「いき」の構造 他二篇 (岩波文庫 青 146-1)

著者 :
  • 岩波書店 (1979年9月17日発売)
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 年末に、日本を考えるみたいな番組がNHKであって、そこで松岡正剛が取り上げていた。
 この本を読み終えた人は絶対に縦縞の服を着るようになる。これだけは間違いない。なんかわからんけど、縦縞の服着てる。色は茶色は青かねずみ色。私だったら着る。

 最初に、再三、九鬼周造が注意しているのが、「このイキって概念は、ヨーロッパとかにも共通していて、どこも精神は一緒なんだなぁ」という越境に流されるなということ。これは最初と結論部に言っている。

【否、大和民族の特殊の存在様態の顕著な自己表明の一つであると考えて差し支えない】と。
 いきの本質を抜き出して、抽象化して、いきを自由自在に色々使えるようにするのではなく、まずはいきの実例や実際を文化・文学から解釈して、地に足をつけないとだめだ、というか、そうでないと「いき」は「いき」でなくなり横滑りすると述べている。で、そのうえで、いきの定義は何かといえば、それは「垢抜けて、張りのある、色っぽさ」であるという。それはどういうことかといえば、美しく非対称に崩れていてだからこそ完成されている無関心無目的な文句を言わせないパンチラインな動作と言えば良いか。こんなややこしい概念なので、「いきとは何か」はできず、「何がいきか」でしか無理なのだし、そうしたほうが良いと実は中盤でも述べている。
【たまたま西洋芸術の形式のうちにも「いき」が存在するというような発見によって惑わされてはならぬ】と。
 西部邁の知性の構造が、思ったより、この九鬼周造のまんまで驚いた。少し違うのは、西部の場合は、この構造を動的に使用しているということか。だが結論は似ていて、結局思想することは偏執的(パラノ)に、保守的になるので、平衡感覚(九鬼で言えば、結論部の、曇らざる目や自由)を持つしかないというもの。

 この本は、ほかに風流や情緒についても、和歌や俳句を引用して、きちんとした論文として、それがいかなるものか書かれてある。解説にもあるように、日本の一部民俗学の本とは違うので、読み進めると自然と頭が整理され、普通に勉強になる。

 秋海棠 西瓜のいろに 咲にけり

 という芭蕉の句はこの本で知った。

 赤色とか派手なかっこいい色を着てはダメと体制に言われたのならば、地味な色こそかっこいいのだと大暴れする。どう規制しようとかっこよくしていく。それがイキであり、単なる反体制ではないのだ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 哲学
感想投稿日 : 2015年1月11日
読了日 : 2015年1月11日
本棚登録日 : 2015年1月11日

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