『フランクル「夜と霧」への旅』(著:河原理子)
付箋部分を抜粋します
・どんな運命に見舞われたとしても、人は運命に翻弄されるだけの存在ではなくて、不条理を引き受け、運命に対してどんな態度を
とるか決める精神の自由があるのだとフランクルは説いた(p4)
・人間はあらゆることにもかかわらず 困窮と死にもかかわらず、身体的心理的な病気の苦悩にもかかわらず、また強制収容所の
運命の下にあったとしても 人生にイエスと言うことができるのです(p24)
・患者の回復が思うように進まないと話すと「どんな人にも生きる意味はある。ただ気づいていないだけ。治療者の役割は
一緒にそれに気づくことだ」と言われたという(p79)
・あなたが人生に絶望しても、人生はあなたに期待することをやめない(p81)
・変えられない運命に対して、どのような態度をとるか、その事実をいかに引き受けるのかという心構えと態度によって
人はなお意味を見出すことができるのだ(p84)
・人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが
問題なのである(p88)
・「人は生まれた瞬間の高みから、死に向かって毎日降りていく。人は死ぬのだというわきまえを持っていると
思いやりが生まれる」(p98)
・人生にはさまざまな困難があるけれども「にもかかわらず」生きようとする生き方なんですね(p99)
・人間は人生から問われている存在である。人間は、生きる意味を求めて問いを発するのではなく、人生からの問いに
答えなくてはならない(p105)
・人生の真の幸福は、幸福を追い求めることでは決して手に入らない。逆にそれを忘れて「人生からの問い」に答えることに
専心した時にはじめて自ずと訪れるものなのだ(p109)
・「ロゴセラピーは、技法ではなく、生き方なのです」(p118)
・「大事なのは、人間の心のあやに気がつくこと。そのためにも、人間的な教養を深め、成熟したゼネラリストになってほしい」(p247)
・不幸や不条理に立ち向かうには、すごく地味なことをコツコツやっていくしかない、という感じがしませんか。あるところに
大きな救いがあって、そこに自分も回収される、というのは絶対うさんくさいし、本物じゃない。小さくて地味で一見、これかよ
みたいなこと(p253)
・問うのではなく、こたえる 引き受ける(p262)
・人間と向き合う仕事をする人たちがそうであるように 自分の全身を使ってするものになった。自分の感情も含めて総動員しなければ
受けとめられない部分が大きくなったのだ(p264)
・自分のしていることに何の意味があるのか、生きる意味とは何なのか・・・。問うても仕方のない問いにがんじがらめになるとき
問うのではなく、刻々と問われることにこたえるのだ、というフランクルの言葉は、不思議なほど救いになった(p265)
・ただひたすら応答する。こたえる。そのことのなかに実感はある(p266)
・フランクルのいう「苦悩」は、自分では変えることのできない運命的なものに対する苦悩を指すのだが、そのような運命に人は
翻弄されるだけの存在ではないのだ。運命に対してある態度をとる自由がある。みずから引き受けて、苦悩を苦悩することによって
自分自身へと成熟し、ものごとを見抜くことができるようになる。
人間の本質は「苦悩する人」なのだ、とフランクルは言った(p268)
・あたかも今が二度目の人生であるかのように、生きなさい。一度目は、今しようとしていることに、まちがって行動してしまった
かのように!(p280)
・人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである
われわれが人生の意味を問うのではなくて、われわれ自身が問われた者として体験されるのである(p300)
・人生の意味は自身が見出す他にない。多くを失い、奪われ、途方に暮れる。人生にはさまざまな局面が訪れる。「それでも」
「にもかかわらず」「それでもなお」・・・フランクルの思想の、また本書のキーワードであると思う(p301)
- 感想投稿日 : 2020年12月27日
- 読了日 : 2020年12月27日
- 本棚登録日 : 2020年12月27日
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