生まれてきたことが苦しいあなたに 最強のペシミスト・シオランの思想 (星海社新書)

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  • 星海社 (2019年12月27日発売)
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 本著の核心部分ではこういうことが述べられている。

《すべての悪は行為から生ずる以上、悪を避けたいと思うならば、行為の拒否である怠惰を推奨しなければいけない。何もしなければ悪は起きないのだ。そもそもこの世に生まれなければ、私が苦しむこともなく、私がこの世に私の子を生まなければ、私の子が苦しむこともなかったのと同じように。》

 昔、とにかく仕事をしない人A君がいた。あるイベントで、そのイベントのマガジンが発刊されていたのだが、そのA君がそのマガジン発行の責任者をやると言い始めた。A君はイベント内の人物として、まったく仕事をしないリーダーで有名だった。私や、他のスタッフのサポートでなんとかイベントは成立していた。しかしそのマガジンについては、まったくサポートはつかないのだ。A君の自力が試されるのだった。
 そして、一号も発行することなく、マガジンは休刊した。そうそうたるメンバーが歴代編集長になってきたのだが、A君のおかげでぶっつぶれた。そのぶっつぶれ方も、鮮やかなものだった。
 A君は何もしなかった。
 何もしなかったのだ。
 だから、イベント上、なんのトラブルも起きなかった。楽しみだったマガジンなのに~という愚痴も聞かれなかった。塵芥のように消え去った。どうしてこのような鮮やかな撤退が可能だったのか?
 そう、本著が述べるように、「何もしなかったから」だ。だから、イベントに対してアンチである人らも、このつぶれたことを話題に出すことはなかった。話題にできないほどの消え方だからだ。
 しかし、このマガジンは、実はイベント運営にとって少し負担になっていた。誰かやってくれる人はいないか。扱いに困り果てていた部門だった。
 A君はそれに対して、やる気満々で、俺がやると述べ、そして何もせずに終わらせた。ある意味、イベントの運営を救ったとも言えなくもない。
 何もしないこと。しかも、自分ではやる気満々なのに、ついついネトゲと酒で毎日過ごすことで、まったく何もしない。究極の堕落をしてしまうことで、イベントを、もしくは僕たちの負担を救ってくれたのだった。
 この本を読んで、ずっとA君のことを思い浮かべていた。真の堕落とは、もしくは怠惰とは、もしくは生き方とは、反出生とは何かと答えるのならば、「とにかく何もしない」というのではない。むしろ「やる気満々で手を挙げて、一切何もしないで酒飲んでネトゲする」という方が最強だと思える。布団の中でただ寝転がるのではなく、みんなを巻き込んでプロジェクト責任者になってから熟睡する、この気持ちの良い睡眠! しかも何もしないことによって、部門がつぶれ、それによってコストが削減され、組織がうまく動くようになったのである。

 彼はその後、落ち込んだであろうか?
 否、断じて否。
 楽しそうに笑っていた。
 酒を飲んで、落ち目のメジャーリーガーよりも自分は持ってる、と笑っていた。メジャーリーガーであったある日本人がケガなどで日本に帰る羽目になった。その映像を見ながら、A君はにやりと笑って、俺はモッてる。持ってる。そう、呟いたという。
 ああ、シオランも裸足で逃げ出す思想家だよ、A君!

 しかし、A君ほどの強さを持たない人間はどうすればいいのだろうか。怠惰の哲学を実行できるのだろうか。
 そもそも、怠惰人間には、「巻き込まれ」がない。
 怠惰人間は、行為の拒否によって社会からつまはじきにされるが、そのかわりに行為の錯乱から、完全にではないまでも、身を離すことができる。

 要するに、真の自由を求めるものが怠惰人間なのだ。

《自由とは、他人に自らの流儀で生き、そして自らの流儀で死ぬのを容認することを意味する。ところで情熱的な確信者ほど、この自由を実現することから縁遠い存在もない。確信者はどう生き、どう死ぬのが最上なのか「知っている」。そして他者にそれを押し付けようとする。
 他者の生死を支配し、都合のいい方向に導こうとすることこそ、確信の特徴であり、それはまさに不寛容と呼ぶにふさわしい。他者が自分の真理の外側で生きることを容認しないのだから。》

《本当に生きるとは、対立の中に身を置いて、錯乱した世界のなかで切り抜けていくことである。それには他者を拒絶することが必要だ。敵を設定することが必要だ。そして敵対感情を存分に利用して、行為することが不可欠だ。
 その反対に、まさに生きることをあきらめ、衰弱することによって、善良となり、他者を傷つけず、他者を拒絶しないことが可能になる。》

 そのためには、つまり怠惰のためには、それはそれは精根尽きるほどの努力が必要になるのだ。

 人生に意味も目的もない、と言うと、人は怒りだすだろう。しかし、目的がないからこそ楽しいのだ。目的があって遊ぶ奴がいるか? それは遊びじゃない。目的をもってマリオカートをする奴がいるか?

 明確な目的や確信を持っていたら、それを達成できるかどうかが苦しみになってしまう。いつも追われている。しかもその目的とはたいてい、イデオロギーであったり、わけのわからん時にわけのわからん奴から吹き込まれた外から強制された目的だ。
 反対に、目的なんか人生になくたっていいのだ。目的をなくせば、どうどうとこう言えるのだ。「好きなことをやっていい」と。
 目的がないから、私たちは何でもできるのだ。

 目的社会、夢を目指す社会。これに対抗するために、シオランの自由論は非常に強力であると思う。

 そして「苦しみ」について、シオランは考えていく。シオランは「苦しみ」を認める。実在するという。思い込みに過ぎないなんてことはない。確かにある。シオランはここで、人生と世界を憎むことを愛してしまう。
 本著の後半のほうで、シオランが年下ドイツ人女性に対して浮気しようと愛の手紙を書いたり、文学賞を喜んで受け取ったり、文学サロンに通ったり、活発なシオランが紹介されており、A君に比べてシオランの中途半端さに苛立ちを覚える。しかし、もしシオランが、本当に怠惰を徹底し、彼がその思想通りに動いていたのならば、一冊の本も残しておらず、寝っ転がって死んでいただろうから、やっかいである。また、筆者大谷崇氏はこう述べる。「彼を誰も必要としなくなるときには、人類は何らかの意味でおしまいになっているのではないか、と思うのだけれども。他方で、彼がベストセラー作家になる世界も、もうおしまいだという気がする。難儀な思想家である」と。

 目的に対して別の目的をぶつける。そうした争いのやり方から転換して、怠惰から目的を避ける、もしくは目的そのものをぶっ潰してしまう。それがシオランの思想の面白さであると紹介されているように思う。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 星海社新書
感想投稿日 : 2021年1月29日
読了日 : 2021年1月29日
本棚登録日 : 2021年1月29日

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