配のために動員された(誤解を招かぬようにしておくと、キリスト教徒においても同様のことが行われた)が、井筒氏のような知識人階層にもその要請が及んでいたということを考えながら読むと、なかなか面白い。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 人文学系(除歴史学)
感想投稿日 : 2011年4月19日
読了日 : 2011年4月15日
本棚登録日 : 2011年4月15日

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